第39話
走っていらしたのか、皇帝陛下は少し息を切らしているようだ。
けれどわたくしの方を見やると、優しげな微笑みを浮かべて肩に手を乗せてくださる。
それだけでほっと緊張から解き放たれて、心が和らぐのを感じる。
かと思うと、皇帝陛下はスッと笑みを消して、先程までの皇太后様とよく似た冷めた目線を自分の母親に向けていた。
「……私の妃に何をしているのですか? 母上」
威厳と言うよりも、冷たく低い声色で威圧を感じさせる皇帝陛下。
それに対して皇太后様は、にっこりと目元だけで笑みを返しながら答える。
この国の頂点に立たれている方に睨まれようとも、皇太后様の調子が変わることはない。
「……おしゃべりをしていただけよ。それに、彼女はもうすぐ妃ではなくなるわ」
「役人共が話していた離縁話は、母上が提案したものだったのですね」
皇太后様が離縁話の件を皇帝陛下に伝えると、皇帝陛下は忌々しげな視線を彼女の方へと向ける。
かと思うと、ちらりとこちらも見やった。
離縁話を聞いて、わたくしが衝撃を受けているかもしれないと、心配してくださっているように感じる。
なので『わたくしは大丈夫です』という意味と『わたくしは後宮を出ていきません』という意味合いを込めて、真っ直ぐに皇帝陛下を見つめ返す。
すると、皇帝陛下はニッと楽しげな笑みを浮かべていらした。
そして皇太后様の方へと視線を移し、口を開く。
「……メイリンほど愛している女性は他におりません。彼女を手放すなど、私には考えられません」
皇帝陛下がわたくしの肩に乗せている手に、少しだけ力が込められる。
彼の言葉と自分を離さない手を、こんなにも嬉しいと思うことになるとは……後宮に来たばかりの頃には想像もつかなかった。
わたくしは心に温かいものが広がるのを感じながらも、自分自身の心境の変化に驚いていた。
そんなわたくしとは正反対に、皇太后様は冷めた目線をこちらに向けている。
「……愛情深いのは結構なことだけれど、皇帝たるものもっと後宮のことを考えて――」
「後宮のことを気にかけるのは結構ですが、ご自分の心配をなさった方が良いのではないですか?」
まだ言い募ろうとする皇太后様の言葉を遮り、皇帝陛下が淡々とそう告げる。
皇太后様は皇帝陛下の言葉の意味が分かりかねる様子で、訝しげに眉根を寄せている。
わたくしは皇帝陛下が何を言おうとしているのか分からず、ただ二人の会話を見守ることしかできない。
「……どういう意味?」
皇太后様が重みを含んだ声色でそう尋ねると、皇帝陛下はそんな重みを跳ね飛ばすかのように淡々とした調子で答える。
「あまり私や妃へ余計な口出しをするようであれば、母上を僻地に送ることもできる……という意味です」
「なっ……!?」
皇帝陛下の言葉に、わたくしも驚きから目を見開いたけれど……皇太后様の動揺はそれ以上のものらしく、優雅に口元を隠していた扇をおろして驚きの表情を露わにしていた。
「わ、わたくしは皇太后で、あなたの母よ!? そのわたくしを僻地に送ろうだなんて……」
「確かにあなたは父上の妃で、私の母です。けれど、あくまでもそれだけです。もう私は母を頼るような年齢ではないので、そろそろ子離れしていただけませんか?」
動揺しながらも強気な笑みを浮かべてそう言う皇太后様に対して、皇帝陛下は口調も表情も変わらず淡々としていて、全てが冷めきっていた。
皇帝陛下の言葉を聞き、表情を見た皇太后様は言葉を失っていた。
かと思うと、その表情は怒りからか悔しさからか歪み、年相応なシワを露わにさせ、身体はわなわなと口惜しげに震えさせている。
けれど、反論することはなかった。
「それでは、私達はこれで失礼します。私の言葉を、ゆめゆめお忘れなきよう」
そう言い残すと、皇帝陛下はわたくしを連れてその場を後にした。
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