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彼女と彼女に起きたいくつかの不思議と奇跡

作者: 柳瀬あさと


 ベリク伯爵家の令嬢エリザベートは、魔術師にして学園の図書館司書を務めている平民のゲオルクの事が好きである。


「ゲオルク様! よろしければこちらお召し上がりください!」

「規律により受け取れません。館内への飲食物の持ち込みは控えてください」

「少しくらいいいではありませんか!」

「お静かにお願いします」


 はじめはただ見かけが身の回りの貴族と違い過ぎて目を引いたのだ。

 隈の浮いた目元は眠そうで、比較的整っている筈の顔はその眠さからかいつも不機嫌そうで、人と接する時もあまり表情は変わらない。立ち上がればやたらと高い背は多分学園の教師たちの中でも一番だろうに常に猫背。青みがかった黒髪は整えられることなく肩につく位まで伸びて、ただただ邪魔だからと雑にハーフアップでまとめられている。服装には清潔感があるので周囲からそこまで浮いてはいないが、流行りなんてものは完全に無視。

 貴族であるエリザベートからしたら初めて目にする異質な男性だった。


 こんなにも見た目に気を遣わない人がいるなんて、という物珍しさでまじまじと見てしまったのが初対面の時だ。平民の知り合いがいないわけではない。家の使用人や出入りの商人、学園にも平民の学生はいる。だがゲオルク以外の平民は身なりもきちんとしているのだ。だからこれはきっと身分がどうこうではなく個人の資質の問題なのだろう。


 図書館へ行けばつい探してしまう。今日も寝不足のようだわ、と確認してしまう。そうやって見ていれば、ゲオルクは仕事が出来る事も色々な人から頼られている事も知ってしまう。知ってしまえばさらに知りたくなる。

 魔術師としては国も注目しているほど優秀らしい。研究費と生活費の為に司書もしているらしい。魔術師になるだけあって魔術の事がとても好きなようだ。好きな事、つまりは魔術に関する話題をする時や魔術の文献と向き合う時は、とても楽しそうなのに、目つきの問題か表情筋の問題か、餌を前にした獣のような少し怖い笑顔になる。


『この本が取りたいのですか?』

『あ、はい……』


 踏み台を使おうか背伸びで手を伸ばそうか、どちらにしようかと考えながら見ていた本を、背後から長い手で取ってくれたのはゲオルクだった。

 中級魔術の応用について書かれた書籍。それを見て懐かしむように口元を緩ませたゲオルクは、エリザベートに本を差し出しながら言った。


『魔術の勉強、頑張ってください』


 少し怖いその笑顔が、もっと見たいだなんて。どうかしている。


 ゲオルクが好きだ。


 自覚した瞬間、もう転がり落ちていた。止まらなかった。なまじ裕福な伯爵家で欲しいものは問題なく手に入れてきたから、ゲオルクが欲しくて欲しくてたまらなくなった。何としてでも手に入れたい。どんなことをしても自分のものにしたい。心も体もすべて。

 そうしてわかりやすくエリザベートはゲオルクに近づいた。抜きんでて優れているわけではない容姿を飾り立てて、親の権力を使いまくって、あれやこれやで近づいて、語りかけて、貢いで、拒否されて、それでも近づいた。


 だって欲しいのだ。もうゲオルクを手に入れるまできっと自分は止まらない。

 ああ、彼が平民でよかった。だって貴族の私には逆らえないわ、そうでしょう?

 恋に浮かれるとはこういう事か。普段の自分とはまるで違う行動をとってしまう自分をどこか冷静に感じとりながら、エリザベートはゲオルクの囲い込みを企てる。



 ◆



 ゲオルクは魔術の研究さえ出来ればそれでいい人間である。それ以外は基本興味がない。とはいえ魔術の研究には金がかかる。そして生きていくにも金がかかる。現状は魔術師だけでは生きていけないので、仕方なしに王立学園の図書館司書もしている。

 その職場が最近憂鬱の場でしかない。


「ゲオルク様、この魔術の本を読んでいただけません?」

「私の仕事ではありません」

「ああん、つれない」


 ベリク伯爵令嬢のエリザベートがべったりと張り付くようになったのはいつからか。ゲオルクはあからさまに嫌な顔をしているが、エリザベートは気にせずニコニコ笑顔で見つめてくる。相手は貴族だと思って我慢してきたが、もう舌打ちをしてもいいかもしれない。そう自棄になるくらいにゲオルクはうんざりしていた。


 はじめはこんなではなかった筈だ。


 貴族令嬢にしては珍しく魔術の本ばかり読んでいる、そういうきっかけでエリザベートの事を覚えたので、本当に最初は好感を持っていたのだ。だが、自分に声をかけるようになってから好感度はダダ下がりだ。

 何故化粧が濃くなっていくのか。何故服装も華美になっていくのか。何故魔術の話ではなく、ありもしない二人のお出かけの話になっていくのか。

 貴族のお嬢様の気まぐれなお遊びだろう。そう思って適当にあしらえばあしらうほどエリザベートの勢いは増していく。平民に貢ごうとするな。周囲の目が痛い。


「ゲオルクは男娼になるの?」


 休憩室にて笑いながら聞いてきた同僚の首を思わず掴んでしまう。笑えない冗談だった。けれどそんな冗談が出てくるほどエリザベートの執着は目立っていた。


「悪かった、悪かったから放してくれ」

「二度と言うな」

「けどなぁ、ベリク伯爵令嬢は婿探しをする立場だろ? となれば平民のお前は無理なわけだし、じゃあ婿とは別に囲いたいってことだろ? いいじゃん、伯爵家の金使って魔術研究やりたい放題。ベリク伯爵令嬢もちゃんとした格好してちゃんとした化粧をすりゃそれなりだし」


 結構まじめに考えてもいいんじゃないか? と真顔で言ってくるのは、数学だけに生きたいのにやはり貧乏ゆえに司書の仕事をしている子爵家の三男だった。現状の立場は貴族と平民だが、あと数年で平民同士になる予定だからか気安い仲だった。


「馬鹿と邪魔者は嫌いだ。踏みにじりたくなる」

「お相手貴族令嬢だから踏みにじるなよ。にしてもベリク伯爵令嬢成績それなりだったはずだけどなぁ」

「知るか。俺と関わる時に馬鹿で邪魔者になるならいらん。捻り潰したくなる」


 目が据わったまま話すゲオルクに、子爵子息は引きつり笑いになる。


「……なんかお前攻撃的になってない? 普段のゲオルクを返して! お前はもっと周囲に無関心だったはずよ!」

「毎日毎日隣に張り付かれて訳の分からない話を延々聞かされてみろ。殺意を抱かないだけ俺は出来た人間だ」


 目が据わったまま早口で告げてくる。これはかなり追い詰められている。そう判断した子爵子息は、自分が抱えている仕事の内容を伝えることにした。


「……わかった、お前に必要なのはベリク伯爵令嬢のいない休息だ。というわけで俺の仕事の話を聞いてくれ」

「何で休息が仕事の話になるのかわからないが、ベリク伯爵令嬢がいなくなるなら聞いてやる」


 ゲオルクの表情が先ほどから変わらないのも少し怖い。今から告げることが少しでも彼の救いになれば、と思いながら子爵子息は続ける。


「五日後から隣町の図書館の入れ替え作業がある。手が必要なんだとよ。図書館同士の正式な依頼だから特別手当が出る。というわけで、一緒に大事な大事なはした金を稼ぎに行こうぜ」

「行く」

「答え早すぎるだろ」

「絶対に行く」

「わかった、わかったから……」


 食い気味に答えたゲオルクは疲れたように息を吐きだした。

 あと五日すればひと時の休息が待っている。それがわかっただけでも少し心が安らいだ。


「あ、ゲオルク君、君ベリク伯爵令嬢と結婚するんだって?」

「そんな事実はありません」


 和らいだ瞬間、通りがかった図書館長からひどい攻撃を食らった。「そうなの? でも皆そう言ってるよ?」という追撃まで食らった。

 あと五日も耐えられるのだろうか。というか、一時的に避難したところでどうにかなる話なのだろうか。結婚の噂まで出回ってるとは気づかなかった。

 いっそエリザベートを消してしまえば……と危うい考えがよぎってしまい、それを追い出すように頭を振る。

 それでも、あと一歩で自分の中で信じられないほどの攻撃性が目覚めそうだった。



 ◆ ◆



 王立学園は身分問わずで、ただ才ある者のみを受け入れる。この国が他の国よりも早く魔術使いと魔術師の育成に早く取り組んできた結果の方針。


 生きとし生けるものには魔力がある。その魔力を外に出して様々な効果を出すためのものが魔術。魔術は日常生活の基盤にもなって誰もが魔術を使うゆえに、誰もが魔術の徒である。そこからさらに詳しく言えば、あらゆる魔術を使いこなす者が魔術使いで、新たな魔術を生み出したり既存の魔術を改良したりするのが魔術師だ。

 そしてもう一つ、生まれつき魔術を用いなくとも魔法という形で魔力を使うことが出来る存在がいる。魔女だ。

 女にしか生まれず、しかも十人中一人程度という確率。数は少ないが極端に珍しいわけでもないその存在は、それでもまだ解明されていない部分が多い。


 魔術は術式がはっきりと決まっていてそれを少しでも崩すと効果が出ないが、魔法は魔女の気持ち一つでどうとでもなる。火を出したければ『火よ出ろ』と念じて魔力を出せば、人を眠らせたければ『眠れ』と念じて魔力を出せば、念じたとおりの魔法が生み出される。簡単そうだが、魔力の操作は魔術よりも調整しなければならない。実際のところ、もう少し念じ方や魔力の操作に細かい決まりがあるようだが、魔法の使い方は魔女にとっても感覚的なものでこれと言い表せないらしい。もしくは、魔女全体で秘匿しているのか。


 ともあれ、王立学園に所属している平民のミナは、その魔女だった。


「ゲオルク様! 今日は貴方に報告したいことがありますの!」

「図書館では私語を慎んでください」


 ――まったくだわ。


 ミナは苛々しながら心の中でゲオルクの言葉に同意した。

 学生の身であるミナは今日も今日とて図書館で勉強に励んでいる。そして今日も今日とてエリザベートの騒音に悩まされている。


 エリザベートの事は知っている。別のクラスのどこにでもいる生徒だった。かつては特別目立つこともなく特別問題を起こすわけでもなく、実に無難に真面目に学生生活を送っていた生徒だった。ミナと同じくらいに図書館に通って勉強をしていたから何となく覚えた程度だ。

 一体彼女に何があったというのか。気が付いたら似合わない化粧に似合わない服装を身にまとうようになり、勉強などまるでしなくなり、司書のゲオルクを付け回す騒音発生機に成り下がっていた。


 ミナには兄姉も弟妹もたくさんいる。よくある貧乏大家族だ。兄や姉と同じように早々に働く筈だったが、魔女として生まれたミナを勿体無く思った親が学園へ入れてくれたのだ。国は魔術を重視しているが、魔女も魔法使いとして重視している。数ある平民の職の中でも、比較的出世や成功を掴みやすい職だ。

 学園で人脈を作るか結果を残していいところに就職する。そして家族を助ける。その夢に邁進しているミナにとって、勉強の場を邪魔してくるエリザベートはもはや敵であった。


 一度うるさいと思ったらもうそこからは耳について仕方がない。さらに付きまとわれているゲオルクが迷惑そうにしているから余計に苛立つ。全方位に迷惑しかかけていないじゃないか、と。

 場所を変えればいいのかもしれないが、自分でも不思議なほど意地になっていた。だって自分は何も間違っていなくて正しい図書館の使い方をしているのだ。何故こちらが引かねばならない。そんな思いからめげずに図書館で勉強をしていたが、ミナは自分でも限界が近づいていることがわかっていた。


 ――私、多分次にエリザベート様が馬鹿な事したら、キレるわ。


 恐ろしい決意をしたミナの耳に、能天気なエリザベートの声が飛び込んでくる。


「もう、つれない方! でもいいの、楽しみにしていて! うふふ、明日、素敵なプレゼントをお持ちしますわ!」


 ――なるほど? つまり私の堪忍袋の緒は明日切れるのね?


 ミナは細く長く息を吐きだす。極限まで高まった苛立ちを少しでも逃がすために。


 浮かれるエリザベート。うんざりしているゲオルク。苛立つミナ。

 三者三様でその日を終え。




 そして翌日、エリザベートは図書館へは来なかった。




 ◇




 エリザベートは来なかった。

 翌日も。その翌日も。さらにその翌日も。

 お嬢様の気まぐれが終わったかとゲオルクがほっとしていると、エリザベートと同じ位には図書館に通って勉強をしている少女、ミナがやってきた。


「ここ数日、ベリク伯爵令嬢はいらしてないのですか?」


 ――何故それを自分に聞く。

 若干苛立ちながらも、傍から見ればエリザベートと常に一緒にいたようなものだ。予定などを知っているのかもと思われたのだろう。


「そのようですね。彼女に何か用事があるのでしたら、私ではなく彼女のお友達や担当教師に声をかけてみてはどうでしょう。私は無関係なので」


 気持ち最後を強調して言えば、ミナは苦笑しながら「ですよね」と言って離れていった。

 そんなやりとりもあったものの、何とも平和な時間が流れていった。静かで、司書の仕事が邪魔されず、さらに空いた隙間時間には魔術の事も考えられる。これが本来のゲオルクの日常で図書館の日常だった。

 戻ってきた日常に安堵するものの、ゲオルクの頭の片隅では不安のような苛立ちのような形容し難い不快感があった。エリザベートの消え方があまりにも突然で不自然だったからだろう。


「ゲオルク、明後日例の隣町の仕事だけど、どうする?」


 同僚に声をかけられて、あれだけ希望の光のように思えていた仕事を忘れていたことに気が付いた。


「どうするって?」

「いや、ベリク伯爵令嬢から逃げるために入れたようなもんだろ。このまま来ないんだったらわざわざ行かなくてもいいのかなって」

「ああ、けどまぁ行くって言ったからには行くさ。金も欲しいしな」


 答えれば相手はほっと息を吐いた。どうやら来ないのではと疑われていたらしい。もしくは雑談をするのも躊躇われる空気にしていたのか。

 反省しながら隣町での作業の事を考える。

 少し前までは逃避の為の仕事だったが、今は気持ちを切り替えるいい切っ掛けの仕事になるかもしれない、と思いながら、その日も平和に司書の仕事を終えた。




 あれは誰だ。

 ゲオルクと同僚は、ぽかんと口を開けて目の前の光景を凝視していた。

 隣町の図書館。蔵書の入れ替え作業の手伝いに来てみれば、そこにエリザベートがいた。ただし、けばけばしい華美な装いではなく、質素で控えめなそれでも質の良さを感じさせる品のあるごく一般的な貴族令嬢の装いで、真面目な学生らしく本を見ながら必死に勉強をしていた。


「……ゲオルク、あれ」

「ああ」

「ベリク伯爵令嬢?」

「ああ」


 信じられないという思いでゲオルクと同僚はエリザベートを見つめる。全然違う。学園の図書館でのエリザベートとは違い過ぎる。

 いや、違い過ぎるというわけではない。戻ったのだ。ゲオルクに付きまとう前のエリザベートはあんな感じだったはずだ。記憶にある。見覚えがある。だからこそゲオルク達は数日前とは別人になった彼女をエリザベートだとわかったのだ。

 二人が見ていると、司書の一人が近づいてエリザベートに笑顔で何か話しかけている。そして気付いたエリザベートも笑顔になり、司書から本を受け取って礼をとっている。司書と利用者の一般的なやり取りは、けれど互いの気安げな態度から親密に見えた。


「えぇ……? 何あれ、鞍替え?」


 ぽつりとつぶやいた同僚の言葉に、ゲオルクの心中に嵐が吹き荒れる。

 鞍替え? 本当に? それならありがたいけど、あれだけ自分に言い寄っておいて? しかも別人になって! あんな状態の彼女だったら俺だってもっと違う対応が出来たのに……! いやいや、ないない。というか何故ここにいるんだ。どうやって俺がここに仕事で来ることを掴んだんだ。何を企んでる。プレゼントを持ってくると言って来なかった。思わせぶりな事を言っていなくなって、押して駄目なら引いてみろ的な? だとしたら何故こちらに気付かない。それとも気付いて無視しているのか。声をかけられるのを待ってる? だがちらりとも見ない。わからない。考えが読めない。何が目的だ。

 怒りと気持ち悪さと疑念がすべて内包されている混乱。


 とりあえずここの司書達にもエリザベートの人となりを伝えた方がいいのでは、という同僚にせかされ、入れ替え作業の手を休めないまま先ほどエリザベートと話をしていた司書に話しかける。


「あー、君がゲオルク君かー、聞いてる聞いてる。大変だったみたいだね」

「聞いてる?」


 一体誰に、と思って問えば、返ってきた答えは「ベリク伯爵令嬢」だった。


「ベリク伯爵令嬢が学園に通ってるって話は知ってたから、学園の図書館の方が勉学に適してるんじゃ? って聞いちゃったんだよね。で、そちらでのやらかしを話してくれたわけ」

 反省してるみたいだよ、と言われて、再びゲオルクと同僚はポカンと口を開けてしまう。

 あれだけ付きまとっていたエリザベートが、プレゼントを持ってくると言っていたエリザベートが、こちらに何の謝罪も通達もなく反省している?

 とてもではないが信じられなかった。納得できなかった。訳が分からなかった。


「ま、まぁ、これで解決ってことか?」


 同僚の声に「そうだな」と返して、けれど胸のもやもやは消えなかった。同時に、純粋な疑問も残った。

 ……結局、素敵なプレゼントって何だったんだ?

 わからないことだらけだ。自分一人で考えても判断材料すらそろっていない。

 それならば。


「素敵なプレゼントとは何だったのですか?」


 直接聞くのがいいだろう。そう判断して、ゲオルクは休憩中のエリザベートを捕まえて問いただした。


「私がいない毎日ですわ」


 エリザベートの顔色はおかしなことになっていた。ゲオルクが捕まえた時には血の気が引きすぎて真っ白だったが、今は変に赤くしている。その表情はかろうじて微笑みをたたえてはいるが、どう見ても引きつっている。怯えているようで微かに震えてもいた。


「結婚の噂とか出てたんですが」


 だがゲオルクは引かない。今まで散々迷惑をかけられたのだ。そしてその自覚があるからこその怯えた様子なのだろう。ならば少しくらいの意趣返しも許される筈だ。身分差など知った事か、最悪コネはある。


「そこまで外堀を埋めても拒絶されていたので諦めました……あの」

「今までと随分雰囲気を変えられましたね」

「淑女としてあるまじき姿だったと反省しました……あの、ゲオルク様、近いのですが」

「反省。それならまず俺への謝罪が先では?」

「お姿を拝見するのも心苦しく……近いです、近いですゲオルク様」

「その心苦しさを甘んじて受け入れてこその反省だと思いますが」

「返す言葉もございません……ッせめて腕を下ろしてください! 捕らえられているようで落ち着きません!」


 図書館の片隅でゲオルクはエリザベートを壁へ追い詰めていた。エリザベートは目の前のゲオルクから少しでも距離をとるために壁にべったりと背中を張り付けている。左右は壁に手をついたゲオルクの腕で囲まれている。逃げることが出来ない、まさに捕らえられているような状況だった。


「捕らえているのですよ。先ほどからどうにも逃げられそうで」

「逃げません! 逃げませんから……か、壁ドン……ッ」

「『カベドン』?」

「何でもありませんわ!」

「そうですか……他に、何か言うべきことは?」

「……」

「言うべきことは、ありませんか?」

「……」


 謝らないのか。

 ゲオルクは苛々としながらエリザベートを睨みつけた。けれどエリザベートとは目が合わない。エリザベートはゲオルクに呼び止められた瞬間からずっと視線を伏せ気味だ。

 小動物のように震え続けるエリザベートは何も口にしない。いっそ「言うべきことは無い」と言い切ってくれれば、貴族様が平民に謝るわけもないか、本当の意味で反省はしてないのか、と内心見下すことも出来るが、エリザベートはただ沈黙を選んだ。

 視線を合わせないエリザベートと、睨み続けるゲオルク。

 長いような短いような沈黙の時間に根負けしたのは、ゲオルクだった。


「もういいです。貴女が今後私に関わらないのなら今までの事は水に流します」


 大きな溜息をついて腕を下ろす。震えを止めてほっと息を吐いたエリザベートは目を伏せてそっと微笑んだ。


「ありがとうございます」


 謝罪はしないが、礼はする。何ともすっきりしないちぐはぐな態度に、ゲオルクは毒気を抜かれてもう一度溜息をついた。


「どうぞお元気で」

「ゲオルク様も」


 柔らかな声色だった。まるで心底そう思っているかのような。

 足早に遠ざかっていくエリザベートの背中を見ながら、ゲオルクは一度も目が合わなかった事実に気が付いた。人の仕事を邪魔してでも覗き込んできていた彼女が。

 一体エリザベートに何があったのか、謝ったら死ぬ病にでもかかっているのだろうか、と嫌味たらしく考えて、そこで大きく何度目になるかわからない溜息をつきながら首を横に振った。

 もう知らない。関係ない。そういう事でいいんだろう。それならば忘れよう。

 忘れよう、とまで考えたら、最後に見た目を伏せた静かな微笑みが頭に浮かんだ。正直に言ってしまえば、綺麗だった。


 綺麗だったのだ。今日のエリザベートは。


 今日のエリザベートが常識的な範囲でゲオルクに思いを寄せてくれれば、今何かが違ったかもしれない。二人の間には純然たる身分差があるものの、ゲオルクが本気で魔術師として身を立てようと動けば、最低でも魔爵位という男爵位と同等の爵位を得ることが出来る。魔術師としては国の上層部とも交流がある事を考えれば、身分差はそれほど問題にはならないはずだ。

 けれど、ゲオルクと付き合ったらどうなるのか? 恐らく、また調子に乗るのだろう。そうしたらあのゲオルク好みの女性はいなくなるかもしれない。そもそも、現時点でも()()()()()()()()()()()のだ。そんな人間とまっとうな関係など築けまい。そう思うと、やはりエリザベートとどうこうなるのはゲオルクにとって無しだ。

 無し、なのだが。

「……」

 一つ、付きまとう違和感があった。



 ◇ ◇



 思い出した。思い出した思い出した、これ『ラブ♡ハンター~ミナのお仕事~』じゃない思い出した!!

 あっぶな! いたわミナ! あのままゲオルク様に言い寄ってたら社会的に殺されてたわ!

 ラブコメ漫画『ラブ♡ハンター~ミナのお仕事~』通称『ラブハン』は、現代社会的な思考のミナがファンタジーな世界や恋愛漫画のド定番やお約束を色々ぶった切ってはラブをもぎ取っていく基本は一話完結のコメディだ。

 基本はスカッと系でたまにちょっとセクシーラブロマンスもあって、結構老若男女に受け入れられてたはず。で、深夜ドラマ受けする監督が低予算丸出しだがそれがいいって感じのドラマにしてたはず。は~、どうせならそのドラマ化キャストの顔で生まれ変わらせてほしかったわ! ゲストキャラは毎回豪華キャストだったのに! 漫画ベースの平凡顔なんて残念!


 そう、これはここではない世界の記憶。かつての私の記憶。

 私は別の世界の人間の生まれ変わりだ。

 面白いもので、思い出したとはいえ自分がエリザベートだという認識は揺るがなかった。感覚としては、幼少期の日常を思い出した感じ。思い出が増えただけ、というような。そんなこともあったな、という程度の薄っすらとした実感。


 あのままいくと、私、魔女のミナに『図書館は静かにって幼児でも教わるんだが?』『脳みそ花畑か?』ってモノローグで突っ込まれながら、魔法で本当に口を縫い付けられて頭に花咲かせられて泣き呻いて発狂気絶コースだ。そりゃ一話完結ラブコメ漫画の当て馬キャラならそれでいいけど、気絶したとたん治るけど! 私! 生きてる! この世界で! 今後も生きてくの!! 終わりでしょそれ!!

 それで確かゲオルク様も一度はミナがラブゲットするけど、私が退場した時の様子とかミナとのやり取りで『いや俺様DV野郎かよ、普通に性格クソ悪いじゃん、無理無理現実には絶対無理』って突っ込まれてふられるのよね、流石一話完結もの。


 正直DVは『謝罪をする』っていうDVスイッチをいれなければ大丈夫なはずだし、ゲオルク様くらいの俺様具合はこの世界においてはそこまでドン引き案件ではないから、私としてはアリ寄りのアリなんだけど……諦めましょう、人生が終わるわ。

 ゲオルク様に謝りたいけどDVスイッチ入っちゃうから出来ないし、何よりミナがいる図書館に近づきたくないし、もうこれはフェードアウトしかない。すべてほっぽり投げさせていただきます。よかった、まだ取り返しのつくところでよかった。


「お嬢様、この婚姻届けはどうお渡しするご予定ですか?」

「え? ああもうそれ破っちゃって」

「……よろしいので?」


 侍女が目を丸くしながら確認してくる。そうだよね、不思議だよね、昨日までは「これをゲオルク様にお渡しするのよ! そして私達は結ばれるの! お父様とお母様? 既成事実を作ってしまえばどうとでもなってよ!」などと宣っていた頭のおかしいお嬢様だったものね、ごめんなさいね。


「やはり権力でどうこうするのは間違っていたわ。もう学園の図書館に通うのもやめます。装いも元に戻します。かつてのようにつつましやかに学生の本分を務めましょう」

「お嬢様……ッ」


 侍女がブワッと涙ぐむ。どれだけ彼女の心に負担をかけていただろう。よく見りゃ目の下隈が出来てるわ。ゲオルク様とお揃いね。私最低ね。本当にごめんなさいね。


「お、お嬢様が、元に戻られた……よかっ、よかったぁ……!」


 うっうっと泣き始めた侍女に心苦しくなる。正確には元には戻ってないわ。戻りすぎたわ。結果としてよかったけれど。そう、元に戻ればいいのよ。


「もう噂を流したりしなくてよろしいのですね? お嬢様に似合わない化粧や服を選ばなくてよろしいのですね?」

「そ、そうね。悪かったわ」


 似合ってなかったのか。べ、別に泣きたくなんかないわ。い、イケてる女性を演出したかっただけで好みの恰好じゃなかったし。本当だし。

 今もまだゲオルク様が好きで好きでたまらないけれど、破滅の人生を受け入れてでも進む気にはなれない。元に戻ろう。女の身で伯爵位を継ぐ際なめられない様にと魔術使いを目指していた私に、図書館へは純粋に勉強の為に通っていた私に、よくいる真面目な貴族令嬢の私に戻ればいいのだ。


 学園の図書館ではなく隣町の図書館で勉強をするようにしましょう。多少遠いけれど、あそこは蔵書がよかったはず。というか、前世を思い出したら俄然魔術使いへの道のりが楽しみになってきたわ。前世では魔力も魔術もなかったものね。夢物語みたい。こっちではただの技術だけど。


「よし、まっとうに頑張りましょう」


 ゲオルク様は強く生きてください。ミナは早く別の話の舞台に移動してください。



 ◇ ◇ ◇



 思い出した。思い出した思い出した、これ『ラブ♡ハンター~ミナのお仕事~』じゃん思い出した!!

 あっぶな! あのエリザベートとゲオルクか! あのままだったら苛々発散でエリザベート社会的に殺してたわ! これ現実! 伯爵令嬢に何すんだよ怖ぁ!!

 ラブコメ漫画『ラブ♡ハンター~ミナのお仕事~』通称『ラブハン』は、現代社会的な思考のミナがファンタジーな世界や恋愛漫画のド定番やお約束を色々ぶった切ってはラブをもぎ取っていく基本は一話完結のコメディだ。

 基本はスカッと系でたまにちょっとセクシーラブロマンスもあって、結構老若男女に受け入れられてたはず。で、深夜ドラマ受けする監督が低予算丸出しだがそれがいいって感じのドラマにしてたはず。は~、どうせならそのドラマ化キャストの顔で生まれ変わらせてほしかった! ミナのキャスト私の推しだったのに! 一万年に一度の美少女だったのに!


 間違いない、これは前世の記憶。ここじゃない世界で生きていたかつての私の記憶。

 私は別の世界で生まれ変わったんだ。

 不思議、思い出したけど私は私、ミナという感覚は揺るがないわ。前世の記憶ってこんなものなのね。なくしてたおもちゃが見つかって「あー、あったあったこんなの」って子供の頃を思い出した感じ。いくつかの黒歴史にちょっと恥ずかしさを覚えたりはするけど、幸せだった思い出にほっこりすることもある。それはすべて、あくまでミナとして。


 エリザベートは明日プレゼントを持ってくるって言ってた。それってつまり、明日豪華行列で図書館に入ってきて逆プロポーズするってことよね。フラッシュモブか。普通に馬鹿で恥ずかしくて迷惑な行為だけど、平民の私が口出しできることではない。さすが漫画、さすがコメディ漫画、さすが次のページでは怪我もなくなってる漫画。しかしこれは現実、魔法使ったら魔力痕跡調べられる現実、貴族と平民の立場の差がはっきりとしている現実。私は絶対にエリザベート様に傷一つつけねぇぞ!! でも逆プロポーズちょっと笑えそうで見たいから明日はこっそりのぞきに行こう……。


「……いや来ないな?」


 図書館のいつもの席で勉強をしながらも、ちらちらとゲオルクの方を見ていたが、終業の鐘が鳴ってもエリザベートは来なかった。

 ん? 何があった? あれ? 聞き間違えた? 明日じゃなくて明後日だった? それともゲオルクの家に押し掛けることになったとか?


 数日様子を見てもエリザベートは来ない。勇気を出してゲオルクに声かけて様子を探っても、エリザベートの消息はつかめなかった。

 何だろう。何か問題が起こったのかな。まぁそもそもエリザベートの行動自体が問題だったんだけど……それかな? とうとう伯爵家でストップがかかったとか?

 そう、この世界は現実。それならエリザベートを止めるべきは赤の他人の私じゃなくて、一番身近で貴族として責任も良識もあるはずの家族だろう。

 物語の面白い部分を見損ねたような残念さはあるものの、きっとこれでいいんだと思う。平和な図書館が戻ってきたわけだし。エリザベートの他には今のところ騒音発生装置になってる人はいないし。


 ふと、エリザベートの事を抜きにして、ゲオルクの事をじっと見てみる。『ラブハン』では一話限りとはいえ私の彼氏になった人だ。そりゃ気になる。

 ……普通にいい男だな。そりゃ絶世の美男子とか王子様とかじゃないけど、不健康そうではあるけどガタイもよくて、それなりの顔で、魔術師として優秀なんでしょ? 同じ平民。いい物件じゃん。なるか? ラブハンター。俺様部分は調教すれば矯正できるかな……それならありかも……いやでも謝ったらDV野郎として覚醒するからな、それ面倒くさいな、あと五話目くらいの将来有望なショタの方が好みだからなぁ。


 ……待てよ? もしかして他のキャラクターも現実の人間としているの? え、ショタ君も? それなら断然ショタ君をハントしたいんだけど?!


 やっぱゲオルクはなしだな、うん。エリザベートもいなくなったことだし、ゲオルクは平和な図書館で平和に過ごしてくれ。




 ■




 何だこれ。

 エリザベートとミナは向かい合って全く同じことを考えた。


「お集まりいただきありがとうございます」


 エリザベートとミナは学長から呼び出されて学園のカフェテラスへやってきていた。指定された席へ近づけば、そこには避けていた人物がいて、気が付けば周りを各科目の教師が囲み、最後にやってきたのはゲオルクだった。


「げげげゲオルク様? 私学長に呼ばれたのですが? これは一体どういった集まりで?」

「貴族のベリク伯爵令嬢と同席だなんて恐れ多い事でございます退席させていただきます」


 状況を把握しきれなくて動揺するエリザベート。即座に脱出を試みるミナ。しかし教師たちの囲みは崩れることなく、皆着席を促してくる。

 二人が渋々、怯えながらも用意された椅子に腰を下ろすと、教師達の背後から二人を呼び出した学長が出てきた。


「エリザベート君、ミナ君、突然すまなかったね。少し困ったことになっているので話をさせてほしい。いいかな?」


 白ひげを蓄えた柔和な笑顔の学長は、二人を落ち着かせるようにゆっくりと落ち着いた声で話し始めた。状況はまるで読めないが、学園の総責任者である学長が言うのだ、生徒であるエリザベートとミナは大人しく同意した。


「先日、当学園の司書で魔術師のゲオルク君が、図書館に隠匿加工のされた質の悪い魔術が設置されているのを発見した。魔術の内容は精神関与。既に発動済み。そしてその対象者はゲオルク君とエリザベート君とミナ君という事もわかった」

「?!」

「はぁ?!」


 エリザベートが息を呑み、ミナが驚きの声を上げる。

 その様子を見てから、学長はゲオルクの方を向いて説明を促した。改めて二人に対峙したゲオルクが、調査結果らしい書類を手に話し始める。


「魔術の解析はもう終わっています。ベリク伯爵令嬢、貴女がここの図書館から遠ざかってくれたおかげで魔術は不発に終わったと言っていいでしょう、感謝します」

「は、はぁ……」


 突然話を振られて、エリザベートは何とも間抜けな返事をしてしまった。だが、冷静だったとしてもどう返せばいいのか。なんせ魔術をかけられていた覚えもなければ、解除するための対策をとった覚えもないのだ。


「ミナ嬢、貴女は魔女ですね?」

「ひぃ! そうです!」


 同じく突然話を振られたミナは、咄嗟に裏返った声で返事をする。


「あまりにも目的がわからない頭と性格の悪い条件式と効果の魔術で、はじめは質の悪い魔女が魔法か呪いで遊んでいるのかと思っていたのです。それで当事者でもあるミナ嬢を疑っていました、申し訳ございません」

「ととととんでもない! むしろ疑わしい魔女でご迷惑をおかけしました!」

「ごめんなさいごめんなさい反省してますから魔法も呪いもかけないでください!」

「しませんしませんそんな罪もない貴族の御令嬢に赤の他人の平民の私が魔法も呪いもかけません!」


 何故かエリザベートが怯えてミナに謝罪をし始めたので、ミナはミナで青い顔で必死に否定をする。そのまま何故か謝罪合戦にでも突入しそうな二人を、ゲオルクは咳払いで中断させる。


「それでどんな魔術なのかを簡単に説明しますと、まずベリク伯爵令嬢、貴女は欲望の制御を不能にして暴走を促す魔術がかかっています」

「まさか!」


 反応しながらもどこか納得する。ゲオルクへの恋心を自覚した瞬間から、ゲオルクを手に入れたい衝動が止められなかったし、常の自分では絶対にしないような言動ばかり繰り返していたのだから。


「ミナ嬢、貴女は周囲に敏感になりやはり暴走を促す魔術がかかっています」

「それで!」


 こちらは合点がいったとでも言いそうな反応だった。確かに一度エリザベートの五月蠅さが気づいたら気になって気になって仕方がなかったし、平民としての自覚のある自分ならば絶対に考えない貴族令嬢のエリザベートへの攻撃を決心していたのだから。


「そして私は嗜虐心加虐心などの暴力欲の増幅という魔術がかかっていました」

「「なるほどぉ!」」


 二人はものすごく納得した声を出した。


「『なるほど』?」

「「なんでもありません!!」」


 二人は即座に誤魔化した。

『ラブハン』の事を知っている二人にしかわからない納得なのだ。誤魔化すしかない。ゲオルクはかつての世界の社会通念で考えるとモラハラだったりDVだったりとあまりよくない男性に分類されるキャラクターだった。けれど現実のゲオルクは、少なくとも二人が知っているゲオルクは、真面目に司書の仕事をしているし不愛想ながらも人を傷つける言動はしない男だったのだ。


「さらに、それぞれの魔術が発動したら、互いが気になるようになる意識誘導の魔術が」


 それは本当に発動する確率が限りなく低いものだった。恋情を抱えた人間、その恋情を向けられかつ他の事に夢中で振り向かない人間、その二人に何らかの形で確実に攻撃できる『強さ』を持つ人間、この条件に当てはまる人間三人共が図書館の指定された範囲内に集まると発動するという厳しい条件。

 まるで何かの舞台装置のような、設置された意図がまるで分からないものだった。


「……何の目的で、そんな魔術が……」

「愉快犯、としか思えませんね。あの図書館では過去にも人間関係のもつれによる刃傷沙汰が起こっていました。周囲も認知している人間関係のもつれだったので魔術の関与は調査されていませんでしたが、恐らく過去の事件の原因もそれでしょうね」


 ぽつりとつぶやいたエリザベートに、ゲオルクは手に持っていた書類を渡しながら答える。そこには見つかった魔術の詳細と過去の事件が書かれていた。


「よく、わかりましたね……」


 一通り目を通したエリザベートが改めてゲオルクの顔を見ながら言う。称賛の意味で。


「エリザベート嬢が頑として謝らなかったから不思議に思いまして。謝らないのではなく謝れないのでは? と考えたのが始まりでした」


 エリザベートは今日何度目かの驚きを得る。すべての放り投げの逃走と前世の記憶によるDV回避が解決のきっかけになっていたとは。世の中何がどう結びつくかわからない。


「次に自分の感情が上手くコントロールできていない疑いがあり、まず自分を解析したら魔術がかけられていたことに気付きました。エリザベート嬢のお家は確か魔術抵抗の強い家系でしたね。恐らくそれで魔術がかかり切らなかったのではないでしょうか。だからこそ自身の行動を振り返りあの図書館から離れることが出来たのでは」

「魔術抵抗は、確かに当家系は……な、なるほど?」


 納得したように見せかけて、エリザベートは内心首をひねっていた。前世を思い出したから行動を止められたのである。魔術抵抗の強い家系とかは関係がない気がする。が、もしかしたら逆なのだろうか。魔術抵抗が強いから、抵抗の結果ギリギリで思い出せて魔術に逆らうことが出来た、ということだろうか。わからない。


「というわけでな、図書館に設置されていた魔術とゲオルク君にかけられていた魔術は既にゲオルク君が解除したのだが、君達はまだかかったまま。発動条件を考えれば一部分を解除した今は恐らく効果はなくなっていると思うが、まぁ目的も仕掛けた人物もわからない魔術だ、解除をした方がいいと思ってね。念のため図書館ではないここに集まってもらったんだよ。どうだい? ゲオルク君に解除してもらうかい?」


 最後に学長がそう締めれば、自然とエリザベートとミナは顔を見合わせて頷いた。

 もう既に魔術の効果は無いと言える状態。それでも、人生が歪むかもしれなかった魔術がかけられている状態だなんて受け入れられなかった。

 よって、二人の答えは一つである。


「ぜひお願いいたします」

「私もお願いします」


 エリザベートとミナがゲオルクに頭を下げれば、ゲオルクは「わかりました」と頷いて早速魔術の解除を始める。


 二人にかけられた魔術はすぐに解除された。何事もなく終わった事に、二人はもちろん、学長といざという時の為に集められた教師達も一様に安堵した。

 やれやれ、と解散の空気になった時、ミナがふと気づいた。


「……もしかして図書館以外にもこういう魔術が仕掛けられてたりしませんかね」


 図書館に仕掛けられていた魔術にかかったままだったら、恐らく『ラブハン』と同じ行動をしていたのだろう。それならば、『ラブハン』の他の話での舞台となるそれぞれの場所はどうなのか。もしや、同じような魔術が仕組まれているのでは。

 そう思ったミナが深く考えずに口にしたのだが、それに反応した者がいた。エリザベートだ。


「あ、第一教会とか……」

「?!」


 エリザベートが言った例えで出てくるにしては具体的すぎるその場所は、間違いなく『ラブハン』で舞台になった場所の一つ。

 ミナはエリザベートを食い入るように見ながらさらに続ける。


「そ、それと、ナイラ海岸とか?!」

「!! 後は、えっと、商業組合の学問所とか!」

「広場の串焼き屋とか!!」

「街の時計塔とか!!」


 ゲオルクも教師達も訳が分からない。図書館以外にも、という発想はわかる。けれどその後に出てくるのは普通学園内の他の施設ではないのか。何故エリザベートもミナも学園を飛び出して、さらに具体的な場所をあげるのか。何故場所を上げるたびに興奮していくのか。


「エリザベート様!」

「ミナさん!」


 何故目の前の二人は立ち上がって目を見開き興奮した様子で向き合っているのか。今の話のどこに興奮する要素があったのか。何故ガシッと強く手を取り合いぶんぶんと上下させているのか。何かを噛みしめているように見える二人は、多分お互い以外見えていない気がする。

 困惑する周囲をそっちのけで、二人は寄り添いこそこそと耳打ちして話しこみ始める。時折「うっそ!」「きゃあ!」「マジか!」「こんな事があるなんて!」と叫びながら。


「……お二人が挙げたところに魔術が仕掛けられているかはわかりませんが、気になるのなら調べましょうか?」

「「お願いします!」」

「……その場合、一応立ち合いをしてもらいたいのですが」

「「喜んで!!」」


 何故急に祭りにでも参加するような調子になっているのか。

 ゲオルクは事件を片付けに来たのに、別の事件に巻き込まれたような心地になる。後日また連絡をすると伝えてその場を解散させれば、エリザベートとミナは手を繋いで足取り軽く去っていった。

 ここへ来た時の困惑と警戒と恐怖に彩られた二人とはまるで違う、旧来の友人のような親し気な様子に、残されたゲオルクと教師達の心は一つになった。

 何だあれ。



 ■ ■



 後日、エリザベートとミナが「ここが怪しい」「ここも調べてくれ」という場所を調べたら、本当にその各所に同じような魔術が仕掛けられていた。


「……何故分かったんですか」


 訝しむゲオルクに対して、ミナは視線を泳がせて、エリザベートはあらぬ方向を見て首をひねる。


「いや、あの、今はもうわからないんですけどぉ! なんか魔術にかけられてる時に頭にホワンと浮かんできてぇ!」

「きっと設置した犯人の思考の残滓とか同系魔術の繋がりとかが流れ込んできたのではないかしら、いえ、よくわからないのですけれど」

「あー、多分きっとそんな感じぃ!」


 怪しい。だが一理あるゆえにそれ以上追及できないし、今更調べる気もない。ゲオルクはため息をつきながら「他は無いんですよね?」と念を押した。


「ありません!」

「無いと思います」


 胸を張って断言する二人はますますもって怪しいが、これを機に隠匿設置魔術対象の走査魔術を作り出したので、それを国に提出し使用を推進すれば何とかなるだろう、と考え、ゲオルクは諦念のため息をもう一つついた。


「では新規走査魔術の実践検証も兼ねた魔術解除を行いたいと思います。よろしいですか」

「構わん。進めよ」

「王太子殿下、もう少しお下がりください」


 この場の魔術を解除する作業。ゲオルクと何人かの魔術師がとりかかるそれに、何故かついてきたのはこの国の王太子だった。ゲオルクが国に注目をされている、という話は、正確にはこの王太子がゲオルクを買っているという事だった。


「ゲオルク、魔術展開中は話をしてもよいのか」

「話だけでしたら問題ありません」

「実はなぁ、近いうちに今の国営魔術団を魔術庁という魔力魔術により特化させた行政組織に組み替えようという話があってだな。そこの責任者と魔術使い魔術師の実力者が欲しいんだよ、私の息のかかった者で」

「……以前伺った話とは大分変わってきてますね」

「今回の件をあげればゲオルクは間違いなく候補になる。何だこの走査魔術は、凄いな。責任者としてもいけるし魔術師としてもいける。どうだ? 予算も桁違いになったぞ。あと権限も増える。まぁ義務と制限も増えるが」

「本当に予算が桁違いになったんですか? あれだけ渋られていたのに?」

「渋っていたのは貴族院だ。魔術庁は陛下の肝いりでな、大分もぎ取れたぞ」

「……この後お時間は」

「勿論あるぞ。正直今日は面白そうだから見に来たのが半分、もう一度お前を口説き落とすのが半分だ」

「責任者は御免蒙りたいですね」

「出世より研究か、これだから魔術師は」


 ゲオルクが王太子と話しているのを眺めながら、エリザベートとミナは周囲に聞こえないように小声で話す。


「ゲオルク様ってやっぱり優秀なんですねぇ、漫画ではアレな結果でしたけど」

「王太子殿下にあれだけ目をかけられてるってよっぽどですよ、ドラマでもアレな事にしちゃったけど」


 二人は目を合わせてフフッと笑う。お互い転生者という共通点があるものの、二人とも今の立場を踏み外すことはしなかった。あくまでエリザベートとミナ。伯爵令嬢と平民。それを弁えた上で身分差を超えた良き友情が結ばれた。


「ミナはどう思います? あの魔術って『ラブハン』にするための強制力みたいなものだったのかしら?」

「うーん、難しいところですね。確か前の世界でも今の世界でも輪廻転生は時間が関係なくなるって聞いたことがあります。となると、あの魔術が発動した世界を生きた人が記憶をもってあっちの世界で生まれ変わって物語にしたとか、逆にあっちの世界で生きた人が生まれ変わって『ラブハン』と同じ状況を作ろうと魔術を仕掛けたとか、そういうのじゃなくてもっと高次元な存在の我々には想像も及ばない仕業とか……色々考えられますからねぇ」

「今更ですけど、そもそも私達の記憶も怪しいですよね。実は前世じゃなくて誰かに『別の世界を生きた誰かの記憶』を植え付けられている可能性だってあるわけですよね」

「ええ?! さすがにそれは、無いと、信じたい……!」


 二人は、うーん、と唸って答えの出ない考えを巡らせる。答えは出ない。けれど、こうして考えられる余裕がある日常を得られたのは事実だ。

 今はそれでいいだろう。社会的に殺されることなく生きているのだ。この先はきっと自分達で好きに紡いでいける。


「あ、全部終わったみたいですね」


 ゲオルクと他の魔術師達と王太子殿下が、作業も話も終えて解散している。挨拶を終えたゲオルクがエリザベートとミナの方へ向かってきていたので、二人は自然と会話を終える。


「お待たせしました。すべて終わりましたので、お二人の立ち合いも今日で終了となります」


 すべての終了の報告に、二人はホッと胸をなでおろす。


「ゲオルク様、本当に今までご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。そして魔術の解除まことにありがとうございます。これで私もミナも心安らかに過ごすことが出来ます」


 心からの謝罪と感謝。魔術の解除をしたゲオルクがそれを見ても、当然加虐心は疼かない。


「いや構いません……ところで、ベリク伯爵令嬢は今が本来の性格なのですね」

「え、あ、はい」


 暴走していた時を思い出してか、エリザベートは視線を斜め下に泳がせて俯いてしまう。


「あの、私にかけられていた魔術は、欲望を抑えられず暴走する、というものですよね」

「そうですね」

「では、その……わ、私の、その、欲望の事ですが……」


 エリザベートの欲望、それは少女らしい恋心による独占欲。

 本来のエリザベートならひっそりと想ってちょっとしたことで一喜一憂する恋をする筈だったのだ。それがどうだ。あんな暴走をして好きな相手にも周囲にも迷惑をかけ、何もかも全て知られているというこの状況。とても耐えられるものではない。


「ど、どうか、忘れてください……」


 落ち着いた服装に似合いの化粧。令嬢として身についた礼儀正しい所作。楚々とした清々しくも可愛らしい笑顔に、顔を赤く染め恥じらう顔。消え入りそうなか細い声で懇願する所在の無さ。

 ゲオルクの加虐心は疼かなかったが、それに似た何かがむくりと首をもたげていた。


()()()()()()()()()()?」

「え?」


 平民らしからぬ、けれどどこかゲオルクらしい物言いに、エリザベートは思わず顔を上げて、そして見てしまった。

 そこにあったのは、とても楽しそうな、けれど少し怖いゲオルクの笑顔。

 エリザベートは知っている。これは、ゲオルクが好きなものと向き合う時に見せる顔だ。

 それが今、エリザベートの前で。


()()()()()()()、魔術がすべて解けたから言いますが、今の貴女なら俺は喜んで受け入れますよ」

「?!」


 その笑顔が向けられている意味が、その言葉の意味が、解らないわけではないが信じられない。エリザベートの今までが今までだ。いくら魔術によるものだったとはいえ、迷惑しかかけていない。嫌われている自覚しかない。

 それなのに。だがゲオルクはずっと笑顔で、今にも餌に食い付きそうな、あの獰猛にも見える笑顔で。


「エリザベート様これチャンス!」

「え、え?」


 エリザベートの袖を引いて耳打ちするのはミナ。その声は降ってわいた恋愛の気配に興奮している。


「だってゲオルクさんって俺様DV野郎じゃなかったってことでしょ?! そしたらただの王太子様の覚えもめでたい魔術師として将来有望ないい男ですよ! 伯爵家の婿としてもいけるんじゃないですか?!」

「え、え、ええ?!」

「私は商業組合のショタを狩りに行くんで! エリザベート様も落としちゃえばいいんですよ!!」


 いい笑顔で、親指をグッと突き立てるというこの世界には馴染み無い仕草をするミナに、現状を信じられない理解できないエリザベートの頭は破裂した。


「ら、ラブハンターがすごいこと言ってくるぅ!!」


 真っ赤な顔のまま、やはりこの世界には馴染み無い単語を叫び、淑女にあるまじき全力疾走でその場から逃げ出した。

 一瞬呆然と立ち尽くすゲオルクとミナだったが、すぐに我に返ってエリザベートを追いかける。いくら安全で開けた街中とはいえ、伯爵家令嬢を一人にするなどもってのほかである。


「エリザベート嬢! 単独行動は危険ですから止まってください!」

「私別に誰でも彼でもラブハンターになるわけじゃないからね?!」


 所詮は貴族令嬢、必死の平民の足には敵わない。すぐ捕まった鬼ごっこはそれでも街中の人に目撃され、図らずもかつてエリザベートがゲオルクに対して外堀を埋めた噂に寄り添うように、ベリク伯爵令嬢ばかりではなく魔術師ゲオルクもかなり惚れ込んでいるようだ、という更なる噂が広がっていく。それを聞いて笑ったのは誰で、満更でもない顔になったのは誰だったのか。




 なんだかんだで今日も学園の図書館には三人が揃う。かつてのようにそれぞれ真面目に仕事や勉強に励み、それでもかつてとは違う関係性になって。


「エリザベート嬢は魔術使いになりたいんだろう? 有能な魔術師と仲良くして損はないぞ」

「待ってください待ってください、口調、弁えた俺様ってちょっと好み過ぎます待ってください」


「エリザベート様早くダブルデートしましょうよ、私はもう無事にゲットしましたよ」

「早いわ早いわ、噓でしょう、どうやって落としたのラブハンターの本気怖いわ」


 彼女と彼女に起きたいくつかの不思議と奇跡が、今後も生きていく彼女たちの人生においてどんな影響を与えていくのか。

 それは彼女たち次第となる。



2024/06/10 誤字修正

2024/06/13 誤字修正

2024/06/16 誤字修正

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[一言] ゲオルク好きすぎる!!
[気になる点] ラブハンター・ミナのショタ狩り編もぜひ。
[一言] ラブハンターのハンターランクが高すぎる……w
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