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異世界三度笠無頼:短編連作『峠にて恩を返すⅢ:宇都宮の貸元』

作者: 美風慶伍
掲載日:2025/11/09

――救いと別れ――


 道沿いの百姓に頭を下げて糧をもらい、

 空きっ腹を抱えながらも歩き続ける。

 峠を越えて三日――

 丈之助たちは、宇都宮の城下にたどり着いた。


 肩の傷はまだ塞がらず、動くたびに血が滲む。

 だが、姉弟の顔にはようやく人の色が戻っていた。


「ここが……宇都宮?」

「そうだ。人が多くて、風が乾いてる」


 丈之助は街道脇の茶店でひと息つき、

 遠くに見える木戸の向こうを見据えた。


 目的の貸元は、町の北側に構える「辰巳屋」。

 昔、丈之助が流浪の折、ここで一宿一飯の恩を受けた。

 親分の三蔵とは、それきりの縁だが――

 筋を通せば、話を聞いてくれるはずだ。



 辰巳屋の門前で、丈之助は笠を外し、深く頭を下げた。


「お控えなすって。手前、下里村より来た丈之助と申します。

 一宿一飯の恩を受けし折のご縁にて、お願いがあって参りました」


 門番の若い者が丈之助の風体に目を丸くした。

 しばらくして、奥から年配の声が返ってくる。


「……丈の字か。疾風の丈之助とは、懐かしい名を聞いた」


 現れたのは、恰幅のよい男。

 髪には白いものが混じり、しかし眼光は鋭い。

 辰巳屋の親分・三蔵だった。


「旦那、無沙汰をお許しくだせぇ」


 丈之助が頭を下げると、三蔵は手を振った。険しい顔立ちの中に温情厚い人柄がにじみ出ている。


「堅苦しい挨拶はいらねぇ。お前には助けられたからな。だが、その怪我はどうした」


 さすが一家を背負う貫禄を持つ。丈之助の事情を察した。だが丈之助は言葉を選んだ。


「恩を返す道すがら、少々、面倒がありやして」


 丈之助が事情を語ると、三蔵は静かに聞いていた。

 そして、姉弟に目を向けた。


「親は亡くしたか」


 姉弟は頷く。


「名は?」

「おきよと、彦太です」

「……そうか」


 三蔵はしばらく黙り、やがてうなずいた。


「わしと女房には子がいねぇ。

 この子ら、うちで預かろう。

 生きる場所がねぇなら、ここを家にすりゃいい」


 三蔵の女房のお稲が傍らに寄り添い姉弟を見つめていた。

 姉弟は目を見開き、二人揃って頭を下げれば、丈之助も深く頭を下げる。


「筋を通してくださり、まことにありがとうござんす」

「筋なんざお互い様だ。

 だが、丈の字……お前さんは、どこへ行く」

「風の向くまま、でさぁ」

「また骨を折るぞ」

「骨が折れりゃ、義理が通るってもんで」


 三蔵が苦笑した。


「昔と変わらねぇな。まぁ、上がれ、一緒に飯でも食おう」


 姉弟から無情の気配が消えたのを、丈之助は噛み締めていた。




 その夜。

 丈之助は、貸元の裏庭で傷を洗っていた。

 月が雲間から覗き、井戸の水面が白く光る。

 屋敷の奥から、姉弟の笑い声が聞こえた。

 あどけない声。

 丈之助は、少しだけ目を閉じた。


「これで恩は、ひとつ返せた」


 呟きとともに、井戸の水をすくい、傷口にかける。

 痛みが走る。

 だが、その痛みが生きている証のように思えた。


 夜明け。

 屋敷の者たちがまだ寝静まる中、丈之助はそっと門を出た。

 正式に軒先の仁義を切ったわけではない。迷惑がかかる前に姿を消す必要がある。


 笠をかぶり、道中合羽の紐を結ぶ。

 足もとには、朝露が光っている。

 振り返ると、姉弟が門の陰から手を振っていた。

 丈之助は、笠を軽く上げて会釈した。


「達者でな」


 声に出さず、唇だけで伝える。

 風が吹き、門の暖簾がふわりと揺れた。


 思えば丈之助も、幼い頃に親をなくした。そして、人の情けでどうにか生きながらえた。

 ある老人に聞かされたことが有る。


――恩は水のようなものだ、人の手から手へと、上から下へと、淀むことなく流れていく――


 通りの先には、東へ続く街道。

 商人の声、馬の蹄、朝の匂い。

 丈之助は、その中を歩き出した。


 空は薄曇り。

 けれど雲の切れ間から、光が一筋差している。

 丈之助の背に、その光が落ちた。


「――風の向くまま、道の果てまで」


 笠の下で、誰に聞かせるでもなく呟く。

 その声は、街のざわめきに溶けて消えた。


 やがて、彼の姿も朝靄の向こうに消えていく。

 恩を返した男の影は、再び誰の記憶にも残らぬ旅へと溶けていった。


――『峠の恩』了。


本作は『異世界三度笠無頼』の外伝短編連作に一つとして、

渡世人・丈之助が異界へ流れる前の足跡を描きます。

各話は独立してお読みいただけます。

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