109.ストーカー
今日の授業は全て終わり放課後となった。
選択科目で別教室にいたオレは、ソフィアとの約束通りに自分の教室へと戻るために歩いていく。
おっと、その前に用を足してから。
急いで男子トイレに入ったオレの目に入ったのは、この前睨み合ったデブ……もといかなり恰幅がいい男!
小便器の前で用を足しているヤツの横へと、警戒しながら入っていくが。
一つ間を開けて立ったオレに、ヤツはまるで気づいていないようだ。
先に終わったヤツがオレの後ろを通り過ぎていく。
今の状態で後ろから仕掛けられたらヤバいが、その時は用を足している今のまま振り向いてやるだけさ。
何で用を足す前に先制攻撃を仕掛けなかったのかって?
まだアンジェリカとコイツらの関係や事情は何もわかっていない。
この状況で無闇に仕掛ければ、それは単なる喧嘩、校内での暴力沙汰になりかねない。
そうすると、下手をすれば演劇部に迷惑をかける可能性がある。
だから今はヤツの方から仕掛けてきて正当防衛と言える状況以外は、うっかり相手するわけにいかないのだ。
しかし結局何も起きずにヤツはそのまま出ていった。
ホッとしたのも束の間、ヤツがどこへ向かうのかが気になったオレは、急いで用を終わらせてトイレの外に出た。
左右を見渡すと……いた、階段のところに。
ヤツは3年生の教室へと向かっているようだ。
どおりで、今まで顔を見かけた覚えが無い筈だ。
まあそれはともかく。
オレは急いで教室へと向かった。
ちゃんと手は洗ったのかって?
当たり前だろ、これから大切な……ゲフンゲフン、クラスメートの女子と話をするんだから。
◇
「お待たせ、ソフィア」
「……やっと来ましたか」
「何やってたのさ、遅いぞ」
「ゴメンね〜、呼び出したりして〜」
な、なんと。
教室のドアを開けて目に入ったのはソフィアだけではなかった。
演劇部のレオナとハンナ先輩までいるなんて。
正直言って面食らってしまった。
でも驚いてばかりもいられない、ちゃんと事情を聞かないと。
ハンナ先輩がいるということは、恐らく彼女から説明されるんだろう。
「呼び出しは構わないですよ、先輩。3人いるとは思わなかったのでちょっと驚いただけです」
「そうなんだ〜。ソフィアちゃんと2人っきりの方が良かったかしら〜?」
クスクスと笑う先輩とは対照的に、ソフィアは少し恥ずかしそうな表情を見せ、レオナは押し黙ってしまった。
オレもなんか気恥ずかしくなってきたが、それよりも話を進めないと。
「それよりも先輩、アンジェリカのことですけど。この前の2人組って、やっぱり彼女に何か危害を加えるつもりなんですか?」
「え〜っとね、ちょっとややこしいから順番に説明していくけど……少なくとも、あの大柄な男子の方は、今まで関係したことが無い人物ね。だから彼らの接点も関係性も不明なの」
「アイツ、多分3年生ですよね。もう一人のちょっと痩せた方も同じ学年なんじゃないですか?」
「何で3年生だってわかるのさ」
「それなんだけどさ、レオナ。実はここに来る前に見かけたんだよ、アイツを。それで3年生の教室の方へ向かっていくのが見えたんだ」
「ああ、それでちょっと遅れてきたんだね。まさかソイツと喧嘩してきたの?」
「……それは無いと思いますよ。タツロウ君はこう見えて状況判断には優れていますから」
うーん、褒めてくれるのは嬉しいけど『こう見えて』とか一言余計なんだよなあ、ソフィア。
「コホン……続けてもいいかしら〜?」
「あ、すみません先輩。どうぞ」
「では、そのもう一人についてなんだけど。わかりやすく言えば、アンジェちゃんのストーカー、ってところかしら」
「やっぱりそういうことですか……野郎、今度会ったらブチのめしてやる!」
「待って待って〜! そんな単純な問題じゃないの。とりあえず話を聞いて」
「……わかりました」
「まずは彼の情報から。ゴールドバッハ子爵家のオスヴァルト、2年生よ。そして、元演劇部員でもあるの」
「えっ!」
「ついでに言うと元大道具係っていう肩書もあるんだけど。で、オスヴァルトは入学した当初からアンジェちゃんにご執心だったらしくて」
「まさか演劇部に所属したのも」
「お察しの通り、アンジェちゃんに近づくため。といっても作業をサボってばかりの不良部員だったみたいだけどね〜」
「アンジェリカはどういう反応だったんですか」
「アンジェちゃんがそんな男子に靡くと思う?」
「いいえ。それはともかく、そんなヤツはクビにすればいいのに」
「それがね〜、ゴールドバッハ家って爵位こそ子爵なんだけど、物凄いお金持ちで。学校にも演劇部にも多額の寄付金を納めてたのよ〜」
「酷え……それで目を瞑ってたってわけだ」
「でも、役者グループに入れろっていうオスヴァルトの要求はさすがに撥ね付けてた。さすがに演技のド素人をいきなりはね。でも努力次第で入ることもできるって説明はしたみたいだけど」
「まあ、ここまでの様子じゃ努力なんてしそうにない奴ですよね」
「そういうこと。それでも、問題を起こさなければ良かったんだけど。アンジェちゃんにアプローチし続けても振り向いてもらえないオスヴァルトは、ある日とうとう」
「何やらかしたんですか?」
「学校内にいる子分たちを使って、部活からの帰り道で彼女を攫おうとしたの。かなり荒っぽい手口で」
「ま、まさかそのまま連れて行かれたんですか?」
「その時は、彼女が一瞬の隙をついて逃げ出したの。で、逃げる途中でたまたま通りがかったオリヴィアさんとイェルクさん、それとマティアスに救けを求めて、3人が暴漢たちを撃退して事なきを得たのよ」
「3人とも喧嘩も強いんですね」
「オリヴィアさんとイェルクさんは武道も嗜んでるから。で、首謀者のオスヴァルトも当然追及されたんだけど……」
「親のカネの力で揉み消しとか、そんなオチじゃないですよね?」
「残念ながらそのオチよ。当時の部長さんが、『演劇部への出入りと部室棟の周辺に近づく事を禁止』の条件を出して飲ませるのが精一杯だったの。それが去年の冬の出来事」
「だけどその条件を破ってるじゃないですか」
「オリヴィア部長からはそれも含めて既に抗議してる。だけどあの辺りまで『部室棟の周辺』っていうのは微妙だし、散歩をしていただけで何もしていないと言われて、今のところ有効な手立てが無いの」
「でもこのままじゃ、登校もできないじゃないですか」
「……それでね、タツロウ君にお願いがあるの。明日から当面の間、朝の登校と放課後に部室棟へ行くときも私たちと一緒に歩いてほしい。アンジェちゃんもタツロウ君が一緒ならって言ってるのよ」
「……わかりました。それでアンジェリカが外に出れるなら」
「ありがとう! 女子寮から道に出るまでは私たち3人で連れ出すから」
「そういえば先輩。もしかして、あの不文律ってこの出来事のせいでできたんじゃ……」
「いえ、不文律自体はもっと前からあったの。似たようなトラブルは昔からあったみたい。でも、今回のを切っ掛けとしてオリヴィアさんは厳しく締め付けてるのは確かね」
そうか、アンジェリカにそんな出来事があったなんてな。
せめて彼女の心がこれ以上は傷つかないように、明日からしっかりとガードしなければ。
さて、先輩の説明は終わったので、そろそろお開きかな。
ソフィアが席から立ちながら呼びかける。
「……アンジェについてのお話が終わったところで、そろそろ部室棟へ行きましょうか」
「じゃあオレはもう先に行くから」
「……何を言っているのですかタツロウ君? 私と一緒に行けばいいではないですか」
顔はにっこり微笑んではいるが、言葉には有無を言わせない迫力が感じられる。
オレに選択肢は無かったのだ。
「そ、そうだな」
そういうわけで、今日はいつもの倍の時間、彼女の話をたっぷりと聞かされたのだった。
さすがに疲れたぜ。




