94 もう一つの依頼
「―――はい」
私達を代表してノックに応じたのは京極さんだった。
夕食時、食堂棟から遠く離れた敷地の端にある音楽棟にわざわざ足を運ぶなんて、偶然であるわけがない。
ノックの主が誰にせよ、明らかな意図を持ってこの場に訪れたのは間違いないだろう。
そしておそらく、ここに私達四人が集まっている状況を把握している。
それを知っていても不思議ない人物といえば……それはもう、ふるいにかけるまでもなく、一人しか思いつかなかった。
そして思った通り、ゆっくり開いた扉から姿を見せたのは、
「やあ、賑やかな声が外にまで聞こえてきていたよ。うん、みんな揃っているようだね」
さっき学院長室でお会いしたばかりの、久我のおじさまだった。
「久我学院長でしたか……」
マスターキーを所持しているおじさまならば、例え音楽棟の入口に鍵がかかっていようと、ここまで問題なく来られるのも当然だ。
そう思ったのは他の三人も同様だったらしく、応答した京極さんからは膨らみかけた緊張感が萎んでいくのが伝わってきた。
「学院長先生、何のご用ですか?」
悪意なさげにそう問う円城寺君は、まさか言外で ”何か用がないなら帰ってください” という深読みをさせたいわけではないのだろうが、今の状況ではどう聞いてもそうとしか解釈できなかった。
だが久我のおじさまは一切気にしないような鷹揚な態度で答えられたのだ。
「管理人の葛城さんから、何やら音楽棟が賑やかなようだと知らせを受けたものだからね。少々気になって見に来たんだよ。そうしたら、どうも穏やかでない声が聞こえてきたものだから、つい老婆心が前へ出てしまってね。どうやら舞依ちゃんが責められてるような会話だったように思ったが、違ったかね?」
すすっと、おじさまがさりげなく音楽室の中に進み入っても、誰も止めはしない。
それどころか円城寺君は、「そうなんですよ!」と手のひらを打っておじさまの登場を歓迎してるようでもあった。
「マイマイ、えっと…館林さんが実は大学をもう卒業してたっていうのを、僕達は今知ったんですけど、それを知ってこの栗栖がなんか拗ねちゃったんですよ。俺達の事も研究資料にするつもりだったのかーって」
「いやだから、拗ねたわけじゃな…」
「学院長は、勿論館林さんの学歴についてはご存じだったのですよね?」
京極さんが栗栖君のセリフに被さるようにして尋ねた。
「勿論だよ。だから彼女に吹月学院に来てもらったのだから」
とん、と私の肩に手を乗せて、おじさまは彼らにぐるりと視線を回した。
その返事を聞いた私は、おじさまが例の件をここですべて明らかにするおつもりなのだと理解した。
私が女子にもかかわらず全寮制男子校に招かれた、もう一つの理由を。
そして、おじさまから受けた、もう一つの依頼を。
「だからというのは、どういう意味でしょう?」
「その通りの意味だよ、京極君。舞依ちゃんが心理学の分野においてとても優秀な研究者であり、カウンセリング技術も申し分ないと聞いたものだから、その才を是非とも我が吹月学院で活かしてもらおうと思ったわけだよ」
「それはつまり……、彼女を、我が校のカウンセラーとして招いたということですか?」
「カウンセラー?マイマイが?」
パッと連鎖的に私を見てくる二人とは違い、栗栖君だけはおじさまから視線を逸らさずに腕を組んだ。
「それなら最初からそう周知させておけばよかったんじゃないですか?こんなスパイみたいな真似しなくてもよかったと思いますけど。まあ、もともと学院長が俺達の事を疑って、外部から探偵まがいな仕事をさせる為に館林を呼んだのでしょうから、スパイというのもまったくの比喩というわけでもないでしょうけど」
彼は私への不信感をそのままおじさまにもスライドさせたようだ。
その気持ちもわからないでもないので、甘んじて責めは受けるつもりだが、何だか今の栗栖君のセリフにはわざとらしさのようなものも垣間見えてしまう。
しかしながらおじさまは、やはりそんな栗栖君の鋭利な態度にも微塵も揺るがなかった。
「ああ、私が有栖川君の件で舞依ちゃんに調査を依頼したという事を聞いたんだね?確かにそれは探偵やスパイといった仕事と似通っていたかもしれないが、私が舞依ちゃんに依頼した内容は他にもあるんだよ」
「記憶喪失になった有栖川先輩の恋人役、ですよね?」
「栗栖君はそこまでもう知っているんだね。確かにそれは今朝追加した依頼だよ。だがそれ以外にももう一つ、私が有栖川君の件以外で舞依ちゃんに依頼したことがあったのだよ」
「そのもう一つの依頼とは、いったい何だったのですか?」
栗栖君に代わって京極さんが問うと、おじさまは躊躇うことなく仰ったのだった。
「それは、有栖川君の転落現場を目撃した君達フラットAの寮生への、心理療法だよ」




