99.作業仲間と年下の先輩
「ヘルムートさん、どうっすか〜。もうこれくらいでいいんじゃないですか〜?」
「う〜ん、もう少し汚れを取っておいてくれ」
オレは今、演劇部の部室……というか専用の部室棟の2階、役者グループの稽古場の天井を清掃しているのだ。
天井は照明のシャンゼリアに立てられたロウソクから出る煤でどうしても汚れてしまう。
ちなみにシャンゼリアは王宮に飾られてるような豪華なヤツじゃなくて、あくまで照明器具として使われている簡素なものだ。
それを大道具係が定期的に清掃するのだが、それに駆り出されているというわけだ。
なんで大道具係だけがってちょっと不満はあるが、特に役者連中には怪我させられないんで仕方がないのだ。
まあそれはともかくとして。
シャンゼリアを吊り下げている箇所ごとに三脚を登って天井を拭き上げているので、首と両腕がもう限界、これ以上はムリッ!
と言いたいところだが許してくれそうにない雰囲気なので、そのまま作業を続ける……ふぅ。
「よし、それくらいでいいだろう」
やっと、大道具係の責任者ヘルムートからOKが出た。
俺は慎重に梯子を下りていく。
「お疲れさま。まあまあ、綺麗になったんじゃない?」
ねぎらいを言ってくれたのは、三脚の足元を支えてくれていた、同じ大道具係の女子レオナだ。
彼女はオレと同じ2年生で下級貴族。
ヤニクやギーゼラと同じクラスに所属している。
部活中は髪をまとめて頭にタオルを巻いている作業着姿が印象的だが、制服姿に戻るとミディアムヘアの可愛い系女子という感じだ。
「いやいや、オレ一生懸命拭いたんだぜ? メチャメチャ綺麗になってるよ」
「はいはい、それじゃあ、それでもいいよ〜」
オレ的には会話しやすいタイプかもしれない。
さて、それじゃ三脚を持って1階に引き上げるか。
「あっ! タツロウく〜ん!」
アンジェリカの声だ。
作業中は休憩室に行っていた役者グループの連中が丁度戻ってきた。
アンジェリカは満面の笑みでオレに向かってブンブンと右腕を振ってくれている。
その横にはソフィアもいて、いつもの微笑みで軽く手を振っている。
オレは彼女たちに左手を2、3度振って会釈し、そそくさと稽古場を後にした。
なんかつれない態度じゃないかって?
だって、ヘルムートが一緒にいるから。
彼女たちとはあまり親しく話したり接したりできないのだ。
そのヘルムートは、部長室に寄っていくと言ってさっさと行ってしまったので、オレとレオナだけで三脚や道具を持って階段へ向かう。
その途中で今度はレオナが話しかけてきた。
「あっ、ごめん。三脚はあたしが持つよ〜」
「いやいいよ、結構重いし」
「いやいや、作業はタツロウ君に全部やってもらったんだよ。それくらいはやらせてっ!」
「まあ、いいけど」
レオナは三脚を受け取り、ちょっと重そうにしながらも歩きながら話しかけを続けてくる。
「タツロウ君ってさ……アンジェリカとは仲がいいっていうか親しい仲なの?」
「まあ一応。先月のスキー旅行で同じ初心者グループに入って、一緒に頑張ったんだ」
「それだけ?」
何が聞きたいんだコイツ。
ヘルムートに変な風に伝わると面倒だから、ここは当たり障りの無い範囲で答えよう。
「そうだよ」
「ふ〜ん。でもアンジェリカが演劇部の男子に、あんなに嬉しそうに手を振るところなんて見たこと無いんだよね〜」
「そんなの別に意味は無いだろう。それに演劇部以外の男子にどうしているのかまでわからんだろうが」
「それはそうなんだけど〜。あっ、ソフィアとはどうなの?」
「彼女とは同じクラスだし、別の部活で仲間だったこともあるし、そういう意味では親しいけど」
「そう。でも彼女、いつもより楽しそうな顔して手を振ってたから何かあるのかなって」
「いつもと同じ微笑みだったけど?」
「いやいや全然違ってた。タツロウ君、人に『鈍い』とか『気がつかない』とかよく言われない?」
コイツ、オレをなんだと思ってんだ。
しかしつまらないことで事を荒立ててはいけない。
「そんなこと言われたことねーな」
「えー、絶対ウソだ〜。まあそれはいいとして、別の部活っていうのは錬金術なんとかっていう奴でしょ? 学園祭で不良グループに襲われたところ」
「そうそう。あの時は大変だった」
「それをやっつけたのがタツロウ君だよね。だから正直、もっと怖い人だと思ってた」
「正確にはあの時は助けに入ってくれた奴もいたけどな。オレってそんなに怖いと思われてたのかよ」
レオナは言葉を選んでいるのか、返事をするのに少し間をおいた。
そんなに考えるほどのことでもないと思うんだけどな。
「うん、思ってた。だから初めて話したときは、案外普通に話せる人なんだなってびっくりしちゃった。作業も真面目にこなしてるし」
「なんだよそりゃ。オレはやらなきゃいけないからやってるだけで真面目じゃない」
「まあまあ、そんな謙遜しなくても。これからもよろしく頼むよ、タツロウ君。ウフフ」
演劇部に入って既に1週間近く経つが、大道具係には知り合いもいないし疎外感を感じていたというのが本音だった。
でもレオナとは一緒に作業することが多かったせいか、打ち解けて会話できる作業仲間ができたのは素直に嬉しい。
しかし楽しい気分を打ち壊すようにオレたちに向かって怒声が飛んできた。
「おい2人とも! 忙しいんだから戻ってきたらさっさと手伝ってくれよ!」
おっと、いつの間にか大道具係の作業場についてしまっていた。
「「はいはーい!」」
返事が思わずハモってしまったオレたちは、ちょっと顔を見合わせてから中へ入っていった。
◇
「失礼します、オリヴィア部長。おはようございます」
「やあヘルムート。もしかして彼のことについて報告かな? そろそろ逃げ出しそうかい?」
「あ、はい。それがですね……なかなか、今のところは難しいです」
「どうしたのさ、ヌルい作業ばっかりやらせてるんじゃないの?」
「いえ、この1週間は重い荷物ばかりを運ばせたり、単調で面倒な作業を多くさせたりしたのですが、音を上げる様子がなくて。今日も、2階の天井の清掃を全部やらせたのですが……」
「なるほどねえ。なかなか根性ありそうだね、彼は。でも結局は単純作業しかできないんだろう?」
「そうなんです。だからこのまま所属させても雑用係としてしか使い道はないですね」
「う〜ん。まあいいよ、焦らなくて。とりあえず次の定期発表会までは使えるだけ使い潰せばいいから。彼が『木刀のタツロウ』の評判通りなら、そのうちボロ出すでしょ。それを理由にクビに追い込めばいいさ」
「わかりました。あと、少し気になる点もあるので、それで追い込めるかもしれません」
「へえ、どんなことなの?」
「確証を掴んでからお話します、それまでお待ちを」
「わかった。まあ、楽しみに待ってるよ」
◇
あー、作業の連続で疲れた。
キリのいいとこまで終わったし、ちょっと休憩しようかな。
「おいお前! さっき頼んだ作業、全然終わってねーじゃんかよ! さっさとやれや!」
何だよ偉そうに。
声の主は1年生の男子でドミニクだ。
「ちょっと休憩してからやるよ、それならいいだろう?」
「いいやダメだ。俺が作業始めるのがその分遅くなるだろうが!」
このやろう、腹立つなあ。
年下でもここの作業では先輩だから命令口調なのは、まあ我慢する。
でもよお。
「おい、せめて『アンタ』とか呼べよ。年上に『お前』呼ばわりはねーだろうが!」
「うるせーんだよ。俺より作業できねークセに、そんな奴はお前で十分だ」
オレは頭がブチッとなりかけたが、レオナがタイミングよく間に入ってくれた。
「2人ともいい加減にしなよ! タツロウ君、ここはあたしの顔を立てて引き下がって。ドミニク君もさ、彼は作業続きだから休憩させないと却ってミスとか事故の元だよ。急ぎならあたしが手伝うから」
「わかったよ」
「……いえ、レオナさんの手を借りなくても大丈夫っす」
ふう、なんとか収まって、オレは内心ホッとした。
それを見抜いたかのように、レオナは話を蒸し返さないようにとオレに釘を刺した。
「ドミニク君も、忙しいのに作業を次々と割り振られてストレスが溜まっているんだと思うの。だから多少のことは我慢して。どうしても無理だったら先にあたしに言ってくれればいいから」
「わかった、わかったよ」
「ありがとう。それじゃあ休憩に入ろっか」
こんな感じでまだまだ演劇部に、そして大道具係に馴染めていない。
でも焦っても仕方がないから少しずつ仲間を増やしていくだけさ。
ところで、よく考えたらオレは年上のマクシミリアンを『お前』呼ばわりしてるよな……。
でも今更『マクシミリアンさん』とかこっ恥ずかしいし、どうしたものか。
◇
やっと今日の作業が終わった。
作業服から制服に着替えて、すぐに寮へ帰ろう。
それはいいけど、ソフィアとアンジェリカに出くわさないように気をつけねば。
1階の作業場からの出口でキョロキョロと辺りを見回す。
そして部室棟の出口でも再度周りを見渡して。
よし、2人ともいない。
オレは部室棟の前を通る道を寮に向かって早足で歩き出す。
ああ〜、面倒な生活だよ。
役者たちと裏方スタッフが親しくしてはいけないとか、芸能界じゃあるまいし。
早いところ錬金術研究会に戻りたいぜ。
「ちょっとタツロウ! 毎日ソフィアを置き去りにして帰るなんて、あたしが許さないんだからね!」
うわっ!
突然どこからかサンドラの怒鳴り声が!
戸惑って動きを止めてしまったオレは、建物の陰から出てきた2つの人影に取り囲まれてしまった。
何だ、誰からの襲撃だ?
「……タツロウ君。今日こそは逃しませんよ」
「タツロウくん! どうして、わたしと一緒に帰ってくれないの!?」
ゲゲッ、ソフィアとアンジェリカじゃないか!
でもサンドラがいない。
いやひょっとして。
「……ちょっとサンドラの声をお借りしました。彼女の強い口調なら、貴方の動きを必ず止められると思ったのです」
そうだ、ソフィアはモノマネが得意なのだった。
それよりもヤバい、こんなところを誰かに見られてヘルムートや部長に知られたら!
「わ、わかったからさ。急いでここを離れようぜ。オレは疲れて早く帰りたかっただけなんだ」
オレたちは寮へと一緒に歩を進めつつ、彼女たちから厳しい追及を受ける。
「……本当に、疲れて早く帰りたかっただけなのですか? さっき、部室棟から出る際に周りをキョロキョロと見渡してましたが」
「そ、それはだな。出口で通り掛かった人にぶつからないように気をつけていただけさ、あはは」
「今日も、稽古場で会った時にわたしが手を振ったのに、素知らぬ顔で行っちゃって。でもレオナとは仲良く話してたよね!?」
「あ、あの時はずっと天井を向いて作業して首が痛かったんだよ。レオナとは次の作業の打ち合わせを話してただけさ」
弁明に務めるオレだが、彼女たちの不満はなかなか収まりそうにない。
だが、ソフィアがボソッと言った次の一言で流れが変わった。
「……この1週間、私はずっと置いてきぼりにされてしまいました。これでは、何のために貴方を錬金術研究会から追放へと事を運んだのか……あっ」
「えっ!?」
「ソフィア? 今何て言おうとしたの?」
「……コホン。な、何でもありません、気にしないでください。今日のところはこれで勘弁してあげます、タツロウ君」
「明日から、絶対にわたしと一緒に帰ろうね!」
やれやれ、今日は何とかなったが、明日からより厳しい部活動となりそうだ……。




