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85 帰路にて





「それにしても、オマケでいただいた売り物にもならない花をキーアイテムとして使うだなんて、やはりお嬢様はフルーガルの名に相応しいお方ですね」


有栖川邸を後にし、吹月学院へ戻る車内で、()は感心しきりにしみじみと言った。

本心なのか冷やかしか、どちらにしても()もこの案に一票を投じてくれたのだから、反論はないはずだ。


「誉め言葉としていただいておくわ」

「勿論誉め言葉ですよ?」


それ以外に何があるんです?とでも言いたげな()に、私はフッと笑い息だけで応じた。





あの後、アナベルを持ち出した私の案は、満場一致で可決された。

ヒントは、あの花屋の店員が口にした、”アナベル” と ”プロポーズ”。


有栖川さんには久我先生への手紙を書いてもらい、それを私がメッセンジャーとして届けると申し出たのである。

手紙には、この一本だけでラッピングされたアナベルを添えて。

勿論有栖川さんはまだ学生なので、プロポーズではなくてあくまでも ”告白” だが、今必要なのは、有栖川さんの無事と変わりない気持ち、そして諦めないと決めた覚悟…それらを久我先生に全力でぶつけて知らせることなのだから。


電話やメールよりも、直筆の手紙の方がよほど心情に訴えるものがあるだろうし、ずっと手紙のやり取りをしていた彼らにとっては最も似合いの伝達手段に思えた。

新聞紙を使った暗号メッセージも過ったけれど、推理や解読というワンクッション挟むよりも、ダイレクトに伝える方が有効なのは明らかだ。


私がそう説明すると、有栖川さんからは「辛抱強い愛情…」と、アナベルの花言葉が返ってきた。


「有栖川さんは花言葉にお詳しいのですか?」

「いや……、アナベルだけだよ。あの人との、思い出の花だから……」


きっとわざわざお調べになったのだろう。恋人との思い出の花について、色々と。

恋する相手がいると生活の彩りを豊かにしてくれる…ということだろうか。


だがやはり最初は、有栖川さんも不安を覗かせていた。

手紙とアナベルだけで、あの久我先生の決断を翻せるのか、別れを撤回させられるのかと、自分の書いた手紙にそこまでの威力があるとは思えないとの迷いがあったようだ。

だがその点については、昨夜の久我先生を見る限り、心配無用ではないかと思っていた。

なぜなら久我先生は、とてもとても後悔していらしたから。

自分が有栖川さんにもっと寄り添ってやっていればこんなことにはならなかったのに……そんな想いがそこかしこから伝わってきたのだから。


だが私はそんな確信めいた事は口にせず、あえて有栖川さんに問いかけた。



「もし久我先生がそれでも尚あなたを拒否された場合は、どうされますか?」


意地悪な質問だ。

だがまったくその可能性がないわけでもなく、有栖川さんの覚悟の見定めも兼て、私は彼の反応を待った。

彼は上下に少しだけ、眉を動かした。

ただ主だった反応はそれだけで、そこから感情は読み解けない。

悲しげだと思えば悲しげにも見えるし、ただお驚いただけだと言われたらそんな風にも思える、微妙な表情だ。


「―――どうもしないよ。僕は、やっぱりあの人と一緒にいたいから。僕のことを嫌いになったとか、他に好きな人ができたとか、そういう理由があるなら別だけど、そうじゃないなら、僕はもう、諦めない。だってその為に親に嘘を吐き通す覚悟だってしたんだからね。もし孝則さんが僕の気持ちを受け入れてくれなくても、辛抱強く愛情を訴え続けるよ。……ああ、まさしくアナベルの花言葉みたいだね」



その面もちは晴れやかで、ついさっきまで記憶喪失に陥って参っていた…フリをしていた…人物と同じにはとても見えなかった。

人が心を決めたことで強くなる瞬間を、私と()は至近距離で目撃したわけだ。



その後有栖川さんはすぐにでも手紙の執筆に取りかかろうとしてくれたのだが、様子を窺いにいらしたお母様が鳴らした控えめなノックに、それは一旦のお預けとなった。

そしてそれは、有栖川さんの…いや、私達(・・)計画(プラン)のスタートとなる合図でもあった。


三人で視線を重ね合わせ、全員がこくりと頷き、有栖川さんが立ち上がって扉を開く。

息子の佇まいが、これまでとどこか違うようだと、母親は敏感に察知し、有栖川さんが穏やかに「お母さん、心配かけてすみませんでした」と告げた時、心から安堵した笑顔をこぼされたのだった。







「でもその手紙とアナベル、受け取ってもらえるとよろしいですね」


私の脇に置いたペーパーバッグに視線を投げながら、()は静謐に言った。


「きっと大丈夫よ」

「まあ、お嬢様がそう仰るならそうなんでしょう。でも…」


()はふと言葉を置き、フフッと口角を上げる。


「何かしら?もしかして思い出し笑い?」

「ええ、まあ。だってお嬢様、自分は人を騙すのが得意です、なんて仰るから……」

「あら、嘘ではないでしょう?」

「でも自信満々にそんなこと言う人は少ないのではありませんか?現に私も得意ですけど、自分からは得意だなんて言いませんから」

「あなたの場合は仕事柄必要なスキルですものね」

「今だって現在進行形で絶賛騙し中ですからね。学院の中でも私とお嬢様に繋がりがあるなんて想像ついてる人物は皆無でしょう。ああ、でも有栖川さんには今日ばれてしまいましたが…」

「彼は吹聴したりはしないわ。帰り際にもそう仰ってたでしょう?」

「そうですね。『君達の事は誰にも言わない方がいいのかな?』と、わざわざ確認していただきましたからね」

「それに、おそらく彼が吹月に復学される頃には、私はもう吹月にはいないと思うわ」

「そうですか?」

「久我学院長が私をお呼びになったのは、5月の件の調査の為。彼らの恋路の行方はまだ定まってはいないけれど、少なくとも5月の件については真相解明には至ったわけだもの。私がこれ以上吹月学院に残る必要性はないはずよ」

「そうですか?」


他にも言いたげな()に、私は横目で「何かしら?」と促した。


「いえ、あくまでも表向きは有栖川さんとの交換留学なのですから、3月の学年末までは吹月に残られた方が自然なのではと思いまして」


その説はもっともである。

けれど


「残念ながら、スイスからはなるべく早めに来てくれと言われているのよ」


もともと赴く予定だった寄宿学校にキャンセルの連絡をした際、くれぐれもそのようにと告げられていた。

求められるのは素直に嬉しいし、吹月での私の役目が終わったのならば、3月を待たずにスイスに飛ぶ選択も考えるべきだろう。


「ではせめて、12月末までにされたらいかがですか?この後すぐ去られるとなったら、まるで夏休みだけの短期留学になってしまいますよ。9月1日の新学期はもう目の前なんですから」

「そうかもしれないわね。けれど、9月に間に合ってよかったわ。久我のおじさまも新学期までにと仰ってたところもあったから」


何気ない会話の流れだった。

だがここで、()が何かに思い当たった様子で「ああ、もしかして…」とひとり言をこぼしたのだ。


「どうかして?」

「あくまで私の考えですが、もしかしたら久我学院長は9月1日を気にされていたのかもしれません」

「ええ、そうね。新学期のスタートですもの」

「それだけではないのですよ。お嬢様が過ごされてた国々ではどうなのか存じませんが、日本では9月1日に自ら命を絶ってしまう生徒が多いので、毎年8月の終わりには予防キャンペーンなども行われているんです」

「そうなの……。長期休暇の終わりや環境が変化する際に憂鬱を感じるのは世界共通で、心理学的にもある意味正常ではあるけれど……」


続ける言葉を探していると、それを補うように()が告げた。



「もしかして久我学院長は、彼の真相にもおおよその推測は立っていて、その上で9月1日を警戒されたのではないでしょうか?彼がもう一度、そう(・・)しないようにと」


一切の感情を添えない()に、私も感傷的にならないように俯瞰で考える。


あのおじさまなら、様々な可能性に思い巡らせ、私達より先に真相に辿り着いていたとしても不思議はないだろう。

もとより、私に真の目的を伝えているとも限らないのだから。




「………さあ、どうかしらね。おじさまが時々突拍子もない事を言い出されるのは昔からですもの。今さら真意を尋ねたところで、意味はないようにも思えるわ。けれど……、もしあなたの考えが正しかったのなら、私達は間に合ったわけね……」



間に合って、よかった。



声に出さずに呟きながら見やった窓の外、流れる景色は吹月学院へまっすぐに進んでいた。










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