9話「夜と朝」
「ついにこの禁断の扉を開ける日が来たのね」
「なんでこんなに厳重に封印してんだよ」
実験室に備え付けられていた金庫の中に、黄色と黒のしましま模様した警戒色テープでぐるぐる巻きにされた容器が慎重にとりだされる。何層にも折り重なる包装を破って、その中身が姿を現した。
それは何の変哲もないプラスチック製のハブラシ。赤、青、黄色の三本がある。そして、歯磨き粉りんご味も同封されていた。
「なんだ、ちゃんとあるじゃないか。どうして歯磨きしないんだよ」
「……」
三人は口をつぐむ。あのレナまでもが焦りを隠せない様子だ。宇宙人にとって歯磨きには何か特別な意味があるのか?
「あ、あのね、ハブラシを口の中に入れるとね、わさぁってなるよね?」
「ああ、まあ、なるかもな」
「それがいやなの」
「……よし、まずはオヤツから磨いてやろう」
「なんでっ!?」
逃げ出そうとしたオヤツの首根っこをつかんで引っ張り寄せる。脚の間に挟んでがっちりホールドした。その隙にハブラシを取って、歯磨き粉をつける。
「いやあああ!!そんなっ!歯磨き粉つけすぎすぎだからっ!むしろ、歯磨き粉とかつけなくていいから!」
「このくらい普通だ。さあ、口を開け。隅々まで俺がキレイにしてやる」
「やだやだいやああ、あぐぼっ!」
口を開けた瞬間を見計らってハブラシを突っ込む。まずは上の歯!
「げばぼぼっ!」
下の歯!
「ぐごおおっ!」
上、下、前歯、犬歯!
「びぎいいっ!」
上上右右奥前AB下右左上!
「ががが、がが……がッ!?」
見よ!ゲーセンで鍛えしウメ○ラ持ち、名付けて『神速歯ブラシ旋風アタック』!
「ぐ、ぐもおおおおおっ!!げほっ、げほっ!も、もうだめえっ!」
「こら、オヤツが暴れるからちゃんと磨けなかっただろうが。……しかたない、今日はこのくらいにしとくか」
「うっぐええん!キクタくんのばかああ!!」
マジ泣きしているオヤツを見ているとだんだん可哀そうになってきた。これから少しずつ慣れて行けばいいだろう。次はレナだ。
レナは危険を察知したのか、小動物のように身を縮こませて震えている。そんなライオンにターゲッティングされた草食動物のような目で俺を見るなよ。まるでこっちが悪者みたいじゃないか。はっはっは。
「やーですなのー……」
「いやでも歯磨きしないと虫歯になるぞ?」
「代わりにディープキスをしましょうですー」
「だが断る」
そ、そんな姑息な手で俺を翻弄できると思ったか、この未熟者め!(汗)
俺は容赦なくレナの口内にごわごわの毛がついた棒を突っ込む。いえっひぃ!
「むがああああっ!」
* * *
レナは磨いているうちにぐったりとして動かなくなった。やけにおとなしいと思ったら気絶しているようだ。ぶくぶくと口からこぼれる泡は、歯磨き粉だったのかそれとも自前のものだったのか、定かではない。
磨いた後も問題があった。水がないのだ。ジュースしかない。しかたがないのでスポーツドリンクでうがいさせた。というか、レナもオヤツも早く口直しをしたかったのか、むさぼるような勢いでジュースを飲みほしていく。これでは歯磨きした意味がない。
そして最後の難関、ヤコ。こやつは往生際悪く、断固として歯磨きを拒否した。予想していた展開ではあるが、それにしてもすがすがしいまでのダダっこぶりである。俺がハブラシを持って近づこうとすると、ワームホールでシールドを張ってまで抵抗する始末。
「は、歯磨きなんてしなくても虫歯になんかならないわよっ!」
「ふん、後悔しても知らないからな」
これ以上の説得は無理だと判断した。それよりも今日は早く寝たい。
ここにきて新たな問題が発生する。このシップは偵察用の小型探査船。そのため、ベッドと言っても緊急時コールドスリープ用のカプセルしかないらしいのだ。それが三つ備え付けられているので簡易ベッドとして利用できる。けれども、まさか俺が幼女たちからベッドを奪うなどという暴挙ができるはずもない。ちゃんとした布団で寝ることもできないのかと気落ちする。
「キクタくんの寝るところがないね。私と一緒に寝よう?」
「お、オヤツ神様……!」
だが、そんな俺を気遣ってオヤツがカプセルを使わせてくれると言ってきた。
でも、今日会ったばかりの男に一緒に寝ようなんて言うとは無防備すぎる。オヤツの将来が心配だ。悪い男に騙されないように俺が全力で守ってやろうと思う。
「あ、あんたら馬鹿じゃないのっ!一緒に寝るとかそんなことさせられるわけがないでしょ、この変態!あんたは操縦室のシートで寝ればいいのよ!それか床に寝なさい!」
しかし、歯磨きもできないおこちゃまが反対してきた。俺はオヤツに対して、これっぽっちしか邪な感情は抱いていない。まったく、ヤコはどんなことを想像しているんだ。
「何を考えているのか知らんが、ただ寝るだけだ。別にお前が気にすることじゃない」
「気にするわよ!も、もしその、ま、まま、間違いがあったらどうする気よ!」
「ぶっ!」
「ヤコちゃん、間違いってなあに?」
「オヤツはまだ知らなくていいことです!」
俺はオヤツを妹だと思っているんだ。兄として、そんなことを起こす気はない。97%ないと断言しよう!
「あ、あたしはオヤツのことを心配して言ってるのよ!あんたみたいなロリコンとオヤツを一緒にしたら、なにをしでかすかわからないわ!だから……オヤツと寝るくらいなら、あ、あたしと寝なさいよっ!」
「え……?」
「べ、べつにひとりで寝るのが怖いから、あんたにそばにいてほしいとか思ってるわけじゃないんだからね!オヤツのことが心配で言ってるんだから!」
なんだこのツンデレ!俺を萌え殺しさせる気か!?
デレたヤコのかわいさに、ついふらふらとそっちに行ってしまいそうになる。
「なんだよ、じゃあ、お前は俺と間違いがあってもいいってことか……?」
「っ!!ば、ばか!もうしらないっ!」
ヤコは顔を真っ赤にして逃げて行った。
いや、さっきの言葉はさすがにデリカシーがなさすぎたな。ちょっと反省。今日はオヤツと寝て、明日はヤコと寝よう。いいねえ、このハーレム!
「ふああ~!キクタくん、もうそろそろ寝ようよ~」
オヤツが大きなあくびをして、目をこすりながらカプセルの中に入る。俺もその後に続いた。
「思った以上に狭いな!」
カプセルは幼女サイズのため、オヤツ一人なら余裕があるが俺まで入るとかなり狭くなってしまう。俺がまず脚を折りたたんで寝転がり、オヤツを抱きかかえるようにして迎える。
す、すごい密着感!無警戒な幼女が俺の腕の中にすっぽり収まっているだと!
「な、なんだか恥ずかしいね」
恥じらうオヤツ、グッジョブ。俺は天にも昇る幸福感に包まれながら、オヤツのシッポのもふもふを堪能しつつ、眠りについた。
* * *
タイマー音とともに、シップ内の照明が二色光から昼間のような明るさになる。四次元空間の中に朝日は登らないし、そもそもシップには窓がないのでどれくらい時間が経っているかは時計を見て判断するしかない。このタイマー音は目覚まし時計の役割を果たしている。
ジリジリと鳴りつづける騒音によって、俺の意識は少しずつ覚醒していく。そしてだんだんと体の感覚が戻ってくるにつれて、おかしな状況になっていることに気づいた。
異様に狭い。昨晩、オヤツと添い寝したときよりさらに狭苦しく感じる。それに体が重い。ぼやける目をこらして確認すると、なんと幼女三人組が勢ぞろいしている。ただでさえ小さいカプセルに収まりきるはずもなく、俺を下敷きにして幼女たちが乗っかっていた。俺はマットレスか何かか。牛丼で言えば、俺はごはん、そして幼女たちがぎゅう。幼女特盛丼の完成である。
「すぴー、すぴー」
「お、オヤツ、よだれよだれ!」
幼女特盛丼つゆだくである。
「って、レナ!お前はなんちうところに顔を突っ込んでやがる!」
「むにゃむにゃですなのー」
そっちのつゆだくはまずい!
「おい!お前ら起きろ!そこをどけい!」
「わー!」「な、なにっ!?」「ですなのー!」
俺が幼女布団を押しのけて起き上がると、幼女たちも目を覚ました。幼女のほどよい重圧で一晩つぶされ続け、体中の節々がやばいくらい痛い。これはひどい寝違え方をしてしまった。腰が動かん。
「で、なんで俺とオヤツのカプセルに全員集合してるんだ?」
「さ、さあね。たぶん寝ぼけてたのよ。そういうこともあるんじゃない?」
「朝ですなのー」
ヤコは顔を少し赤くして、目をそらしながら言う。確信犯だな。でも、かわいいから許す。
レナに関しては、特に意味のある理由はなかったのだろう。気の向くままのやつだからな。でも、かわいいから許す。
さて、気をとり直して異世界生活二日目のスタートである。
* * *
食事という名のお菓子パーティーで飢えをしのぎ、朝食とも呼べない食事をすます。早く金を稼いで食糧を買わないと、こんなものばっかり食ってたら健康に悪い。それにお菓子だってそんなに蓄えがあるわけではない。せいぜいもって後二日分くらいの量しかない。食糧確保は切実な問題だ。
「これつけてくださいですなのー」
俺がもそもそクッキーを食べていると、レナが奴隷の首輪を持ってきた。昨日、預けていたものだ。俺は言われるまま、首輪を取り付ける。奴隷の首輪を自分ではめるってのもなんかアレだな。
「この文明の言語に関する情報をインストールしておきましたのー」
「nwuiaewqnzucz!」
おお!?俺の言葉が異世界語になっている!どうなってんだ?
「ああ、そういえばその首輪、そんな機能もついてたわね。首輪が音声認識で言語を読み取って自動変換してくれるのよ。自分自身の声は超ノイズキャンセラー機能で打ち消してくれるから、まるで自分がしゃべってるみたいでしょ?」
「tucbsuieapp」
なるほど、これで俺の方から自分の意思を伝えることはできるわけだ。でも、これだと相手が何を言っているのかわからないな。
「はいですのー」
そこにレナがイヤホンをつけてくれた。首輪に端子を差し込んで、耳に装着する。
「そのイヤホンをつけてれば、相手の言葉も自動で翻訳してくれるから」
「ほおー、そうなのか。おっ!確かに俺の言葉が日本語にもどってる!」
俺の声は首輪で異世界語に変換されているわけだから、それをさらに翻訳しなおしたものが今、俺の耳に聞こえているわけだな。ややこしい。
だが、これでレナの通訳を通さなくても普通に人と話ができる。え、でもまてよ、この首輪の調整したのって、レナだよな。だったら、まさか昨日みたいにおかしなしゃべり方で全部翻訳されてしまうのではないか?不安は尽きない。
「ナノマシンディスクも作っておきましたですのー」
「わーい、レナちゃんありがとう!」
「ん、ありがとね、レナ」
レナはヤコとオヤツにキャラメルのようなものを渡す。
「なんだそれ?」
「これはナノマシンディスク。ナノマシンが含まれたキャラメルよ。これを食べると、脳内に埋め込まれたPCPU(フィジカルセントラルプロセッシングユニット)に様々な情報をインストールできるの。これでこの世界の言語を学習するのよ」
こいつらの頭の中はどうなっているのか。さすが宇宙人。おそらく日本語もそうやって学習したのだろうなあ。俺も便利なコンピュータが頭の中に欲しいけど、地球人やめるつもりはないから遠慮しておこう。