1 茅ヶ崎(3)
大きなテトラポッドが乾いた白砂に埋もれていて、その一本の足が烏帽子岩のように突き出ていました。
文太郎のその進行は、少年が見るに、とても不思議なものでした。
海に向かって進んでいるのですが、そのコースが変わっているのです。
海と正面衝突するのではなく、横向きに、つまり海岸線に対して“やや平行”に、歩行していたのです。
方角で言えば、ほとんど真東方向に、一直線に移動しています。茅ヶ崎の海岸を江ノ島に向かって歩いている、と言えば分かって頂けるでしょうか。
(図はイメージ。撮影:2014年4月。曇り)
少年はその意味にすぐに気づきました。
文太郎さんは、“そういう旅”をされていたのだ!
昨年末から今年今月、今日までの期日をかけて、“文太郎の旅”をして来たに相違ありません。
そのゴールの瞬間に、なんという天の計らいか、ぼくは立ち会うことができるのだ。これは一生の名誉だぞ、と少年は胸が一杯になったのです。
木藤文太郎は湘南の広い浜辺を距離長く、浅く斜めに突っ切り、とうとう、波が足を洗う所にまで行き当たったのでした。
ゴールです。
彼は背中の荷物を下ろし身軽になると、ほぐすように体を動かしました。帽子を脱いで風に飛ばされないように挟み置き、そして――海に向かって、合掌したのでした。
「“お返しします”。これまでの旅路、大過なく来られたことに感謝申し上げます。お蔭をもちまして、無事、富士山登頂に成功いたしました。旅は、最高に、楽しゅうございました……」
感動です。立ち会った少年は、思わず、憧れの人と同じ形を取ったのでした。
しばらくして文太郎は振り返り、そこに少年を認めると、嬉しそうな顔をします。
「やあ、待たせたね」
少年からパムホとペンを快活に受け取り、
「君の名前は?」
と優しげに問うたのです。少年は勢い込んで答えました。
「遠峰行です!」
「……ゴーくん?」
「いえ、濁らずに、こ・お、です。漢字三文字で、『遠くの峰に行く』、と書きます」
「とてもいい名だ」
「ありがとうございます!」
いちいち頬を紅潮させる、行くんなのでした。
「ここは、大磯町? 平塚市?」
「茅ヶ崎市です!」
「おお失敬、ズレたこと聞いた。なるほど北側か……」
そして、
「七月二十日、旅路の果ての茅ヶ崎の浜にて記念に識す。木藤文太郎から遠峰行君へ」
文太郎さんは丁寧に筆記すると、ペンを収納させ、パムホを手渡してくれたのでした。そして力強い握手。感激で、行の顔は輝きっぱなしだったのです。
「どんな旅だったのですか? よかったらお聞かせください!」
「ああ、勿論かまわないよ。俺はな、実はな、ここまで。“一直線”に“まっすぐ”突き進んで来たのさ、アッハッハ!」
「!」やはりです。直感が当たり、行は鼻血が出る思いです。
文太郎は日本一のお山、富士山にスッと指をさします。
「この方角なのだよ。俺は元日に故郷、兵庫県浜坂町の海を出発して、まっすぐ富士山山頂を目指したのさ。艱難辛苦のすえ、その念願を目出度く成就させた。あとはケジメさ。旅をまっすぐに終わらすために、山の中心をきちんと通過して、この海まで――」
そのときでした。
「ウウウ……」
いきなり文太郎さんが胸の辺りを押さえ、苦しみだしたのです。
膝ががくがくと頼りなく震え、前のめりに倒れかかりました。
行はとっさに支えたのですが、筋力の小さい子供の体ではいかんともしがたく、結局あお向けに、下敷きになる格好で、盛大に倒れてしまったのでした。
「文太郎さん!? しっかりしてください!」背を打ち、肺が圧迫される苦しみの中、なんとか気遣いの声を搾り出すのですが、相手は答えられず、辛そうな唸り声をあげるだけです。
「俺は……神様を……見つけられなかった……」
そう声にして、完全脱力。文太郎さんは意識を失ってしまわれたのでした。