明日の天気はきっと晴れ
宗教って何だろう?
そんな根本的な疑問を抱き続けた少年がいた。
彼は日頃から勉学に勤しみ、貧しい家庭の出でも何とか友人関係を維持し、学校への登校を続けていた。
義務教育。何と素晴らしい制度だろう。これにより、子供は学校へ行かなければならない。親は子供を学校に行かせなければならない。
これを地獄というヤツの気が知れなかった。学校は楽しいし、貧しくても明るければ、無限に友達が増え続ける。
少年は光を手にしていた。
眩いほどに明るい、将来への希望だ。
―――そんなある日、少年は家に見慣れない大きな壷が増えているのを見た。
なんと、子供の腰ほどまでの高さがある、それはそれは大きい壷だった。
なんだろう、と少年は首を傾げる。大量の漬物でも作る気だろうか。
「お母さん、なに? この壷」
「それはねぇ、ありがたい壷なの。家がお金持ちになる、ご利益があるのよ」
「壷を買ったらお金持ちになるの?」
「そうよ」
「ふうん……」
どうやら購入したのは母親と見えて、少年はひとまず様々な疑問を脇に置いた。
壷を買って金持ちになる。一体どんな仕組みだろうか―――そんな疑問は、まだ抱かない。
何せ、それどころではないからだ。
その手には、「てるてる坊主」を握っていたからだ。
明日、晴れれば、体育の授業が外でのキックベースボールになるからだ。
少年からすれば、明日は是非とも晴れてほしかった。体育は楽しく身体を動かしてナンボだ。
少年はいそいそと、雑木林の見えるガラス戸の上にてるてる坊主を飾り付けた。
「あら、可愛い。てるてる坊主?」
「うん。明日、晴れるようにって」
「晴れるといいわね」
「うん!」
―――ある日、少年は家に見慣れない像が乱立しているのを目撃する。
像の大きさは子供の靴のサイズほどしかなかったけれども、これが五つも六つも並ぶ様は異様で不気味だった。
「お母さん、何かあるよ」
「それねぇ、並べておくと長生きできる開運の像なのよ」
「像を並べておくだけで長生きできるの?」
「そうよ」
「ふぅん……」
少年は放課後の約束を思い出し、ランドセルを放ると遊びに行ってしまった。
―――元々酷かった献立が、余計に酷くなった。
「お母さん、なにコレ」
「牛丼よ」
「お肉入ってないよ?」
「汁が沁みてるじゃない。美味しいでしょう?」
「………美味しい」
少年は甘じょっぱいご飯を噛みしめながら、明日の給食は何としてでもおかわりしようと思った。
―――家に知らないニオイが立ち込めていた。
線香のような、しかし妙に甘い香り。
少年が母親に聞くと、「お香」とだけ説明が返ってくる。
「くさい、なにコレくさいよ、お母さん」
「あらそう? とてもいい匂いじゃない」
家の匂いが変わった。
―――少年の家は、もはや以前とは別物になっていた。
大きな壷が居間の隅を占有し、動物やふくよかな人間などをモチーフにしたような小さな像が、部屋を囲むように所狭しと並んでいる。
「なに、コレ」
「風水よ」
「ふーすい?」
「そう。こうやって物を並べるとね、運気が上がるのよ。先生ったらすごいわ、何でも知ってるんだから」
「先生?」
「今度あなたも会いましょうね」
母親が穏やかに微笑んでいたので、少年は「うん」と頷いた。
―――家に見知らぬ男が来た。
何でもこの家は鬼や悪魔に取りつかれていて、お祓いをしないとまずいらしい。
少年はそういった事情を理解し、やたら畏まった態度の母親と、着物を着崩しているのに態度ばかり恭しい男のやり取りを眺めていた。
まるですっかり他人の家だ。ばさっ、がささっ、と木の棒の先に付けたたくさんの紙垂が舞う。
少年がぼうっと眺めているうちに、ナントカの儀式は終わりを告げていた。
母親が玄関先で男を見送る。
男は帰ったけれども、ふと視線を落とした少年の足元に、男が忘れて行った紙垂の一枚が落ちていた。
コピー用紙だ。少年はこっそり拾い上げ、メモ紙代わりに使うことにした。
―――学校給食が主たる栄養源となった。
少年の生活において、学校は無くてもならないものだ。
費用対効果を見れば破格ともいえる内容のあのメニューを思い出す度、少年の腹はぐぎゅるると鳴る。
それと、服も小さかった。今まで余り気にしたことは無かった少年も、自身のヘソが出る半袖を着て遊びに出かける状況について考えさせられることになる。
―――家に何かが……否、自身の母親に、何かが起きている。
そんな予感がして、その日は母親の帰宅を待った。
夕方になって帰って来た私服の母親は、ただ一言。
「ごめんねぇ……」
とだけ言った。
―――貧しい生活が続いた。
事あるごとに謝るようになった母親。
謝罪の頻度が増える毎、家に見知らぬ開運グッズが増えていく。
以前にもあった開運の像はおよそ二倍、壷は三つに数を増やした。
家の扉や壁に、何と書いてあるのかよく分からないお札も貼られ始めた。
開運の時は近い。
しかし、いつになることやら。
少年はランドセルを放り、誰もいない家に鍵をかけ、遊びに出かけた。
―――運命の日が訪れた。
「………あれ?」
家の玄関の扉が開かない。
「お母さん、今日はお仕事の日だっけ……?」
少年は鍵を取り出した。仕事が長続きしない母親だけれど、家を結構な頻度で留守にしている。だから少年もこの作業には慣れたものだ。
「………………あれれ?」
ところがどっこい、今回はおかしい。
玄関の扉は開かない。
というか、鍵が刺さらない。
鍵穴に、蝋のようなものが流し込んであるようだ。
「………………えっ。なんで?」
おかしい。
どう考えても、ただ事じゃない。
「………」
勝手口に回るが、こちらも同様の細工がしてあった。
仕方ないのでまた反対側の、雑木林が正面に見えるガラス戸の方へ。家は小さく簡素な平屋建てのため、そこがダメだったら、もはや入る術は強硬手段以外は無いということになる。できればガラスを割るようなことは勘弁だと願う一方、少年は心臓がドクドクと激しく脈打つ音で頭がいっぱいだった。
………この辺りは直観というものだ。第六感、と言ってもいい。
嫌な予感だ。
「………………」
家の横合いに回り込み、ガラス戸から中を覗き込もうとする。
内側にはボロボロのカーテンが閉められているが、それでも隙間は存在する。
そこは我が家、流石の足取りで少年は端っこのポイントに立ち、中腰になり、その覗きポイントから中を覗く。
「………………………………………え」
それは驚きの声だった。
少年は確かに驚いていた。
カーテンの隙間から、信じられないものが見えたからだ。
ただ呆然と、この口がまるで誰か他人のものであるかのように、無意識に声を発する。
「お母さん、てるてる坊主になっちゃった」