71.潜入
船が出向してから2、3時間経過しただろうか。
川の流れは少し前からブランケンブルク領の境界付近を流路としている。
フリシュタイン公国とわずかに接した地域に差し掛かり、川は互いの境界線として流れていく。
船はすぐに河口へ出るとそのまま海へ出て北西方向へと舵を切った。
海と言っても、大陸の西側にある外洋から内陸側に切れ込んだ内海であり、帝国北部とその北方の国々の間を隔てている。
その流れは穏やかなので外洋船でなくても短い距離なら問題なく行ける。
なぜなら、内海の入り口には外洋からの海流を遮るように大きな半島が帝国北部から突き出しているのだ。
その半島の根本付近から中間あたりまでがフリシュタイン公国の領地だ。
ちなみに公国は帝国成立当初、北部の大部分を占める大勢力だったらしい。
しかしゴッチャルプ公爵家の権力争いやら分割相続やらで今は見る影もない。
現在は公国とは名ばかりの中小規模の諸侯と言ってもいいだろう。
そして半島の残り半分はノルマーク王国の領土だ。
これだけだと小国だが、実際には内海の向こう側にも広大な領土があり、今や大陸北方で一番の強国と言ってもよい。
そんな国に帝国進出の足掛かりを作られては、とても厄介な話になる。
「もうすぐ港に着くぞー。荷を下ろす準備に入れ」
考え事をしているといつの間にか公国の港に到着だ。
あー、またあの大変な作業をやらねばならんのか。
しかも荷下ろし作業の方が面倒だ。
荷の行き先に合わせて運河を遡る小舟とか陸路を行く荷馬車などに振り分けてやらねばならんのだ。
終わる頃にはもう動く気もなくなるほど疲れてしまった。
これをいつもやってる作業員の人たちはホントご苦労様です。
「おい新入り、お前はあっちの荷馬車に乗って積荷を商館に搬入する手伝いをしてこい」
「わっかりやしたー」
作業員のリーダー格から言われた通りにオレはとある荷馬車に乗りこんだ。
行き先は公国内の都にあるフックス商会の商館、そして商品の最終納品先は、公爵家の城内である。
◇
「やっと作業が終わった……あ〜、もう動きたくねー」
商館内の倉庫への積荷の搬入がようやく終わった。
もう一人の作業員は酒場へ繰り出して宿に泊まるそうだが、よくそんな元気が残ってるな。
他の館員も殆どが帰宅した今、オレは商館に取り残されている。
オレは行く宛がないので商館内で寝る場所を間借りさせてもらった。
食事はどうするんだって?
朝出港する前に買っておいたパンだけ食べるのさ。
「あの……商館のマネージャーさんがあなたを呼んでこいって」
帰り支度を終えている館員の人が呼び出しに来てくれた。
出口へ向かうその人とは反対側へ進み、迷いながらなんとか応接室を探しだした。
ノックをして入ると20代後半か30代前半くらいの青年実業家みたいな男が座って待っていた。
「失礼します。マネージャーさんに呼ばれたと聞いたので」
「タツロウ君だっけ。ヴィルヘルム様から聞いているよ。ちょっと公爵家の居城に潜入したいのだとか」
「話が早くて助かります」
「君の素性もどういう訳かも聞くつもりは無い。だから、明日商品を納入した後は好きにすればいいよ」
「は、はい」
「それと、先に言っておくことがある。大事なことだからよく聞いておいて」
オレは緊張してつい喉を鳴らしてしまったがマネージャーは気にせず話を続ける。
「君が自分の目的を果たそうとして、もしヘマをやらかした場合……私やフックス商会はもちろんのこと、ヴィルヘルム様も知らぬ存ぜぬで通すことになるから」
一瞬背筋がゾクッとしたが、自分の意地とわがままでここまで来たのだから文句は言えない。
「それを承知でも、まだやるかい?」
「はい。やるしかないんで」
「……その覚悟があるなら構わない。助けは期待しないでくれたまえ」
「わかりました」
「そうそう、目的がうまく達成出来たら見つからないようにしてここに戻ってきたまえ。ここは公国といえども証拠もなしに中には踏み込めない」
それだけサポートしてもらえれば十分だ。
しかし皮肉なもんだ。
つい半月前はエメリッヒが奴らの部室に逃げ込むのを阻止したのに、今度はオレが逃げ込む側になろうとは。
◇
翌日、オレはマネージャーともう一人の作業員と一緒に公爵家の居城に行った。
といっても、質素な作りで館という方が合っている。
オレは頭にバンダナを巻き、顔にいろいろと塗って変装した。
館内にソフィアや2メートル男がいたら正体がばれてしまうからだ。
正装したマネージャーの後ろを、両手で小箱を持ちながら付いていく。
もう一人は後で積み荷を運び込む準備作業をしている。
新入りの方が楽して文句言われないのかって?
偉い人たちがいる場所に付いていって粗相があればエラいことになるから、外で作業している方が精神的には楽だろうし何も言わないと思う。
余計なことを考えている間にだいぶ奥に入ったようだ。
そして遂に当主がいる応接の間に通された。
奥の座席に座っているのは煌びやかな宝石の指輪やネックレスを身に纏った若い女性だ。
顔つきは美人だがキリッとした眼差しで威厳を感じさせる。
体格はフェルディナントの情報通りグラマーという表現がよく合っていると思う。
開いた胸元から深い谷間が覗き、衣装の上からでもわかるほどの大きな膨らみがある。
しかしその下は不自然なほどスリムで腰が括れており、組んだ足から覗くふくらはぎはモデルのように細く長い。
やっぱりオレの知ってるソフィアではない、似ているのは髪の色くらいだ。
でもメイクでかなり変装することも、胸もパッドで大きく見せることも可能ではあるから、どうなんだろう。
それはともかく、周りには衛兵、そしてあの2メートル男が控えている。
あいつはやっぱりこの当主の従者なのか?
オレがあの時聞いた会話は何か聞き間違えたのかな……自信がなくなってきた。
「まずは、遠路からの調達、大儀であった」
当主が口を開いた。
納入品は遠くからわざわざ取り寄せた物らしい。
「お心遣い誠に恐れ入ります。公爵家とは先代様からのお付き合いでございます。どのようなご依頼でも誠意をもって対応いたします」
マネージャーは跪いたままでへりくだった挨拶を返す。
オレはその後ろで俯いて跪き、持ってきた箱を落とさないように持ち続ける。
そんな緊張感ある場面で後ろから何人か入ってくる音とオッサン1人の声が聞こえてきた。
「ん〜、開始時間には間に合わなんだか。久方ぶりであるなソフィア」
「叔父上、お久しぶりです。例の物はまだ開封しておりませぬゆえ、ご安心を」
当主は立ち上がってオッサンを迎え入れる。
その身長はやはり170センチを優に超えている……高下駄を履いていないのが確定の彼女は、あのソフィアではないのがこれでハッキリした。
そしてオッサンは当主の叔父だった。
つまりコイツがノルマーク王国の王族で公爵家の外戚ってやつか。
その叔父さんは当主の席の近くへと自身の護衛と一緒に歩きながら話し続けた。
「誠か、それは我ながら幸運だな。では早速開封して味を確かめようではないか」
開封とか味見とか何の話だ。
もしかしてオレが持っている荷物の中身のことだろうか。
ここでマネージャーが場の空気を読んで中身について言及する。
「殿下、いつもお世話になっております。お待たせしております品物、早速この場で献上いたします」
そしてマネージャーから目配せされたオレは荷物のフタを開けた。
中身は……瓶が2つで緩衝材が隙間に詰め込まれている。
どおりで絶対に荷を落とすなと言われたわけだ。
そのうち一本をマネージャーに渡すと、彼は姿勢を低くしたまま当主に近づいて瓶を手渡した。
「叔父上、それでは早速味見をお願いいたします。今年収穫されたぶどうから一番搾りの新酒を」
「いや……おい、お前が先に飲むのだ」
叔父さんに指名されたのは2メートル男だった。
毒見役をさせるのか、用心深いことで。
開栓してグラスに注がれたのは少し緑がかった薄い黄色の白ワインだ。
オレにはその良し悪しはわからんが、ぶどうが栽培できる北限は公国よりもずっと南のハズだから、新酒は簡単には手に入らんのだろう。
それをまず2メートル男が飲み、少し待って何も問題がないのを確認してから叔父さんも美味しそうに飲んだ。
「うむ! 極上の味である。いつも通りに全ての荷を納入するのだ」
「はっ、只今より納入作業を開始いたします。おい、外に出て始めるんだ」
マネージャーからこう言われたオレは部屋の外に出た。
えーと、外に出るのはどうだったかな……。
館の中は応接の間に人が集まっていてそれ以外の場所はほとんど誰も通らない。
これはチャンスじゃないか。
ヨハネスがどこかにいないか確認してまわろう。
そしてもし閉じ込められていなかったら説得して一緒に脱出するんだ。
オレは館の更に奥へと進んでいき、ヨハネスを探す。
しばらくキョロキョロ見て回っていたら、少し先にひょろ長い体格の男が壁から……いやトイレから出てくるのが見えた。
あれはヨハネスじゃないか!
オレは小走りに近づきながら声をかけた。
「おい、ヨハネス! オレだ」
ヤツは驚いてこちらに振り向いたが、同時に後ろから近づいてくる足音が聞こえた。
「おいお前、ここで何をやっているんだ!」
ヤバい、衛兵に見つかってしまった。
オレはヨハネスに駆け寄ってヤツの右手首を掴む。
「ヨハネス、一緒に脱出するぞ!」
「え、誰だよ、やめて、離してよ〜」
しまった、メイクしてるからすぐにオレだとわからないようだ。
そして掴んでいた手首も振りほどかれてしまい、動揺したオレは衛兵たちにあっけなく捕らえられてしまった。
◇
「どういうことだ? フックス商会。お前たちの作業員が我々の重要な客人に手を出そうとしたのだぞ」
「誠に、誠に申し訳ございませぬ」
捕縛されているオレの傍で、当主の叔父さんからマネージャーが厳しい尋問を受けている。
オレがやらかしたばかりにとんでもない迷惑をかけてしまった。
「これはお前がこの下っ端に命じてやらせたのではないのか? 目的は何なのだ? ん〜!?」
「この者は昨日雇ったばかりの新入りでして、身辺調査が甘かったのはこちらの落ち度でございます。なれど、公爵家に仇なすことなど考えてはおらず、ましてや命じたりはしておりません」
マネージャーはオレをチラリとは見たが、あとは予告通り『知らぬ存ぜぬ』を通している。
助けを全く期待してなかったといえば嘘になるが、商会やヴィルヘルムに迷惑をかけるくらいなら見捨ててもらって構わない。
「ええい、トボけるな! そういえばフックス商会は選帝候の嫡男ヴィルヘルムが後ろ盾と聞くが、背後で関与しているのではないか?」
「滅相もございません! 重ねて申し上げますが我々が仕組んだことではなく、殿下はそもそも今回の取引には一切関与しておりません」
「貴様あ、まだ言うか!」
「叔父上、ここは私にお任せを。フックス商会には先代の時代からの信頼と実績があります」
「……ではソフィアに任せる」
「ありがとうございます。商会に改めて問う。今回のことに何も関与していないのならば、こやつがどのようなことになっても問題は無いということだな?」
「御意にございます」
「ではそなたへの尋問はこれまでとする」
マネージャーは解放されて引き上げていった。
だが、オレはこれからどのような目にあわされるのだろうか。
「ソフィア、何故簡単に解放した! 商会の関与を認めさせれば選帝候に圧力をかけることも可能であったはず」
「いえ、あの男は海千山千の商人ゆえ尋問を続けても上手くいなされるだけです。それよりもこやつから決定的な証拠や証言を引き出して商会を追い詰めるほうが合理的です」
「それもそうだな。で、どうやって聞き出すのだ?」
「久方ぶりに叔父上がお好きなアレを行いましょう」
「良かろう、それは楽しみであるな」
クソっ、一体何やらせるつもりだよ。
オレは絶対に余計な事を喋ったりしねーからな。




