87 出迎えてくれた三人は
学院長室を退室した私は、一旦フラットAの自室に戻ろうかと考えた。
外はまだ明るく人目も多いので、久我先生や京極さん達といった目立つメンバーが一堂に会するのには不向きな時間帯だったからだ。
一度部屋に戻って、そこからまず円城寺君に内線で有栖川さんの無事を知らせて、安心してもらった彼に京極さん達への言付けを頼もう。
場所はやはり音楽棟が適当だろうか。
消灯後とまでは言わなくとも、せめて日が暮れてから……
頭でそんな段取りを並べていたが、校舎と食堂を結ぶ渡り廊下を通りかかった時、今まさに思い浮かべていた人物がそこに勢揃いしているのに気付き、ぴたりと足が止まったのだった。
「お帰り、ミス・フルーガル。長旅お疲れ様」
「よお、早い帰りだったな」
「マイマイ、お帰り!」
三者三様の出迎えを送ってくれたのは、最早言うまでもなく、京極さん、栗栖君、円城寺君だった。
「ただ今戻りました。わざわざ待っていてくださったのですか?」
「さっきマイマイがタクシーから降りるのを見たって聞いてさ。でも栗栖は勝手について来ただけだよ」
「こいつ、今日一日ずっと俺と寮長を見張ろうとしたんだぜ?それで理由を問い質したら、館林が今日有栖川先輩の見舞いに行ってるっていうし、戻ってきたらすぐに話を聞こうと思ってたんだ。なのにこいつは一人で館林の出迎えをしたがってて、だからこうして俺と寮長でマークしてたわけだ」
もうすっかり見慣れた二人の軽口の応酬に、私はほんのりとホッとしていた。
けれどそれも、京極さんの一言で緊張感が生まれるまでの短い時間だった。
「それで、学院長への報告は終わったんだね?」
暗に、次は俺達に話してくれるんだろうね?という圧しがあるのを隠しもしない京極さんは、するりと、私が提げたペーパーバッグを一瞬だけ掠め見た。
「こちらが、気になりますか?」
質問に質問で返した私だったが、京極さんからの回答は待たずに中身を告げる。
「こちらは、有栖川さんから久我先生への贈り物です。先ほどお預かりして参りました」
「―――っ!」
「――っ?!」
ペーパーバッグを持ち上げると、京極さんと栗栖君はほぼ同時に目を見開き、それを凝視した。
「アリス先輩は意識不明じゃなかったのか?!」
反射的に声を上げた京極さんだったが、すぐにここが人目のある往来だと思い出したのか、咄嗟に口をつぐまれた。
「……場所を移した方がよさそうだな」
そう言ったのは栗栖君だ。
彼は右手にカチャッと鍵を揺らして。
「実は音楽棟の鍵を楠先生から預かってるんだ。昨夜の続きをする為にな」
その提案に頷かない者が、いるわけはなかった。
◇
「ところで円城寺は驚かないんだな。ひょっとして有栖川先輩の意識が戻ってると、お前も知ってたのか?」
四人で音楽棟に入り、内側から鍵をかけたところで、栗栖君が前触れなく問いかけた。
それは鋭い声質であった。
驚愕の中にあっても、彼は周りに意識を配する事を怠らない。
勿論それは京極さんにも共通しているところだろうが、栗栖君の方が一歩だけ早かったようだ。
問われた円城寺君はちらりと私を見てきたので、私は軽く手を動かし、どうぞ?と仕草で了承の返事をした。
「今朝早くに、マイマイに呼ばれて、一緒に学院長室に行ったんだ。そこで学院長先生から、本当はもう有栖川先輩の意識が戻ってるって聞いた」
「いつ?アリス先輩の意識はいったいいつ戻ったんだ?」
京極さんは円城寺君ではなく私にその質問を投げてこられた。
表情はまったくの無色で、少しも読めない。
「久我学院長から、いつ、と明確に知らされたわけではありません。ですが、館林の秘書が事前に有栖川 唯人さんについての調査を進めておりまして、その報告書には6月末に意識回復、退院との記載がございました」
「なんだって?」
「それ本当かよ?」
京極さんと栗栖君の声が寸分の狂いなく重なる。
「栗栖、お前も調べたんじゃなかったのか?」
「調べたけど、高校生の俺には限界もあるって。それに瞬ちゃんだって京極家お抱えの調査員にも調べさせたって言ってたじゃないか」
「だがお前が調べたのと同じ結果だった。現在も意識は戻らず、入院継続中…そうだったよな?」
音楽室に向かう途中の階段手前で、彼らは完全に足を止めた。
だが、その内輪揉めとも呼べそうな会話に一石を投じたのは、その話題には無関係のはずの円城寺君の無邪気な一言だった。
「じゃあ、全国模試で一位をとった栗栖よりも、京極家御用達の探偵よりも、マイマイのとこの秘書の方が優秀だったって事だね」
小動物のように可愛らしい同級生は、なぜか機嫌良く、私達の先頭に立って足取りも軽やかにトントントンと階段を上っていく。
京極さんと栗栖君は虚を衝かれたように円城寺君の背中を見上げていた。
こんな時、日本風の反応をするのなら、”そんなことはない” と謙遜すべきなのだろうか?
だが残された彼らにはその必要はなかったようで、二人は顔を見合わせて小さく苦笑ったのである。
ともすれば緊張感が増幅し過ぎてヒリリと痛々しくもなりかけた空気を、円城寺君はいとも容易く霧散させてしまった。
しかもそれが決して意図的には見えないところが、彼の凄さなのだろうと感心していたのは、私だけではないはずだ。
「やれやれ、あいつの天真爛漫は物凄い武器だよな。ま、それは置いといて。館林、久我先生も呼ぶぞ?」
いいな?
確認を入れた栗栖君の手にはスマートフォン。
音楽棟は校舎とも近く、ネットは繋がるらしい。
私は勿論、こくりと首肯した。
そしてここから、昨夜の続きが始まろうとしていた。
私は有栖川さんの想いを預かった責任を、彼らの未来を変えるかもしれないという自覚を、今一度重く深く、アナベルが入ったペーパーバッグと共に握り締めたのだった。




