34.久しぶりの乗馬
教室についてから1時限目の授業までは少し眠気があったが、なんとか最後まで乗り切った。ようやく、待ちに待った放課後だ。
オレはそそくさと校舎の入口付近に移動して待っていた。しばらくすると、校舎からクリスが走ってくるのが見えた。
「ごめんなさい、お待たせしました」
「いやいや、そんなに待ってないよ。それじゃ、早速行こうか」
そうしてオレたちはクラブハウスへ向かう。クリスは何となく不安そうな面持ちだ。
「どうしたの、あまり顔色が良くないけど、体調が悪いのかい?」
「そうじゃないんだけど……朝は頑張ってみるって言ったけど、馬に乗ることも出来なかったらどうしようって、時間が経つごとに不安のほうが大きくなっちゃって」
う〜ん、そこから不安なのか。そうなると、今日は馬の乗り方を思い出すところから始めないといけないかもな。
「昔乗ったことがあるなら、少し練習すれば思い出せるよ。オレも付き合うから頑張ってみよう」
「う……ん、ありがとう」
そんなことを話しているうちに、競技場が見えてきた。ここからクラブハウスまで、まだ100メートル以上ある。ゆっくり歩きながら競技場を眺めよう。
クラブハウスの手前にあるこの競技場は、障害馬術競技用みたいだが、全面芝となっており、とても綺麗に整備されている。障害物のハードルなどもあまり汚れや劣化は見当たらない。
これを維持するのに、爵位持ち連中から高い授業料が取られてるんだろうな。そう考えると、下級貴族が大会で勝ったら面白くないというのもわからんではない。
さて、ようやくクラブハウスに着いたので入口から中に入る。が、エントランスに警備員らしき男が立っており、見慣れない学生だからと所属と名前、用件を説明するよう求められた。
「アーベル先生の教室所属の1年タツロウ・タカツキーです。ワグナー先生に面会の約束があります」
「……聖職者クラス1年の、ク、クリスティーネ・ベルリナです。用件は、同じです」
オレたちが説明すると、ワグナー先生から聞いていますのでどうぞ、とすんなり入れてくれた。事前に先生に了解を取っておくのは、このためでもあるんだな。
「タツロウはすごいね。わたし、いきなりで気後れしちゃって、うまく言えなかった」
「まあ、慣れたらクリスも大丈夫だよ」
女子から少し尊敬の眼差しを向けられたのは、気分としては悪くない。
おっと、前からグループが歩いてくる。全員が馬術競技の正装みたいな服装だが、先頭を歩く男は他より服が綺麗で一際目立つ。アイツの家がこのグループで一番爵位が高いんだな。
オレたちは壁際に一列に並んで歩き、すれ違いざまに軽く会釈した。あちらは『何だコイツら、見かけない顔だな』と言いたげな表情だ。でも特に何事もなく無難にやり過ごせたので、内心ホッとした。
そのまま教員室に到着出来たので、ノックして挨拶してから部屋に入ると、ワグナー先生と、もう一人女性が椅子に座っている。
「貴方たちが馬術を練習したいって子たちね。初めまして、私は女子の馬術指導担当のシャイナーです」
女子担当の先生か、それはいるよな。オレたちも挨拶を返すと、続けてワグナー先生が声をかけてきた。
「時間が惜しいですから、すぐに始めましょう。着替え終わったら、今日の練習で乗る馬を渡します。タツロウ君はこっちですよ」
「クリスはこっちよ。空いてるロッカーはどれでも使っていいからね。あと、2人とも共用のヘルメットとベスト、それにブーツを忘れずに」
更衣室に入ると、ロッカーがいくつかあり、端っこに共用用具が積まれていた。着心地はともかく、だいぶ臭うな……でもどれも同じなので適当に選んで装着した。
次はワグナー先生に連れられて馬を借りに行く。行き先は厩舎ではなく、その手前にある馬の洗い場だ。到着すると、エンケさんが待っていてその横に繋がれた2頭の馬がいた。
「ありがとうエンケさん。この2頭が学生に貸し出す馬だね?」
「はい、頭絡以外は装着しとります。この2頭はここにいる馬の中では一番大人しい馬ですが、取り扱いはお気をつけください」
先生とエンケさんで確認後、オレたちにそれぞれ馬が割り当てられ、先生からの説明が続く。
「それじゃ早速、頭絡を無口から乗馬用に付け替えようか。それぞれの馬の横に引っ掛けてあるものにね」
頭絡って何なんだって? 簡単に言えば、馬の頭部にベルトっぽいものが装着されてるのを見たことはあるだろう、あれのことだ。そこに手綱や引手が繋げられて、馬を動かすために使用する馬具なのだ。
ちなみに、無口は頭部に巻くだけで引手で馬房から出す時や移動させる時に使用するもの、乗馬用は更にハミ、つまり馬の口に咥えさせる器具を装着して手綱から騎手の指示を馬に伝えるのだ。
オレは頭絡を手に取り、馬の左前から肩の辺りに向かって近づいていく。やったことはあるが、久しぶりなので上手くいくかな。
馬の左側に近づけたので、まずは手綱を馬の首に引っ掛けてから、洗い場に繋がれている引手を外し、それから無口を外す。
まあ、ここまでは上手くいったな。次はハミを咥えさせるのが難関だな。でも素早くしないといけないので、迷ってる暇はない。
まずは馬の顔を少し抑えて下を向かせ、頭絡の上部をもち、ハミを左手の上に乗せる。そしてハミを馬の口に近づけていく……馬が口を開けてくれたので、歯に当たらないよう気をつけながら頭絡を持ち上げて、前歯と奥歯の間の歯が無い部分にハミを入れる。
ふう、なんとか難関クリアだ。あとは頭絡を頭に通して装着完了だ。大人しくてよく訓練された馬なので問題なくいった。
「タツロウ君はそれだけできれば十分だよ。もう次からは任せても大丈夫だね。クリスティーネさんは……今日は一緒に装着しましょうか、よく見て覚えてくださいね」
クリスはオレよりブランク長いから仕方あるまい。しばらく待ってから、オレたちはそれぞれ手綱を持って馬を競技場に連れて行く。大人しい馬なので問題なく連れていけるが、クリスはまだ恐る恐るといった感じだ。
そして到着したのは、クラブハウスの奥側、馬場馬術用の競技場だ。こちらは長方形で障害物など何も置かれていない、平坦な土のグラウンドだ。ここなら久しぶりに乗るのに丁度いいだろう。
「今日はまずここで練習してください。タツロウ君は馬の乗り方とか大丈夫?」
「はい、乗って歩いたりするぐらいは」
「そうか……クリスティーネさんはまだフォローが必要だと思うけど、任せてもいいかな? 難しくなったら呼びに来て。それじゃ、あとはよろしくね」
任されて行ってしまった。でも、オレ自身もどこまで出来るのか、まずは確かめないと。とりあえず馬の左側に立って、手綱を持って、足を鐙にかけて……よし、乗るぞ!
鞍に座り、右足も鐙にかけることができた。結構身体が覚えてるもんだな、あまり手順とか考えなくても乗れてしまった。
「すごい! 一度で簡単に乗りこなしてしまいましたね!」
「まあ、まだ身体が覚えてたみたいだよ。クリスも乗ってみたら」
「うん……やってみるね」
そう言うとクリスは乗ろうと試みるが、何だかバタバタしてるし、乗る手順を間違えてるようにしか見えない。
「ごめんなさい、やっぱり思い出せない。申し訳ないけど、手伝ってほしいです」
仕方ない、このままじゃ馬が嫌がって暴れかねないし、降りてサポートしに行く。
「え〜とね、まずはもう少し前、左肩のあたりに立って。それから左手で手綱を持って……」
自分では無意識に出来ることを教えるのって難しいな。手順を思い出しながら伝えて何とか乗れるようにしていく。
「手綱とタテガミを一緒につかんでから、左足を鐙に乗せて。そうそう、それから鞍の後ろを持ちながら右足で飛び上がって……」
クリスは飛び上がろうとするが、地面を蹴る力が足りないのか、途中で降りてくる。予期していなかったので、オレは思わずクリスの身体を支えてしまった……のはいいが、お尻の辺りに手が当ってしまった。柔らかい感触がなんとも……ってそれどころじゃない。
「ゴ、ゴメン! 思わず掴んじゃったんだ」
「え、ううん、わたしの方こそうまく出来なくてごめんなさい。もうそのまま押し上げてほしいです」
オレは急いでクリスの身体を持ち上げて手を離した。そのまま馬に乗ることができたので、やれやれといったところだ。
オレも再度馬に乗り、ようやく歩行練習に移ることができる。まずは基本の常歩からだ。馬の腹を優しく蹴る感じで合図を送ると、馬がゆっくりリズムよく歩いてくれる。これなら大会までには恥かかない程度に仕上げられそうだ。
「タツロウ〜、どうしたらそんなふうに動いてくれるの? わたし、うまくできない」
おっと、忘れるところだった。手綱を引いて一旦止まり、クリスの方を見ると、強めに蹴ってしまっているみたいだ。
「両脚で馬のお腹を軽く圧迫する感じで、それから足首を動かして優しく蹴るんだ」
「難しいな……うん、何とか動かせたよ、ありがとう!」
動かせたのか、それは良かった。オレも常歩を再開し、端まで歩かせると、左に曲がらせてそのまま続ける。なかなか調子いいぞ。
「タツロウ〜、どうやったら曲がるの〜?」
う〜ん、どうやったんだっけ、自分でもうまく説明できないな。でもなんとかしないと。
「え〜とね、曲がりたい方向の脚に少し力を入れて、体の重心も傾けるんだ」
「うまくいかない! どうしたらいいの〜?」
駄目だったか、それじゃもっと基本的なやり方でいくか。
「曲がりたい方向に、手綱を横に開くんだ! 引っ張るんじゃなくて!」
「こうかしら〜! うん、曲がれたよ〜、ありがとう!」
ふう、教えながら乗るのはさすがに疲れるな。今日はこれで精一杯だろうな。
オレはスラロームしたりとか、とにかく感覚を思い出すのに時間を使った。クリスは、最後の方はそれなりに乗りこなせるようになったかな。
あっという間に練習時間が過ぎ、馬を返却しに洗い場に行くと、厩務員の人たちが馬装解除と水洗いは引き継いでくれた。というか、大事な馬の手入れを素人同然の学生に任せられんわな。
そして一旦クラブハウスに戻ってヘルメットや長靴を返却し、荷物と制服を持ってそのまま厩舎へ向かう。厩舎ではエンケさんが待っており、オレたちは今日の作業について指示を受ける。
「今日の仕事は、各馬房の掃除で交換した藁やボロとか、とにかく汚れ物を集めて所定の場所に捨ててもらうことです。あと雑用をその都度指示しますんで、それもやってもらいます」
ボロってのは、つまり馬フンのことだ。馬を洗い場で洗う間に、馬房を順次掃除するので、全部の汚れ物を集めて回るのは結構大変だ。
オレたちは一輪車を押してあちこち動き回り、重い物を運ぶので腕も脚もパンパンだ。クリスは大丈夫かな、と思った矢先、彼女があたふたしてる姿が目に入った。
「どうしたの、何かあったのかい?」
「一輪車をひっくり返しちゃって、中身が散らばったの。今、集め直してるんだけど、思ったより大変で」
あぁ〜、やらかしちゃったか。しょうがない、何もしないのもあれなので、オレもフォークを借りてきて手伝うことにした。
「ごめん、手間かけさせちゃったね」
「気にしないでいいよ、練習仲間なんだし、助け合いだよ」
急いでかき集めて一緒に捨て場に行く。クリスはだいぶ疲れが出ているみたいだ。
「あとはオレがやっておこうか? 休憩したほうがいいんじゃない?」
「ありがとう。でも、わたしもやると決めた以上は、なんとか頑張るよ」
クリスは素朴な印象とは裏腹に、なかなかの根性の持ち主だな。ならば、オレも困ったときにサポートするだけにしておこう。
あとは、おまけで馬房内に置く飲み水の交換もやらされてキツかった。それでも、厩務員さんたちは毎日これよりもっと多くのことやってくれてるんだよな、ホントありがとうございます。
やっと終わる頃には疲れ果てて、早く寮に帰りたくて仕方なかった。それにだ、いろんな臭いが染み付きそうで、一刻も早く風呂に入りたいのだ。まあ、オレはまだいいが、クリスは余計にそう思ってるだろうな。
寮に帰って風呂から上がり、食事が終わる頃には眠気が襲ってきてヤバかった。洗濯物もあるが、明日朝早く起きて洗うことにしよう。今日はもう限界だ、休ませてもらうよ。




