2 一日目。神奈川・東京(9)
富士山。
現世(元の私たちの世界)のこの位置、綾瀬市のこの場所からだったら、手前に丹沢山地・大山の姿が来て、その陰に富士山はあらかた隠されてしまうはずでした。
その、大山が、今。
丹沢山地が、今。
真っ平らに潰されていて――
富士山は――
真っ平らな地面から、垂直に佇立する宇宙円柱になっていたのでありました。
兵庫県、浜坂町から茅ヶ崎市まで、G-MAP上での直線距離は、約450km。
その距離に、文太郎ほどの男がなぜ、六ヶ月と二十日間も費やしたのか?
その理由が、“あれ”だったのです。
そんな――この世界。
ぼくが転入した、この世界です。
なぜ、よりによって「ここなんだ?」というと――
ぼくが、「文太郎さんが行った世界に行きたい」と望んだから、なのでした。
そう――
“異世界”――非日常の世界!
日本国土をもってして、その土地とちの風土、風習。文化、文明。技術と芸術。大自然、そして民人が――
ある要素は強調され、ある要素は変革され、そしてある要素は、無限に存在する別宇宙、異相世界の“日本”のものと入れ替わり――
それらが影絵のように転写された世界。
生命の運動エネルギーを糧として、ありとあらゆるイメージ、あらゆる願望、象徴、可能性、意味付けが、望んだとおりに具現化する世界だったのです。
ただし、
「ふむ……」
心を落ち着け、冷静になります。
ここは“過日に文太郎さんが訪れた世界そのもの”では“ない”ようです。無限にある異世界の中から選ばれた、文太郎さんが行った世界にとてもよく似通った、とある一つの世界のようでした。
なぜかと言うと、あの富士山が、高すぎるからでした。(笑)
冷静に考えれば納得できます。
あれだと、物理的に登頂できないでしょう? それ以前に、途中でマージンを上にゾーンアウトしてしまいます。文太郎さんが無事帰還したという事実、そして『直登し頂上をまっすぐ通過した』という発言を合わせて考えれば、この世界はやはり別の世界だという結論になるのです。(きっとその世界の富士山も、片マージン以下、人間的スケール以上の範囲で、非常に高かったに違いありません)
「うん」
がっかりはしていません。
宇宙は無限にあるからです。無限分の一の幸運(奇跡)なんて元から期待していませんし、ともかくも自分のために“似た世界”を“選んでくれた”からです。その意味で、感謝が先でした。
いえ、それよりも何よりも、ここはここで十二分に魅力的だったからです。第一に、あの、この、富士山ですよ? ぜったい登頂できない富士山なんて、見方を変えれば、文太郎さんが悔しがるほど理想的な、ミラクルな山、と言っても過言ではないはずです。
とてつもない富士山!
行はあとで文太郎に見せるために、パムホのムービーボタンを押し続けたのでありました。