98 夏の終わりのフル・ガル
「送っていただいてありがとうございました。失礼いたします」
そう告げて扉を閉じた時、壁の向こうの京極さんは柔和な笑顔で手を振ってくださった。
聡い京極さんに、果たして違和感は持たれなかっただろうか?
郵便受けから封筒を取り出して確認しバッグに仕舞うまでの間、彼は私から一定の距離がある位置にいたので、この細長い封筒を細かく観察する隙はなかったはずだけれど。
完璧に誤魔化せた自信はなかったが、とにかく今はそれも後回しだ。
このフラットAの私の部屋の郵便受けに無記名の物をダイレクトに投函できる人物なんて限られている。
そして、まだ吹月学院に来て日の浅い今の段階で私にそんな事をしてくる者は、彼しか考えられないのだから。
事実、封筒の下部の隅が片方だけ小さく折られている。
これは館林の人間がよく用いるシグナルだったのだ。
私は部屋の灯りを点けると制服も着替えずに、ハサミで慎重に封を切っていった。
触れた感覚からして、エアクッションのようなもので包まれた何かが封入されているのは間違いないだろう。
つまり、破損する可能性がある物で、破損しては困る物……このサイズから推察するに、USBメモリやSDカードの可能性が高いだろうか。
私は開封しながらノートパソコンを起動させておく。
幾重にも巻かれたエアクッションから出てきたのは、やはりUSBだった。
封筒の中にはメッセージの類は入っておらず、とにもかくにもこのUSBの中にある情報を開いてみろという無言の指令しか伝わってこない。
ならばそれに従うのみで、USBをパソコンに差し込むと、パスなども求められず、すぐさまフォルダメニューが画面に並んだ。
それらを一つずつ開いていった私は、はじめて知る事実が次々と広がっていくのを、目を見開いて追いかけた。
……だがしばらくすると、Stay calm...と窘めるまでもなく、冷静が舞い戻ってきたのである。
よくよく考えてみると、それらはどれも頷ける内容ばかりにも思えてきたからだ。
”理由なき言動は身を亡ぼす”
それが信条の父が、いくら旧友といえど、他人の抱えたトラブルにわざわざ自ら巻き込まれに行くなんて。
そこに何かしらの知略が潜んでいても不思議はない。むしろその方が説明つくだろう。
実際、おじさまからの誘いを渋る私を説得し暢気に留学を勧めてきた父に、薄々何か思惑があるのかもしれないと勘繰ったこともあった。
だが、全寮制男子校に女子一人で編入、という大きなハードルのせいで、私の思考はいっぱいになってしまったのだ。
私はパソコンを抱え上げ、片手を電話に伸ばし、内線をかけた。
コール音は鳴るものの相手が出る気配はなく、そのまま待機しながら頭を整理する。
父の勧めに従いいざ留学してみれば、学院内には私以外にも館林の人間がいた。
ここ吹月学院の在校生に国内外の名門一族やその関係者が多いという事もあって、館林の縁者が在学していても特に訝しむ理由はなかった。
だがUSBにあった資料によると、その人物は父の命により、本来なら中高一貫校の吹月学院において数名のみ募集される外部入学試験を受け、今年の春より潜入していたらしい。
当然、己の身分は伏せたままで。
その目的は―――――
《―――はい》
コールが、よく知る声に代わった。
「私よ。ここにある情報は、間違いなく正しいと断言できるのね?」
《……ずいぶん早かったですね。フラットAにお戻りになるのはもうしばらく後かと思っていましたが》
「答えて。あなたは父の指示で、わざわざ進学先をこの吹月学院に変更したの?」
《ええ、その通りですよ、お嬢様。お渡ししたデータにもありますように、日本における再生可能エネルギー関連施設調査の結果、この近辺が適しているという推薦がありましたので》
「では、資料にある通り、数年前から吹月学院も用地買収の検討エリアになっているのね?」
《非常に好条件ですからね。特に高等部は》
「だから父は私を吹月へ派遣したのかしら?偵察要員として。けれど既にあなたがいるのに、どうして?」
《確かにそれは疑問でした。が、どうやら久我学院長は私の素性に気付いていたようですね。先ほど音楽棟前で声をかけられた時、『館林は週末はニューヨークかね』と問われましたから。そしてボスの方もそれを察して、私だけでなくお嬢様にも吹月行きを望まれたのではないでしょうか》
「けれど私は父から何も指示されていないわ?」
《調査自体は既に終了しておりますので、お嬢様に求められたのは、外交的な意味合いが大きいと思われます》
「短い期間でも館林の娘が在籍したという、縁を成立させたかった?」
《立派な動機付けになりますからね。買収するにしても、共存するにしても》
「待って。では、おじさまは?父の興味がこの土地にあるとおじさまは気付いていらしたのよね?それなら、館林の娘である私を頭を下げてまで招くなんておかしくないかしら?勿論有栖川さんの件があって適当な女子生徒を探していらしたのは承知しているけれど」
《それは……あくまで私の想像になりますが、久我学院長はボスとは真逆で、あなたが吹月で思い出深い時間を過ごし親しい友人を得る事で、用地買収の候補からの除外に繋げたいと考えたのではないでしょうか。それはそれで一理あるとは思います。誰だって母校がなくなるのは歓迎しませんからね》
「つまり、私がビジネスに私情を持ち込むような軟弱者だと思われたのかしら?」
《ですが聞いたところによると、お嬢様は円城寺、栗栖、京極寮長に乞われて留学期間の打ち切りをやめられたのでは?それですと、私情持ち込みまくりのようにもお見受けいたしますが》
「彼らはビジネスには無関係だもの」
《お嬢様がそう仰るのでしたら、そういう事にしておきましょうか》
「そんな風に言わないで。彼らははじめてできた同年代の友人なの」
《……そうでしたか、それは失礼いたしました。では尚のこと、吹月学院は思い出深い学び舎になりそうですね。これは久我学院長側に分がありそうだ》
「それはわからないわ。ビジネスと私情は離して考えないと」
《とても15歳の発言とは思えませんね》
「お互い様よ。けれど、父は私に用地買収について伏せていたのに、私はそれをあなたから聞いてもよかったのかしら?」
《口止め等の指示は特に受けておりませんので、問題はないかと存じます。それに、私は先日よりお嬢様専属の秘書兼警護の任を拝しましたので、お嬢様に益であると判断した情報をお伝えするのは当然のことと考えます》
どこもかしこも隙のない意見に、私は何とも優秀な秘書を獲得したものだと、留学生活の充実を期待した。
だがやはり、両者にそれぞれの思惑で踊らされていたのだと知ると、とても歯痒い。
「父とおじさま、二人に駒にされて……結局、夏の終わりにFull gullなのは、私だったということね……」
自嘲がこぼれると、彼からは《うまいこと仰いますね》と感心されてしまう。
《ですが何にせよ、お嬢様の留学生活は私が全力でお仕えいたしますので、どうぞご安心を》
「ありがとう。頼りにしているわ」
《ところで、先ほど円城寺に、夕食がてらお嬢様の歓迎パーティーの計画を立てようと持ち掛けられましたが、夕食なら俺よりもフルーガルを誘ってみたらどうかと言っておきましたよ。なのでもう間もなく、円城寺がそちらに伺うと思われますので、相手をしてやってください》
彼が優秀なのは仕事面だけではないようで、私は、円城寺君と彼のやり取りを想像してはフッと声に出して笑っていた。
そして私の雰囲気が浮上したと受け取った彼が電話の向こうで
《フル・ガルでもフルーガルでも、お嬢様の留学生活が実り多いものになりますよう、心よりお祈り申し上げます》
私以上に15歳には思えない締めの文句を告げると、ほとんど同じタイミングで廊下から賑やかなノックが聞こえたのだった。
「マイマイ、戻ってる?ご飯まだなら一緒に食べようよ!今日は吹月で一番人気の煮込みハンバーグだよ。食べ逃すなんて勿体ないよ!」
勿体ないという私の口癖が移ったのか、それともそう言えば私の関心が向くと思ったのか、円城寺君はさっき音楽室で別れた時よりもさらに上機嫌だ。
《なるほど、確かにそれは勿体ないですね。では私はこれで失礼いたします》
彼はクククッと笑いながら告げると、私の返事を待たずに電話を切った。
だが立ち替わるように廊下からはさらに賑やかな声が聞こえてくる。
「おい円城寺、館林は遠出して疲れてるかもしれないだろ?返事がなけりゃ諦めろよ」
「うるさいなぁ!お前に言われなくてもわかってるよ!僕だってちゃんとマイマイのこと考えてるんだから!」
「二人とも、廊下で騒がないように。ミス・フルーガルなら手紙が届いていたようだから、今頃目を通してるんじゃないかな」
「そうなんですか?じゃあ、声かけない方がいいかな…」
「でも煮込みハンバーグを食べ逃すのは勿体ないんだろ?」
「そうだけどさ…」
私は通話の途切れた受話器を持ったまま、このまま放っておけばどんどん繰り広げられていきそうな彼らの会話を聞いてるだけで、楽しいとさえ感じていた。
それが終わってしまうのが勿体ない。
そう思うや否や、扉を開いていて。
フル・ガルでもフルーガルでも、そのおかげで彼らと出会えたのだとしたら、どうでもいいのだろう。
私は夏の終わりに、友人と過ごす時間をただ味わいたかった。
だから、明日からも続いていく吹月学院での、フラットAでの暮らしに想いを馳せながら、廊下で私を待ってくれていた彼らに笑いかけたのだった。
「それは勿体ないわね」
(完)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
誤字報告、”いいね” など、お読みいただいてる皆様の足跡に、とても励ましをいただいておりました。
また次回作でもお付き合いいただけたら嬉しいです。
ありがとうございました。




