「かつて悪役だった魔法少女を養女にしました」
〇
真っ赤な夏が過ぎて、白い秋がこの村にもやって来る。
茹で殺されるような暑さも去り、蝉の声も盛りを過ぎた処暑の候――。
数か月ぶりに加減するということを思い出したような太陽が、カーテンの向こうで登ったらしい。
先週よりは確実に穏やかになった日差しを瞼越しに感じて、おぼろげに意識が戻る。
海と山と清流に囲まれたこの村は、大都会よりは確かに過ごしやすい。
――と言っても、まだまだエアコンの出番は終わりそうにない。
薄手の布団の中で目覚めて最初に感じるのは、腕の中でもぞもぞと身じろぎする、――小さな女の子の身体の体温と感触。
他の何物よりもぼくを安堵させてくれる彼女の温もりをもう少し感じて居たくて、ほんのわずか、片腕に力が入る。
「ん……」
どうやらそれで彼女を起こしてしまったらしく、数秒前まですうすうと寝息を立てていたのが、はっと瞼を開けた。
「――っ」
目を覚まして一瞬だけ、怯えたような、心細そうな顔を浮かべ、それから視覚でぼくを、皮膚感覚でぼくの体温を確かめて――
ぼくがここにいることを、自分がぼくの腕の中にいることを。
ふたり、まだ生きていることを知って。
それでようやく、彼女は安堵の息をつき、
「――おはよう、お父さん」
と、ぼくへ呼びかける。
「ああ、おはよう、レキ」
田舎町と古い蔵造りの屋敷にそぐわない、ミルク色の肌と蜂蜜色の髪の女の子。 ――レキ。
ぼくのことを「お父さん」と呼んでいることから察せる通り、ぼくの娘である。
……まあ、血は繋がっていないから「義娘」か。
時計を見れば、まだ朝の7時を回ったところで。
「……どうする、もう起きる?」
「……もうちょっと、こうしてたい……かな」
「そっか……それもいいよな」
今日は日曜日で、ぼくも外出するような用はないし、レキも同様だ。
もう少しの間、こうして布団の中で重なっていて、それから朝食にして。
父娘ふたり、怠惰に過ごすのも悪くない――
そう思った矢先に、玄関の呼び鈴が鳴り、
「おじさーん!辰蔵おじさーん!レキちゃーん!」
柔和で明るい感じの、幼さの残る声が、ドアの向こうから響き渡る。
防音工事も済ませているはずなのに、よく通る、知ってる少女の――姪の声だ。
……どちらかというと大人しい性格なのに、声だけはやたら大きいんだよな、あの子。
「――はなだ」
そう言って、親友の声に、レキも玄関の方に首をひねって顔を向ける。
「……じゃ、起きるとしようか」
布団の中で怠惰に過ごす予定を変更し、身を起こす。
「レキはどうする? はなだったら会っても大丈夫だろ? 冴ちゃんとかまゆちゃんとか、もしかしたらフミヲさんくらいは一緒かもしれないけど」
「うん、はなにも会いたいし、それに、ちょっとでも、お父さんと離れてるの、嫌だから」
そう言って、ぼくの体の左側にぎゅっと抱き着くレキに支えてもらい、寝室を後にする。
〇
「んー、あー、こほんこほん」
玄関に立っていた、二人の女の子。
セーラー服にポニーテールに結った髪の女子高校生――「寅」の冴ちゃん。
赤いランドセルを背負った、レキと同年代の女の子――「未」のはな。
「おはよー、レキちゃん」
にこやかに呼びかけるはなに、
「あ……その」
と、レキが口ごもってから、
「おは、よう……はな……」
とぎこちなく返す。
「ごめん、ね、まだ、あんまり、うまく喋れなく、て」
「ううん、いいよー」
はなは柔らかく笑いかけ、気負わないで、と告げてから、
「うちのお米と、鐵おじさんのトマトと、冴さんちのお魚持ってきたから」
と、後に持っていた、食料品が山積みになった籠を示した。
「ああ、助かるよ、……そこに置いてくれれば、あとで運び込むから」
「辰蔵おじさん」
……寝間着姿で同じ部屋から出てきたぼくとレキを、ことに左側からぼくに抱き着いて離れないレキを目にした冴ちゃんが、
「……事情が事情だから別にいいんだけどさ、ほどほどにしときなよ。レキちゃんまだ11歳なんだからさ」
とこめかみをかきながら呆れたようにいうのを、まあまあとはなが宥める。
「……はな」
「わたしは、レキちゃんが幸せならそれでいいと思うし、辰蔵おじさんにも幸せになってほしいなぁ……」
「っかー、……それじゃ夫婦じゃんか」
「……わたしは、ちょっとそのつもり」
小さな声で、それでも迷いなく口にする愛娘に
「レキ」
そういうのはできれば控えようね?と言外に言うも、
「いまも、親子だけど――コイビト?と、暮らしてるつもりでも、いるから、だから、そのうち」
「レキ」
その意図は巧いこと伝わってくれず、
「えっと……あー、ごちそうさま!」
と、はなに苦笑いを向けられる。
「でも朝早くから、どうしたの、二人とも?」
さては何かあったのか?と尋ねる。
まさか、この米とトマトと鮮魚を届けるためだけではないだろう。
「あ、あー、それはその……ねえ」
「いやー、じゃあ、これ渡したから、あたし達帰るんで……」
何か露骨に視線を泳がせ、気まずそうに後ずさる女の子ふたりに、
「いやでも」
と声をかけたところで――
ちりん、ちりん、と、自転車のベルが、生垣の向こうから聞こえてきた。
「おーい、二人ともー」
と、青年になりかけの、学生服の少年が姿を見せる。
「早く戻って来ないとまた拙者がドヤされるでござるよー」
彼も村の仲間の一人。〈申〉の佐助くんだ。
「まだやってたんだ、アレ」
「恥ずかしいしイタイから止めろって言ってるんだけど」
言葉通りに頭痛を訴えるように額に手をやる冴ちゃんをちらと見てから、
「やー、辰蔵おじさんにレキ嬢、御変りないようで誠に結構でござる」
「……別に、よく……ない」
彼は察すると言う事をしないので、ぼそりと呟くレキにも気付かず、明るい声で時候の挨拶を述べると、
「佐助くんまでどうしたの?」
尋ねる僕に、
「ああ、昨日山の方に、また野良魔獣が出たらしくて、辰おじさんとレキ嬢にも助勢に来てほしいとのことでござってな……」
と答え――
「バカッ!」
冴ちゃんの口から、怒りの叫びが放たれる。
「バカ! バカ! おまえほんとバカ! 何で言っちゃうんだよ!」
佐助くんは気の毒なくらいに狼狽えて、
「え? え? 何で? 何かダメだった?」
ござる口調も忘れて後ずさる彼に、
「今のふたりに無理強いできないだろ! でも、二人とも頼まれたら絶対いやって言わないから……!」
「だから……伝えたけど二人とも具合悪いから来れないよって、言うつもりだったんです」
今にも〈変身〉して殴り掛からんばかりの勢いの冴ちゃんを必死で止めながら、はなが補足する。
――ああ、そういうことか。
「いいい……それは……でもそんなのぼく聞いてなかったし……」
「聞いてなかったじゃないの! そういうの判れよ!」
流石に見ていられなくなって、尚も舌鋒鋭く佐助くんを糾弾する冴ちゃんを制止して、
「……ん、りょーかい」と三人に告げる。
「いいよ、支度するから、ちょっと待ってて。それに冴ちゃん、怒らないであげて」
「でも……でもさ」
「これでも十二支の一員だよ?」
しぶる冴ちゃんをそう押し切って、
「あー、レキは……」
家にいて、朝ごはんの支度でもして待ってて、と口にする間もなく、
「お父さんが行くならわたしも行く」
と、迷いなくレキが応える。
「……ツマはオットを助けるもの、親子や恋人は、助け合うもの、でしょ?」
さっきまでの、弱弱しい様子が嘘のように、凛とした顔と、声で。
――言ってる内容はともかくとして。
さーて、それじゃ久しぶりに行きますか。
高く掌を掲げれば、そこに光が宿る。
掌を勢いよく開閉し、光の灯った掌が弧を描く。
「――聖獣装!」
掌の光が、全身へと広がった。
〇
「山の方に、野良魔獣が出た」
世間話に、物騒なフレーズが混じる。
……まあ、それも止む無し。
何しろ数か月前まで、この村は、戦地だったからだ。
戦の相手はこの世界の隣人ではなく。
魔法界「イクスガルド」からやってきた魔獣兵団と機動兵器群。
彼らの攻撃対象となったのは、インフラ施設でも、政府機関でもなく。
――この、小さな村だった。
それらにも増して最優先で奪取乃至破壊せねばならない対象と言うのが、この村には存在していた。
であれば、こちらとしてはこの村をこそ全力で守らなければならない訳で、迎え撃つ戦力になったのがぼく達この村の古くからの土着の一族の末裔。
同じ「銀河」の姓を持ち、「事あった際には総力を結集し是を迎え撃つべし」との使命を代々受け継いできた「十二支」と「四神」合計15人。
7歳の女の子から80歳のおばあさんまで、年代も普段の職業もバラバラのメンバーだった。
はっきり言って、ぼく自身は、その戦いの中で、まったくもって趨勢を左右する存在ではなかった。
恥ずかしながら、都会から逃げ帰ってきた下っ端の役場勤めだったぼくは、一族の落ちこぼれもいいところで、
戦闘訓練だって、10何年も前に短い間受けただけだったし、十二支の中でも結構強いはずの「辰」の力を受け継いでいながら、それを碌に活かすことが出来ず、9歳や12歳の女の子たちに助けてもらってばかりだった。
自分の生きてる間にまあ出番はあるまいよ。とたかをくくっていたのもあって、招集がかかった時には、……いよいよぼくまで引っ張り出さないといけないほど戦況が逼迫しているのか。と背筋が凍ったものだった。
そんな中で目覚ましい活躍で最先鋒、主力となったのは、銀河の血こそ引くものの、都会から引っ越してきたばかりの10歳の女の子、「未」のはなだった。
はな達の活躍もあり数度の襲撃を撃退した、何だ、ぼく達結構強いじゃん、という気分になりかけたころ――冷水を浴びせるように彼女たちは現れた。
イクスガルド地球侵攻軍・幹部クラスの4人。「梟」「狐」「猫」――そして「狼」
漆黒のボディスーツを纏い、波打つ刃の大剣を担いだ、人形のような瞳の少女。
それが、彼女だった。
「――わたしはレキ、〈石ころ〉のレキ」
初めて現れた、同じヒトの姿をした敵である彼女たちは、魔獣や魔性兵器とは桁外れの脅威だった。
「――邪獣装」
戦術、個人の技量、何よりも心の面においてその時点での彼女たちは、ぼく達の数段上を行っていた。
死に物狂いで襲い掛かってくる彼女たちに、心のどこかで甘えがあったぼく達は瞬く間に追い込まれ、
――それまで無敵だったはなまでが、レキの前に敗れた。
けれど、村上層部は手をこまねくばかりではなかった。
「十二支」の上位に当たる最精鋭「四神」の本格的な投入と、彼らによる、「十二支」全員の再訓練。
それぞれの素養に合わせ、長所をより伸ばし、短所を補い、それでも足りない部分を連携と、そして心で埋め合わせる為の新体制で挑み、何とか再度の侵攻を弾き返した。
また〈イクスガルド〉の幹部クラスが姿を見せたことで、敵の目標も、戦いの全貌もより明確になっていく。
(また、これは後から知ったことだが)この頃の村の長老さん方の一部では、頼りない辰蔵を始末させて、他の誰かに「辰」の力を継承させろ。って話にもなりかけてたらしい。
また、意外と仲間たちには嫌われてはいなかったみたいで、「四神」最強の「青竜」であり役場での先輩でもある清太郎さんが必死にそれを押し留め、「玄武」に至っては、
「辰蔵を犠牲にすると言うならば、一戦に及ぶのも辞さず」とまで談判に及んでくれたらしいから、彼らには頭が上がらない。
やがて、暴走する魔獣兵器を討つために、行きがかり上共闘せざるを得ないような場面もあり、
――幾度も敵として襲来し、最も多く刃を交わした末。
……はなとレキの間には、奇妙な友情が芽生えていた。
そして、幾度目かの、はなとレキの一騎打ち。
――勝利したのは、改めて自らと向き合い、新たな力に目覚めたはなだった。
――レキは谷底へと姿を消した。
喜ぶべき味方の勝利。
だけど、ぼくは傷つき倒れていた彼女を放って置けなくて、
……匿い、手当てを施した。
意識を取り戻した彼女に――最初はまあ、敵意に満ちた視線を向けられた。
それでも、はなにも他の仲間にも内緒で、食べ物を運び続け、語りかけ続ければ、伝わるものは確かにあった。
レキから得られた情報を加えてもう一度伝承を辿り直した時、全ての出来事が、全く意味合いが違うことになった。
結局、蓋を開けてみれば、イクスガルドの人たちは、邪悪な悪魔でも身勝手な侵略者でも何でもなく。
むしろ、微妙にこちら側にも非があって、
――やがて、〈本当に討つべき敵〉が、ぼく達の前に現れた。
そして訪れた最終決戦、最後の総力戦に臨んだのは、
村側の全戦力たる「四神」「十二支」の全メンバー。
そして、レキ。
全身全霊の力を込めた、はなの〈無限熱量〉とレキの〈絶対凍結〉が叩き込まれ……
戦いが終わり、脅威が去り。
かつての日常はもう戻って来なかったが……代わりに新しい日常が幕を開けた。
だがそこで、みんなが収まる鞘に収まって行く中で、収まる鞘が存在しない子が、ひとりいた。
ならば、と、
「……行くところがないなら、一緒に暮らさないか?」
そんな彼女に、申し出た。
「ねえ、辰蔵」
彼女もそれを、受け入れてくれて……
「……お父さんって、呼んでいい?」
……今は、二人きりで、同居している。
また、ぼくはちょっとばかりその時の戦いで、手傷を負ってしまって――
○
ぼくと、はなと、冴ちゃん、佐助くん。
既に全員変身を済ませ、村の社に伝わる神楽舞の衣装にも似た羽織と束帯を身につけて風のように疾駆する。
「大丈夫?お父さん?」
幼い肢体のシルエットがくっきりと判る漆黒のボディスーツに身を包んだレキが、ぼくの左側を片時も離れず併走する。
本来なら、レキの最大スピードはこの中だと佐助くんくらいしか追いつかない。
その場の雰囲気を和ませようとするように、はなが切り出す。
「そういえばね、こんな時だからこそ〈秋祭り〉は盛大にやろうって、今みんなで相談してるんだ! イクスガルドのひとたちにもきてもらって、わたしたちのこともっとよくしってもらおうって!」
「なら、こっちのみんなにも、聞いてみる」
少しだけ表情を緩めて、レキが返す。
それは、結構なことには違いない。
……誰もが、全員そろって秋の空は見られることはない。と思っていた。
けれど、びっくりするほど、犠牲は少なかった。
半分生き残れば良い方じゃないか、くらいだった見込みに反して、十二支も、四神も、レキ達も、一人も命を落とさずに今に至っている。
もし仲間の誰かが命を落としていたら、〈お祭りで親睦を深める〉なんて、とてもじゃないが出来なかっただろう。
――それでも、何も失わない、なんてうまい話はなかった。
戦いの最後の局面で、……レキは母親を、ぼくは左腕と片目を、失った。
むしろ、これだけで済んだ。
……って、もちろん簡単にそう思える訳じゃないのだけど。
それでも、多くの人が還らないというのよりは遥かに良かったのは確かだ。