105.完敗
「オリヴィア! 今から俺とソフィアでダンスパートを稽古したいのだが。いいだろうか?」
「構わないが……お前とソフィアなら、別に稽古なんてしなくても大丈夫じゃないか?」
「いやいや、さすがに2、3回は稽古しておかないと。実際に踊ってみないと細かい微調整が必要な点はわからないからね」
『演劇部の王子様』ことイェルクはオリヴィア部長に稽古の必要があることを説明しながら前に出てくる。
その後ろからソフィアもついていき、イェルクの正面に立つように位置取りをしている。
そしてオレとアンジェリカは2人に押し出されるように、みんながいるところへと戻っていった。
部長はイェルクを止めるのを諦めて2人に稽古の開始を予告する。
「……わかった。じゃあ、手拍子いくよー。準備はいいかい?」
「俺はいつでも構わない」
「……私も、準備はできています」
イェルクとソフィアはお互いに両腕を広げて近づいていき、まるで吸い付くかのようにスッとホールドを組んだ。
慣れているペアでも少しは位置や角度の調整をするものだが、全くその気配はなくピタッと決まったのだ。
それからすぐに部長の手拍子が始まった。
3拍子だからワルツか。
2人は戸惑いもなく極自然に動き出し、ゆったりとしたステップから流れるようにスピンターンへと繋げていく。
そこからはまさに2人の独壇場となった。
ステップはリズム良く、しかも大きくて力強さがあって、踏み出しに全くと言っていい程ズレがない。
そして、ゆったりと大きな上下の動きとそこから流れるように繋げられるターンやスピンは、動き自体は激しいのに、優雅さと華麗な気品を漂わせている。
そしてオレはあることに気がついた。
ソフィアの動きが、オレと踊った時よりも更にレベルが上がっていることに!
昨日部長室でオレと踊った時に、彼女は全開でいくと確かにそう言った。
でもあの時よりも動きは更に激しくなっている。
というか、本当に目一杯動いてついていっている感じだ。
だけどもっと驚いたのは、イェルクはまだ余裕の表情を見せているということだ。
表情だけじゃない、動きにもまだ余裕が感じられる。
2人共、オレとは遥かに違うレベルで踊っているのだ。
悔しいがそれに魅了されているうちに、あっと言う間にダンスはフィニッシュを迎えた。
その時のソフィアの表情は、オレとの時には見せなかったものだった。
全てを出し切ったような恍惚感が見て取れたのだ。
居合わせた役者グループのみんなが割れんばかりの拍手で素晴らしさを称え、部長からも最大級の賛辞が送られた。
「本当に、いつもこれ以上ない素晴らしい踊りを見せてくれる! お前たちのペアはなんの心配もなく本番の舞台も任せられるよ!」
「ははは、ありがとうオリヴィア。でもまだ改良の余地はあるんじゃないかな、ソフィア?」
「そうですね。あの辺りの動き出しとか……」
まだあれ以上を追求して盛り上がっている2人を見て、オレは激しい気分の落ち込みを感じた。
なんだろう、今まで感じたことのないこの気持ちは。
そんなオレの脳裏に思い浮かんだのは『敗北感』という言葉だった。
いやいや、一体何に対して敗北したんだオレは?
確かに2人のダンスは凄かったが、オレはあくまでマティアスのダンスパートの代役であって役者として競い合ってるわけじゃない。
ましてやプロのダンサーを目指しているわけでもない。
そう悩むオレの耳に、なんてことはない話し声が入ってきた。
「あの2人、お似合いだと思わない?」
「なんかさあ、本当に王子様とお姫様って感じだよねー」
そうだよな。
イェルクは名門貴族で侯爵家の長男。
ソフィアは故あってこの学校では下級貴族と身分を偽ってるが、本当は公爵家ご令嬢。
身分的にも、見た目でも、恐らく性格的にも確かにお互いに見合っている。
お前も本当は皇帝の跡取りじゃないかって?
皇帝家といってもウチの場合は選帝侯たちの操り人形、名ばかり皇帝なのだ。
経済状況も、実際には貧乏貴族と言っていいくらいに困窮している。
オレは最初から彼女に釣り合うような人間ではないのだ。
って、オレはまた何を言っているんだ?
それはともかく、もう一度イェルクの顔を見て思い浮かんだ言葉は自分でも酷いものだった。
『完敗だ……』
その後のことはよく覚えていない。
気がついたら、オレは1階の大道具係の部屋に戻っていて、黙々と作業に従事していたのだった。




