プロローグ 未完作品の旅へようこそ!
時が止まっていた。
時間停止能力、とか、そんなファンタジーな話ではない。
たしかに、朝がきて、昼になり、夜を迎えている。お腹がすき、眠たくなる。
「でさー。昨日さよちがさー…」
「はい。ではまた、午後の会議で。」
「らっしゃあい! ネギま安くしとくよお!」
ヒトの生活の営みは絶えることなく、律儀に継続している。
病院の窓から見えるヒトの波は、その足を止めることもない。
止まっているのは、パイプ椅子からじっと動かない自分の人生と。
目の前のベットで静かに眠る、意識不明の恋人の人生である。
赤坂誠は中学卒業後、知り合いの伝手で、とび職についた。体力には自信があったのと、建設現場で黙々と足場を組むことが性に合っていた。しかし、やはり仕事仲間からは無愛想な奴と、陰口を叩かれていた。
マコトは生まれてすぐ、親に捨てられた。乳児院から児童養護施設へとお世話になった。
学校では、友人と呼べる人とは出会えなかった。よく言う、「家族愛」とか「友情」だとかにはさっぱりだった。
「未完作品って面白いの。私だったらこんなハッピーエンドにするんだって妄想しちゃう。」
マコトが愛を知ったのは、同じ児童養護施設で暮らしていた森藤雪との関わりがきっかけだった。
「ユキがいくら妄想しても、未完は未完のままじゃん。」
「もしかしたら、物語の数だけ世界が存在してるのかも!」
「妄想じゃん。」
「妄想だよ!!」
夢見る彼女へのつっこみが絶えない一方で、現実的なマコトは、自分にはない魅力を彼女に感じていた。
やがて、マコトとユキは結ばれる。
養護施設を出た二人は、狭いアパートで同棲を始めた。稼ぎの少ない二人の生活は貧しかった。
それでも綺麗だった。
充実していた。
温かかった。
輝いていた。
何もなかったマコトが、初めて守りたいと思える人生の時刻みだった。
ユキの交通事故で、時が止まった。
***
今日は久しぶりに、病院以外の建物に入った。
ユキの大好きな、本の巣窟。図書館だ。
とっくに精気を失ったマコト。少しでも彼女を、彼女たらしめるものに触れようと試みる。
だが、どうしても本の世界観に集中することができない。
読書に親しめない性格から?
そもそも気力がないから?
たかが紙面に書かれた文字に、感動を覚えられない。共感が、できない。
やめよう。こんな無駄な時間を過ごすくらいなら、ユキのそばにいたい。
そう思って、パタリと本を閉じたときだった。
右肩にトントンと呼びかけられる感触。気だるげに顔だけ振り向くと、誰かの人差し指が、マコトのほっぺをムニュっとした。
「はーい、引っかかりました。」
「殴っていい?」
「おお。鋭さ150パーセント。」
わざとらしいオーバーリアクションが、更に鼻につく。
黒いタキシード。黒いベネチアンマスク。黒い、顔の長さの3倍はあるだろうシルクハット。
シルクハットをとれば、173センチのマコトより背の低い男が立っていた。
「誰だか知らないが、俺に構わないでくれ。というか、知らない人に構うな。」
「いやはや。あなたちゃまの背中がおんおん語っていたものですから。愛する人への哀願を。」
帰る用意をしていたマコトの手が止まる。こんな奴は無視するのが一番だが、その一言は到底無視できなかった。
「なんで知ってる。ユキの知り合いか? 病院の関係者か?」
「知っているも何も。私の前にあなたちゃまが現れたということが、何よりも証拠ですよ。」
男は意味深な釈明をすると、本棚に挟まれた通路の奥へと颯爽歩き出した。
「おい待て! どこへ行く!」
「知りたかったら、おいでなさい。救いたかったら、ついてきなさい。私のおならは、くさい。」
ここで見失ってはいけないと、マコトの心がざわめく。必死に追いかける。相手は歩いているはずなのに、どんどん離されてしまっているような感覚に陥る。きっと男は、スクランブル交差点を淡々と通過するような都会人なのだろう。
それでも諦めずに追いかけると、通路を形成する本棚の色が変わっていることに気が付いた。明るいクリーム色から、古びた焦げ茶色になっていた。
それから、だんだんと男の立ち姿が見えてきて、やっと追いついた。何を考えているのかさっぱりわからない微笑みを浮かべて待っていた。
「ここは…?」
「ここは、『未完書庫の間』。」
びっしりと詰め込まれた古書が、そこかしこにすくんでいた。男より向こうにも、果てしなく本棚の通路が続いている。振り返れば、やっぱり本棚。見上げれば天井が見えないほど続く、HONDANA。
「完結まで書かれず、長い年月放置された作品が集う。いわば物語の墓場。」
「この図書館に、こんな空間が…。」
「おっと。勘違いされなきよう。私とあなたが出会いを果たしたから、この書庫は開かれたのです。」
「じゃあお前は一体…。俺と接触した目的は何だ?」
「私は、この書庫の番人。」
男がスッと片手を挙げた瞬間だった。いきなり、男の足元に、小さな背もたれ椅子が出現したのだ。
「単刀直入に申します。私はあなたの愛する人を救うことが可能です。」
「……。どういうことだ。」
「おや。いきなり話しかけ、いきなり救えるとか言い出した不審者めの話をまともに聞くと?」
「俺の事情をなぜか知っている。それにあり得ないことを目の前でやってのけた。」
「ただの不審者マジシャンかもしれないですよ?」
「そうだな。俺の頭もいかれているのかもしれない。だけど…。」
「だけど?」
「そのくらい、わらにもすがりたいのも事実だ。」
「なるほど。お気持ち理解しました。」
番人を名乗る男は、もう一度片手を挙げた。今度は椅子の上に、積み重なった5冊の本が出現した。
「ここに5冊の未完作品があります。恋人の命と引き換えに、これらを破棄していただきます。」
「そんなことで、いいのか?」
マコトは面食らう。もし本当にユキを助ける気があるのなら、交換条件を言ってくるだろう。俺の手足をもぎ取るか。家族や友人を生贄にするか。そのくらいは想定していた。もっとも、マコトには家族も友人もいないし、いたとしても躊躇する気持ちは理解できない。
「燃やせばいいのか? 可燃ごみの日に出せばいいのか?」
「この作品の世界に飛び込んでいただきます。」
「え、なんだって?」
「というわけで、ルールどーん!」
片手を腰に、片手で手持ち看板を握って、番人は渾身のポーズを決めた。
~未完作品の旅のルール~
・未完作品の世界にダイブして、「ハッピーパーツ」を回収してこよう!
・合計5つの作品、5つの「ハッピーパーツ」で恋人を助けられるよ!
・「ハッピーパーツ」を回収した作品世界は分子崩壊するけど、君はちゃんと戻ってこれるよ。安心安心!
「ハッピーパーツについてですが、単純に回収ができず…ってどこへ。」
「俺の頭がいかれているだけだった。さようなら。」
「まあーってくださいよ!」
後ろで情けない声が聞こえたが、マコトはお構いなしに駆けていく。やっぱり、時間の無駄だった。
「まったく。今回は体験版ってことで、1つ目はチュートリアルレベルにしときますよ。」
「な、なんだ?!」
突如として、マコトの眼前に一冊の古本が躍り出る。パラパラと自動でめくられていき、あるページで止まった。そこは本文の最終ページ、文章の最後には<続>の文字が記されていた。
「第一の作品。魔術とモンスターの世界で、ある少年が一国の王を目指す人生を描く。」
その漢字一文字から、青白い光が溢れ出す。
「ジャンル・異世界ファンタジー。『イグバート戦記 上巻』。」
光はマコトの周囲を埋め尽くし、視界を閉ざした。
「未完の書庫」の番人は口上を続ける。
「第二の作品。近未来の舞台で、人間とアンドロイドの共生を描く。」
椅子に積まれた本を手に取り、丁寧に読み上げていく。
「ジャンル・SF。『アンドロイドの魔法使いⅡ』。」
おい!! 今すぐやめろ!!
「第三の作品。精霊と契約した少年の裏英雄譚を描く。」
光たちに、もみくちゃにされているマコトをよそに、紹介は続く。
「ジャンル・現代ファンタジー。『銀ぎつね 第四章』。」
ほこりと、かび臭さのはびこる未完作品どもよ。
「第四の作品。非常識への怖さを描く。」
いまかいまかと、人生の時が動き出すのを待ち焦がれている者たちよ。
「ジャンルは…ラベルが取れてるな。『黒と白 <破>』。」
くすぶる火種を抱えて、もがいている登場人物たちよ。
「第五の作品。18歳までしか生きられない超人高校生たちの日常を描く。」
君たちが望む、物語のピリオドは。
「ジャンル・青春。『アイデンティティ隠さん! その9』。」
主人公各員、ハッピーエンドのご要望は。
「あ、向こうに着いたら、まずは図書館なる所に行ってみてください。」
「ふざけ…」
「それでは! レッツ・ラブハッピー!!」
その合言葉を機に、マコトは紙のページに吸い込まれていった。
次回、C5031「イグバート戦記 上巻」 エドワード・モリス著。
この物語に登場する作品は、実在しません。ご了承ください。