89 二通目の手紙
私は久我先生のご希望通りに、先を進めた。
「久我先生と有栖川さんの関係を知った私は、より詳細を求めて、館林家の秘書の力を借りました。なかなか仕事のできる秘書でして、その報告書で、私は有栖川さんの現在の状況を知るに至りました。意識回復後、退院と。それを知った私は、とても混乱してしまいました。そこで、もっと確かな情報を集めるべきだと、新聞の暗号を使って久我先生を呼び出しました。それが昨夜のことです。ですが、久我先生、京極さん、お二人からあの夜の話をお聞きするうちに、私は違和感を覚えたのです」
「それは、父に対して…ですか?」
「ええ、その通りです。昨夜久我先生も仰ったように、学院長は有栖川さんの恋人が息子の久我先生だとお気付きだったのではないかと思いました。ですが、学院長は私にそのような事は一言も仰らなかった。その夜の内線履歴についても、手紙の筆跡についても説明はなかったのです。それどころか、ライブラリーに散らばっていた手紙は差出人不明のままだと、はっきりそう仰ったのですから。違和感を持った私は、翌朝…今朝のことですが、早い時間に学院長との面会を申し込みました。そこに、円城寺君も同席してもらいました。彼は一番初めに私に有栖川さんの件を教えてくれましたし、調査の手伝いもしてもらいましたので、その結果を知らせるのは当然だと思っておりました。もとよりそうするつもりで、昨夜久我先生からもお許しをいただいたのです」
「ああ、そうだったね。それで、父は何と?」
久我先生は一刻も早くと、焦燥を隠さなくなっていた。
それは円城寺君以外の三人も同じようで、皆声には出さなくとも雰囲気は前のめりだ。
円城寺君は自分の名前が挙がったことに多少の反応は示したものの、すぐさま元の ”聞く姿勢” に戻った。
「学院長は、私が有栖川さんの意識回復と退院を把握していると告げると、観念なさったように色々と明らかにしてくださいました。実は既に有栖川家からはそのように報告を受けていたと。けれど、それを職員やあの夜の目撃者であるフラットAの生徒達に伝える事は、ご両親から止められてしまったと」
「それはどうしてだい?」
我慢ならないという口調で尋ねたのは京極さんだった。
それは無理もない。私が彼の立場でも、似たような事を思うかもしれない。
寮長である自分にも教えられない理由があるのかと、勘繰りたくもなるだろう。
自分に何か落ち度があったのか、寮長という任を全うできていなかったのか、そんな不安が芽生えるのも仕方あるまい。
私は、あなたのせいではありませんという想いを込めて、京極さんをまず見つめた。
それから他の皆それぞれに視線を移していって。
「それは――――目を覚まされた有栖川さんからは、吹月学院に関する記憶のみが失われていたからです」
「っ!!」
「―――っ!」
「なんだって?」
「……記憶が?」
当然ながら、円城寺君以外の全員からは驚愕が爆ぜる。
信じられない、あり得ない、そんな疑念が飛び散ってくるのを受け止める為、私はわずかに間をとった。
「……そういった事情から、有栖川さんのご両親は、学院長以外には意識が戻った事を知らせないようにと願われたそうです。おそらくは、無闇に心配をかけてしまうと配慮されたのでしょう」
「それで?それで唯人の記憶は?今も戻ってないんですか?」
「順を追ってご説明いたします」
誰よりも焦慮を高めていく久我先生に、可能な限りの穏やかな声色で返した。
「学院長はその知らせを受けて、すぐに入院中の有栖川さんを見舞われたそうです。幸い、有栖川さんにお怪我はなく、身体的にはどこも問題はなかったようでした。そして、やはり吹月学院で過ごした日々の記憶は消失されている様子だったといいます。学院長の事も覚えてなかったそうです。ですが、学院長は、些細な事で引っ掛かりを感じられた。そしてその結果、もしかしたら、彼は記憶を失くしたフリをしているのではないか?という考えを持たれたそうです」
「……フリ、ですか……?」
「なんでそんな……」
おおいに戸惑われたのは久我先生と楠先生で、京極さん、栗栖君は少々勘付いたような気配があった。
「学院長も、確証はなかったと仰いました。強く問い詰めても有栖川さんを追い詰めかねない。学院長は疑わしく思いながらも確かめる術を探しておられた。そこへ、有栖川さんのご両親から、彼と親しい間柄の人間なら、何か思い出すきっかけがあるかもしれないと、学院長のもとに相談が届きます。事故直後、ライブラリーの手紙を読んだ警察関係者からは、有栖川さんが恋愛関係で何か悩みがあったようだと伝えられていたので、ご両親は、自分達の息子には秘めた恋人がいるのだという事はご存じでした。ですので、学院長に、その彼女を調べて連れて来てほしい、そう頼まれたのです」
すると、私の説明はまだ途中だったにもかかわらず
「ああ、じゃあそれで?」
栗栖君が納得顔で問うてくる。
だが答えを望んではいないようで、すぐに京極さんからも「なるほど」という呟き声が聞かれた。
「つまり、その彼女役を任せる為に、きみは遠くロンドンから呼ばれたわけだね?ミス・フルーガル」
「その通りです」
私が京極さんと向き合っているうちに、一方の久我先生も大体の予測はついたようだった。
「だから父は無理を言って舞依さんを呼び寄せた……唯人の相手が俺だと知っていたから、俺の代わりに、舞依さんを……」
「確かに、ややこしい事情を承知した上で適当な振る舞いができて、口が堅くて信頼できる、有栖川先輩と年齢も近い女子……となると、そんな人材はごく限られてくるんだろうな」
栗栖君が半ば感心するように嘆息した。
だが久我先生にとっては私の事など二の次なのだ。
「それで舞依さんは唯人に会いに行かれたのですね?」
「ええ。しっかりと、久我先生の代役を務めさせていただきました。正確には、恋人ではないけれど親しかった女友達、という設定ですが。学院長からは、本当に有栖川さんが記憶を有していないのかを確かめてほしいと依頼されました。そうして今日、学院長との面会を終えた私はその足で東京の有栖川邸を伺ったのです」
「それで、唯人は……?」
その居ても立っても居られない様子の久我先生を目の当たりにして、私は、ピアノスツールに待たせていたアナベルと手紙に手を伸ばした。
今なら、きっと受け入れられるはずだと信じて。
「結論から申し上げて、有栖川さんの記憶は失われておりませんでした。学院長の推測通り、吹月学院で過ごした思い出を忘れたフリをなさっていたのです。理由は、大切な人を…久我先生を、守る為です。意識が戻った有栖川さんは、あの夜自分が持っていた何通もの手紙がどうなったのかを不安視された。筆跡から久我先生だと知られたら、自分たちの関係が公になってしまい、教師である久我先生に迷惑がかかってしまうと案じられたのです。だからあの夜何が起こったのか、何も覚えていないという事にしたそうです。そのうち、自分が何も覚えていなかったら、万が一あの手紙の差出人を久我先生だと疑われても、久我先生がお認めにならない限りは白を切れるのではと、そう考えられたのです。ですからはじめは、有栖川さんは私にも真実を話してはくださいませんでした。ですが私がある質問を投げかけた時、有栖川さんは自分は記憶を失くしていないとお認めになったのです」
「いったいどんな質問をされたんです?」
「『あなたがあの夜の出来事を証言しないと、久我先生があなたを突き落とした容疑者にされてしまいますよ』そのような感じの事を。そうしましたら、有栖川さんはとても心配されたようで、あの夜の事もすべて話してくださいました。そしてこちらを……」
二歩ほど久我先生に歩み寄り、手紙とアナベルを彼の前に突き出す。
「これは?」
先ほどの神村さんの例があったせいか、久我先生はやや慎重な面持ちで確認を求められた。
だがそんな警戒も、私がこの手紙の送り主を告げるまでのことだった。
「こちらは、有栖川さんから久我先生にと、お預かりしてきたものです」
私の説明が言い終わるよりも早く、久我先生が私の手から有栖川さんの手紙を引き抜いたからだ。
神村さんの手紙に対するものとはまるで違う温度で、仕草で、久我先生は一瞬も止まることなく封を開いたのだった。
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