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92 夏の終わりのフルーガル






京極さんは、じっとスマートフォンに視線を落としている栗栖君の真正面で、彼が顔を上げるのを待っている。

栗栖君の元に何らかの連絡が届いたのは私も円城寺君も気付いているが、京極さんにはその相手や内容までもが類推できたというのだろうか。


円城寺君はピアノスツールからぽんと立ち上がり、栗栖君につかつかと歩み寄った。


「何だよ栗栖、お前、まだ何かコソコソしてたのか?」


からかい半分、残り半分は腹の探り合いといったところだろう。

ここにいる誰もが、一筋縄ではいかない人物だ。

私はひとまずは流れを見守るつもりで、栗栖君の返答を待った。

すると栗栖君はぽそりと、「なるほどな…」と言い零したのだった。


「何が ”なるほど” なんだよ」


刺々しく尋ねる円城寺君の隣からは、京極さんが「敦啓(あつひろ)、説明しろ」と命じる。

二人の間に主従関係があるわけではないのだろうが、突き詰めて削ぎ落していけば、最終的にはそうなるのかもしれない。

だが栗栖君が大人しく言う事を聞くとは思えず、現に今も、京極さんの命に逆らうようにして、彼は私を黙って見据えてきたのである。



「フルーガル」

「え?」


栗栖君にそう呼ばれたのははじめてだ。

唐突の呼びかけに、思わず戸惑いの声が漏れてしまう。

けれど栗栖君は私を呼んだわけではなかったようだった。



「………よくできた話だよな、本当。倹約家を意味する frugal(フルーガル) じゃなくて、完全に騙されたって意味にも取れる full(フル) gull(ガル) だったわけだ。本当によくできた話だ。俺達は揃いも揃って、見事に全員が、館林に騙されてたんだからな」



怒るでもなく、取り乱すわけでもなく、栗栖君は深いため息と共に告げた。


「何?栗栖、何言ってんだよ?騙すって、何の事だよ?」


円城寺君が苛立たしそうに声を荒げるが、京極さんは何も言わずに栗栖君のスマートフォンを取り上げた。

すんなり明け渡してしまったということは、栗栖君の方でも京極さんにそれを見られても構わないと判断したのだろう。

すると円城寺君も一緒になってその画面にあるものを確かめた。




「――――え」



しばらくして聞こえてきた声は、いつものやや高めの張りがあるものではなくて、低く、掠れた動揺まみれのものだった。



「マイマイ、これ本当?マイマイ…………、高校生じゃ、なかったの………?」



驚きを何重にも纏えるだけ纏って、けれど恐々と、まるで幽霊にでも問いかけるように円城寺君が及び腰で訊いてくる。


私は、とうとうばれたのかと、どこかさっぱりした心持ちで可愛らしい同級生の質問を受け止めていた。


片や京極さんは栗栖君にスマートフォンを返却し、栗栖君、円城寺君に続いて私をダイレクトな眼差しで縛り上げてきた。

そして栗栖君が具体的な経緯に言及した。



「……7月、館林 舞依について調べろと言われた俺は、すぐに取りかかった。個人情報にはうるさいご時世だが、ネットや伝手を駆使すればある程度の情報は集まるはずだった。だがいくら調べても、館林 舞依が卒業した学校や、留学先での足取りが浮かび上がってこなかった。どこかで何者かに巧妙にトラップでも仕掛けられてるように、欲しいデータに行き着かないんだ。VIP中のVIPだという館林家のご令嬢に関しての情報だから、特別に秘匿されていてもおかしくはない。そうこうしてる内に俺はお手上げ状態の中で、館林 舞依本人と対面することになった。その時点で、俺は調査から一旦は手を引いた。もし仕組まれた情報操作だったとしたら、下手な手出しは危険と判断したからだ。だが実際に知り合った館林 舞依と接していくうちに、もうその調査自体無用なんじゃないかとも思った。館林 舞依という人物を、俺は好意的に感じていたからだ。俺が解けなかった問題を解決し、辿り着けなかった事実を明らかにしてくれた。そんな人物を信頼もしていた。だから、海外に手配していた調査も、今日明日中にでもストップをかけるつもりだった。さっきのメールは、アメリカで調査に携わっていた人間からの報告だ」


栗栖君のスマートフォンを持たない手は、もう片方の手首を握っていた。

普通、快適な心理状態の時には見受けられない仕草だろう。

それが意味するのは、対峙する者への不満、不快、不安……

つまり彼は、私に対して強い負の感情を抱えているということだ。



「館林、教えてくれ。ここに書かれているのは事実なのか?お前はアメリカで飛び級して大学に進み、心理学を専攻、首席卒業後、館林家が出資する関連企業と研究所の共同調査の為に、提携してるスイスの寄宿学校にカウンセラーとして赴任予定だったが、その直前に追加で日本の名門男子校でサンプル調査に取りかかる事にした…………そうなのか?」


栗栖君の話し方からは、やはり憤りの類は見て取れない。

むしろ、悲しみや、困惑と言った色合いが強くて、私はそうさせてしまったのが自分である事に、申し訳なさは確かに感じていた。

だが何も言い返さない私に、さすがの栗栖君も堪忍袋の緒が切れたのだろう。



「答えろよ。お前は、俺達や有栖川先輩の事を研究の資料集めに利用する為に吹月(ここ)に来たっていうのかよっ?!」



はじめて耳にする栗栖君の怒鳴り声は、怒気というよりも、溢れんばかりの悔しさに満ちた叫び声だった。










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