2 一日目。神奈川・東京(3)
B大学の前を通り過ぎ、県道を離脱。県立公園内の狭い通路をゆっくり進みます。公園を出たその先で、いよいよ茅ヶ崎市エリアを脱するのでした。
さよなら故郷! 必ず帰ってくるからね。
きゅん――
そして、顔をあげるのです。
こんにちは藤沢市。しばしの間、よろしく――て、君エリア広すぎ。海岸じゃ隣の横並びのくせに、茅ヶ崎の頭おさえつけないでくれませんか?
などと勝手を思ったりしたのでした。(笑)
勲章の重みで身動きが取れなくなるのも困りますから今後は数えるのを止めますが、県道22号周辺でまたしても、今度はkm級のショートカットを成功させたのでした。ここら辺は細かい道が、網目にあるのです。
今も現役、シュンッ、と誇らしい音を立てて走り行く東海道新幹線。その高架をくぐり抜けます。ここで藤沢市を脱出ですが、おかしなもので、なんだか淋しさを覚えたり。
代わって進入するは三番目、とうとう、綾瀬市なのでありました。
「ぐ……」
気が引き締まりました。
予定では“この市”、のはずなのです――
あらためてパムホを手に取ります。
現在7時ちょうど。つまり、ここまで所要1時間30分。
スタート地点から、“まっすぐライン”の直線距離にして、約11kmの地点です。
「む……」
旅の目安である(“まっすぐライン”の)約15.6km地点までは、あと4.6km。指呼の間です。走って15~30分ってところでしょう。いよいよそこまで――
“迫っている”、のでした。
急に、心が底寒くなります。実際にも身震いします。ここまで来ておいてなんですが――
自分に、旅が、本当にやれるのか――という不安感に、心が塗りつぶされます。
この先、ちゃんと走っていけるのか?
今すぐキャンセルしたっていいんだぞ!?
家に、帰っちゃおうか――???
もう一人の知らないぼくが、ぼくに囁きかけるのです。
「GU……」歯を噛みしめます。
行は西を眺めました。
遠く、ちょうど正面に、日本一の山、富士山の、秀麗なラインを拝むことができました。この位置だと右手の丹沢山地、大山の方が目立って大きいのですが――あの、青空の底に沈と澄ました佇まいは、やはり図抜けた存在感だったのでした。
そのお山に、人影が重なります。
「文太郎さん……」
文太郎さんは――
富士山をまっすぐ『直登』して、『山頂を通過した』、と仰いました。
「……」
仄聞するところによると、富士山の登山道は、山肌をジグザグに登るものなのだそうです。
そこをまっすぐに登ったというのですから、だいぶ横紙破りをされたと思うのです。
ですが――
今こうして穏やかな円錐形を見やりますと、「やってやれないこともない」、と思えてしまうのでした。
もちろん実際は知りませんよ? 富士登山はまだ経験ないから。
ですが、こうして眺め、その稜線の美しさ、優しさを見るにつけ、文太郎さんほどの山男でしたら、とくに困難と言えるほどのものではないのでは、と思えてしまうのでした。
不思議ですよね?
ほんとうに不思議です。
兵庫県日本海、浜坂町から茅ヶ崎市湘南海岸まで、G-MAP上での直線距離は、約450km。
仮に、人の平均的速度5km/hで歩けたとしたら、それは約90時間で走破できる距離なのです。
半分の2.5km/hだとしても180時間、7.5日間です。さらにその半分でも360時間、15日間です。
そんな距離に、文太郎ほどの男がなぜ、“六ヶ月と二十日間”も時間を費やしたのでしょう?
ぼくが進むルートの先に、“なに”が待っているのでしょう?
そして今。
行は――
誰かに向かって言葉にするのです。
「……行きます!」
その一言に、旅の決意のすべてを再凝縮させて――
行は、視線を戻し、武者震い。口を結び、意思強く、ペダルを踏み込んだのでありました。