88 一通目の手紙
話は久我先生と楠先生の到着を待ってから。
暗黙のうちに決まっていたルールのもと、私達フラットAの生徒四人は音楽室で彼らを待った。
私はピアノスツールにペーパーバッグを置き、傍らに立った。
円城寺君はペーパーバッグの横に腰かけ、京極さん、栗栖君はピアノからやや距離をとった位置にいた。
そして間もなく、久我先生と楠先生二人揃って姿を現した。
二人ともが大急ぎでやって来たかのような、そんな呼吸をしていた。
「舞依さん、あいつの意識が戻ったって本当なんですか?」
久我先生はひどく焦った相好で、その双眸は私以外を映していないようだった。
おそらく栗栖君が先ほどのメールでその件についても触れたのだろう。
それもあって、久我先生と楠先生は大急ぎでここに駆け付けた。
だから私も負けじと久我先生をまっすぐに見据えて。
「はい、本当です」
しっかりと伝えたのだった。
するとガバッと覆い被さられるように久我先生に両腕を掴まれてしまう。
「あいつは、唯人は無事なんですか?どこも怪我はないんですか?」
必死の形相は、久我先生の彼を想う心が形になったものだろう。
私以外の三人と楠先生は心配げにも見えたが、私は揺さぶられながらも、こんな久我先生だったら、このアナベルも手紙も問題なく受け入れてもらえそうだと、予感を高めていた。
「無事です。どこも怪我はありません。これからひとつずつお話しさせていただきますので、久我先生、それから皆さんも、どうぞ聞いていただけますか?」
そう伺うと、久我先生はそっと私から手を離された。
「……すみません、つい、気が急いてしまって……」
「よろしいのですよ。それだけ、有栖川さんを心配なさっているのでしょうから。別れを告げられた、今でも変わらずに」
「それは……」
久我先生はにわかに言葉を彷徨わせたが、そう間を置かずに、「そうですね……」とお認めになった。
私はその返事を聞けて、心情的にふっと軽くなった感覚がした。
やはり、自分が、他人の人生を大きく左右するきっかけになる事に、決して小さくはない緊張を抱えているのだ。
だから、当事者である久我先生にも、それを見守る彼らにも、丁寧に真摯に、事情の説明をさせていただこう。
「では、順を追ってご説明いたします」
全員の顔を一人ずつ見やってから、私は、まず私がこの吹月学院に呼ばれたところから話しはじめることにした。
「私は父と親しい久我学院長に招かれる形で、ここ吹月学院にやって参りました。その際の表向きな立場は、”有栖川さんとの交換留学” でしたが、有栖川さんが実は留学などされていないと真実を知っていらしたフラットAの皆さんは疑問を持たれたでしょう。ただ、私という交換留学生を実在させる事により、有栖川さんの留学に真実味を加えられる…そう思われた方もいらっしゃるかもしれません。そして職員の中にも訝しむ方々がいらしたので、学院長は ”今後共学化も検討する為の実験的な女子生徒の受け入れ” という名目を作り上げ、私の編入を職員の方々に認めさせたのです。実は私自身も、実際に吹月学院に来るまでは、その名目を信じておりました。ですがフラットAに入ってみて、例の噂を聞いたり、新聞の暗号を見つけたりして調べているうちに、円城寺君から有栖川さんと、彼に起こった5月の出来事を教えてもらい、引っ掛かった私は学院長に私を招いたのは他に理由があったのではないかと尋ねたのです。そこではじめて、学院長が私を吹月学院に編入させた目的を知りました。いくつかあったその目的のうち一つは、5月の出来事の真相解明でした」
「質問をいいかい?」
京極さんが小さく手をあげる。
「なんでしょう?」
「いくら優秀だとしても、ミス・フルーガル、君はまだ15歳の子供だ。なのにどうして学院長はそんな君に真相解明を依頼したりしたんだい?」
「それは尤もな質問だと思います。ですがそれについては、私よりも久我学院長自身から答えていただいた方が間違いないかと存じますので、今この場で私から申し上げるのは控えさせてください。ご理解いただけますか?」
礼儀正しく回答を拒否した私だったが、京極さんは「……わかった。話を止めて悪かったね」と、了承してくださった。
「ご理解ありがとうございます」
京極さんに告げながらも、私の指先は無意識のうちにピアノの天板の縁を撫でていて、多少の動揺があった事を証明していた。
気持ちを整えて、私は久我先生を見つめた。
「……そうして私は、久我先生と有栖川さんの関係に行き当たりました。そのきっかけを与えてくださったのは、神村 菖蒲さんという女性でした。彼女はまた、久我先生が有栖川さんと別離を考えるきっかけも作った人物でした。その件については、私は何も申し上げません。理由は二つあります。一つは、久我先生と有栖川さん以外の人間は、私も含めて全員がただの部外者だからです。そしてもう一つの理由は、神村さんから、こちらの手紙をお預かりしているからです。どうぞ。久我先生への手紙です」
「え……?」
驚いている久我先生に、私は神村さんの手紙を握らせた。
読む読まないは本人に任せるとして、久我先生に直接お渡しするという任務は完遂させたかった。
「お読みいただくかはご自由に」
久我先生は戸惑いを浮かべたまま、けれどすぐに「そうですか、わかりました…」と言って、手紙をジャケットのポケットにしまった。
その短いセリフから滲み出ていたのが、”それよりも早く唯人の事を教えてくれ…” そんな切実な希望だったのは、一目瞭然だった。




