再会?
感触が突き抜ける 右手だけが、何も触れない空中に出た。
無我夢中で動かせるだけ手首を 腕を、肘から先を動かす
藻掻く 崩れて掻き分けるようにして身体を 這いずり出す
途端に騒めきが身体を打った。
――――… サアアアアア、と。
……雨が降っている。
「うわー大丈夫?」
「ああああ?!!?」
思わず叫んだ。
驚いて後ずさる。この時ようやく意識がハッキリし、様々な事実に認識が追い付いた。
まず、知らない男に背後から声を掛けられたということ。
ここがどこか知らない屋外だということ。
雨が降っていること。
そして 自分が全裸だということ。
「いぇぁあ違うんです!?!?」
思わず叫んだ。座り込んでいた土の上を後ずさる。今や男との距離は雨のせいもあって表情がギリギリわからないくらいだ。
雨を吸って泥状になりつつある土が脚や股の間にまとわりついた。不快だがモザイク代わりになってくれると祈るしかない。
「げぇっほ、げほげほ」
急に叫んだせいか咳き込んでしまい、酷く背中が跳ねる。
「げほ、くそ、踏んだり蹴ったりだ」
「大丈夫じゃないね、息してる?」
「して、ますよ、げほっ」
不法侵入全裸男であろう俺を心配してくれているのか、その人は笑顔を浮かべて近付いてくる。この雨の中だというのに傘も差していないが、近くに建物の影が見えるからあそこから来たのだろうか。そういえば白衣を着ている、あの建物は何らかの施設なのか?
「……」
ここは どこだろう?
辺りをよく見渡してみる。土の地面はどこまでも続いているわけではなく、何平米かごとに舗装された通路で区切られていた。そしてその向こうは、絶壁に近い崖。木々がその崖を支えているのがシルエットでわかる。土のエリアを通して崖の反対側に位置するのが、何らかの施設らしき建物。それ以外、何も、ない。
やはり男はその建物から出てきたと推察する以外になかった。そして僕は……僕は、あの崖の土砂崩れにでも巻き込まれたのだろうか。
記憶が、なかった。
「……あの」
「ん?」
男は僕のすぐ傍まで歩み寄ってきていた。
全くの無警戒、朗らかな笑顔で ……いや、ちょっと胡散臭いが、それも含めてまるで不法侵入全裸男に向ける表情ではないのは確かだった。
「貴方と僕は、もしかして知り合いですか」
「……」
「記憶が、なくて」
「……そっか。じゃあ初めまして、今日が君のバースデーだ」
僕が、知り合いか、と訊ねた一瞬
その男の表情が陰ってほんの少しだけ顔も俯きかけた。
悲しみ、寂しさ、落胆、そんな感情を示す表情を、確かに見せた。一瞬だけで次に瞬きをした時には跡形もなかったが
ああきっと、僕はこの人を知っていた。
「あの、」
「俺は甘楽。そこの研究所の主任研究員だよ。といっても肩書きのゆるい組織だからねぇ、実働部隊の一番えらい人だと思ってくれたら大体合ってるかなぁ」
「……」
「君がここで倒れてるのが、あの窓から見えてね。急いで駆け付けたってわけ。中に入ろう、診察もしてあげるよ」
すみません、と、彼の悲しみに対して一言添えようとしたもののその隙は与えられず、滑らかに矢継ぎ早に、彼は話し出した。
それが彼のいつもの様子にも、悲しみを誤魔化しているようにも見えた。
「自分の名前は覚えてる?」
「……いえ」
「コウタ。健康の康に多いの異体字。康夛だよ」
康夛。
名前を、教えられるのか。もはや記憶を喪失する前、この人と知り合いだったのは確定だろう。
よくよく、甘楽さんを見詰めてみる。
背が低い方だ。座り込んでいてもそこまで見上げる必要が無い。そして改めて見てみれば、視認性の高い白衣に紛れていた、他の特徴も見て取れた。空気がけぶるほどの土砂降りになってきた中で、紛れていた他の特徴。
白衣の下に見える、何枚も重なった衣服
笑う大きな口元からむき出しになった犬歯
ギラギラと油膜の光る、黄金色の眼 三白眼
鮮やかな 異様な青い髪
……幼げな、年齢不詳の容貌
――――……。何一つ、見覚えは、なかった。
「行こう。不審者全裸男くん」
「あんた名前知ってるんでしょうが」
反射的に言い返す僕に、アハハと笑いながら白衣を被せてくる。
何一つ思い出せないが、自然とツッコミが口から出た。僕らはこんな感じだったのかもしれない。
甘楽さんに貸された白衣を羽織って、僕は立ち上がると
雨をしのげる屋根のある場所へ、導かれるままその小さな背について行った。