86.そろそろパラレルターンの練習開始
……眠れない。
ベッドに潜り込んだけど、眠れないのだ。
と言っても、なにか興奮しているとか、心配事があるとかではない。
ちょっと引っ掛かるというか、すぐそこまで思い出しかけてるのに出てこないというもどかしさで眠れないのだ。
どうせアンジェリカのことで、ありもしないことを考えているんじゃないのかって?
まあ、彼女のことは気にならないと言えば嘘になる。
あんなにカワイイ女子が、自分からオレの腕に抱きついてきたんだから。
その時の彼女の胸の辺りの感触がまた……。
って、違う違う!
その事じゃあないんだ。
オレが今気になっているのは、さっき先生が言ってた『オルストレリア大公のハプニンブルグ家』についてだ。
どっかで、聞いたことあるんだよなあ……。
大公だから知っていて当たり前ってことでもなくて。
確か、オヤジがなんか言ってたんだよなあ。
そういえば大公って、爵位で言えば公爵の更に上でいいんだよな?
その辺の序列がなんだか曖昧で……。
そうだ。
ようやく思い出したぞ!
オルストレリア大公というのが、とんでもねーフザケた野郎だってことをなあ!
何がどうフザケているのか……。
まずは基本的にして最大の問題。
他の国ではどうだか知らんが、そもそもこの帝国内の爵位制度に『大公』なんてものは存在しないのだ!
でも現実に名乗ってるじゃん、と思うだろう。
そう、『勝手に』名乗ってやがるんだ。
そんなアホな! とツッコミたくなるだろうけど、しかしそれが現実なのだ。
とはいえ、ハプニンブルグ家が公爵位を保持していることもまた事実。
そして代を重ねるごとに所領を増やして経済的にも力を増してきている。
で、確かオヤジが若い頃に開かれた帝国議会で、ハプニンブルグ家を新たに選帝侯のメンバーとして迎え入れるかが話し合われたらしい。
まあ、言うまでもなく結果としては認められなかった。
その腹いせに、『自分は公爵を更に超えて統べるべき存在』とかいう理屈で大公という称号を自称するようになったそうだ。
しかもご丁寧に、昔の皇帝に名乗ることを許可されたという文書を捏造までして根拠として示したというから呆れる。
本人たちは本物だと言い張っているが、中身にいろいろ矛盾があって誰も信じてなどいないのだ。
だけど帝国内ではそれなりに実力を持った諸侯なので、そのまま既成事実化しつつあるのが現状だ。
そんなに怒らなくても勝手にやらせときゃいいだろうって?
そうはいかねーよ。
ウチは名ばかりとはいえ皇帝家だ。
で、爵位制度は皇帝権力の象徴の一つでもある。
なのに称号を勝手に作って自称するとか、ウチにケンカ売ってるも同然だ。
辺境伯のように長い年月をかけて自然とそう呼ばれるようになったのとは全然違うのだよ。
日頃は温厚なオヤジもこの話題が出たときだけは露骨に怒りを見せるほどなのだ。
とはいえ、ウチが単独でハプニンブルグ家をどうこうできないのも悲しい現実なのさ。
あー、引っかかっていたものを全て思い出せてスッキリした。
これでようやく眠れそうだ。
今度こそ、おやすみなさい。
◇
いよいよ旅行3日目、今日も午前からスキー実習である。
まずは昨日の初心者講習のおさらいから。
ひたすらV字歩行で斜面を登り、ハの字で滑り降りていく。
2回目からはハの字のままターンしてジグザグに降りてくる。
少しずつスピードを上げつつ、ターンするときの体重のかけ方を覚えていくのだ。
よし、ここはビシッとターンして早く上級者並みになってやる。
うりゃっ!
って、身体が外側に倒れていく!
ドサッと無様に転倒してしまった。
「イテテテ……」
「……そんな転倒の仕方をすると危ないです。転ぶときはお尻からって昨日習ったじゃないですか」
ソフィアがキュッと止まりながら声掛けしてくれた。
スキーを覚えるのは彼女のほうが早いようだ。
板を斜面に真横に揃えながら片手を斜面について起き上がる。
もう片方の腕をソフィアが持ってくれたのでスムーズに立ち上がれた。
「ありがとよ……って、オレとは気安く話さないんじゃなかったっけ」
「……そういうのは大人気ないと思い直したのです」
「大人気って、オレらまだ学生じゃん」
「……貴方はご存知の通り、私は既に公爵家の当主として様々なことを経験済みなのです。ですから、精神的には貴方よりお姉さんなのですよ」
並んで滑りながら、彼女はちょっとしたドヤ顔でオレより大人であると主張したのだ。
いやいや、結構子供じみた意地を張ってることもあるじゃないですか……でもこれを言うと怒りそうだしやめておこう。
ちなみにソフィアは帝国北方のフリシュタイン公国当主の一人娘、平たく言えば公爵家御令嬢である。
しばらく前にご両親が亡くなってからは当主を継いで、まあいろいろと一人で頑張ってはいたのだ。
だけど今は故あって身分を偽り、下級貴族としてこの学校に在席しているのだ。
しかし、こうやって他愛のない話をするのも久しぶりだ。
彼女とは意見が合わないことが多いが、逆にそれが漫才の掛け合いみたいになって結構楽しいのだ。
「あ、危ないです〜! そこ、どいてくださーい!」
上から女子の叫び声が聞こえてきたかと思うと、いきなりオレにぶつかってきた!
今日2回目のイテテテ……。
「ごめんなさい! 思ったよりもスピードが出てしまい、止まれなくなったのです!」
誰かと思えばアンジェリカじゃないか。
でも昨日の初心者講習にはいなかったはずだけど。
「わたし、スキーは以前少しだけやったことがあったのですが……中級者コースだとついていけなくて。今日はこちらに入れさせてもらったんです」
「そうか、それなら歓迎するぜ!」
「……アンジェ、それはいいですけど……人前で男の人にずっと抱きついているのはいかがかと思うのです」
おっと、アンジェリカに会えたことが嬉しくてついぶつかった時のままにしてた。
立ち上がって3人で滑ろうとすると、これはなんか窮屈だ。
オレは女子2人より前に出てターンの練習を繰り返した。
「みなさん! それでは、いよいよお待ちかね、パラレルターンの実習に移りましょう!」
インストラクターからのお知らせに、初心者講習参加者全員から歓声が上がる。
ちなみにパラレルターンとは、みんながスキーを滑る姿として真っ先に思い浮かべるやつだ。
まずは板を平行にして滑り出す……わっ、思ったよりも滑っていくからちょっと怖い。
で、曲がるにはエッジを効かせてって、そうしたら足が勝手に開いていく。
たまらずにあえて転倒して最初からやり直し。
何がダメなんだ?
「……タツロウ君、怖くて腰が引けちゃっているからだと思いますよ」
すでにターンがそれなりにできてるソフィアから指摘を受ける。
このオレが、こんな雪遊びに恐怖を感じているだと?
まあでも、勝手にどこまでも滑って行ってしまいそうで怖いんだよなー。
だけどなれるに従い、曲がりたい方向に向くとある程度は勝手に曲がっていく感覚も身につき始めていた。
そんなこんなで、午前中はほのぼのとした雰囲気で少しずつだが確実に上手くなっていく。
しかし、こういうまったりとした状態ばかりは続かないのであった。




