84 最終確認
それからの私達は、今後の事を密に相談した。
まず、私と有栖川さんはただの知り合い程度だったという設定に置き、たまたま有栖川さんが好きだと言っていたアナベルを私が見舞いに持参したところ、それを見た彼がぼんやりと吹月学院での日々を思い出していった……その流れが最も適当ではないかと、彼も含めた三人で決めた。
秘書というのは時には主のアリバイ工作も担わなければならないのだろうが、それにしても彼はスラスラスラスラと、まるではじめからシナリオを用意していたかの如くフィクションを創作していくので、有栖川さんはほんのりと苦笑いさえ浮かべていた。
それからの段取りとしては、私が吹月に戻り、久我のおじさまと円城寺君を除いた関係者に有栖川さんの意識が戻ったと知らせる。この時、記憶喪失云々については触れても触れなくてもどちらでも構わないだろう。
そしてここからが、今後の有栖川さんと久我先生の関係を結び直す為の、最も重要な時間となるはずだ。
おそらく、いや間違いなく、有栖川さんの記憶が戻ったことを彼のご両親は大喜びされるだろう。
そんな中、転落事故を知る一部の生徒や職員が見舞いに来たとしたら、それも歓迎なさるに違いない。
ご両親は息子の高校時代の記憶がすべて失われてしまったと、ずいぶん落ち込まれていたそうだから、教師や学友の訪問は彼らにとって心強いものになると思う。
今後有栖川さんが吹月に復学するにしても、偽の設定通り海外留学するにしても、高校時代に培ったものを持ったままでいられるというのは、親にとっては安心材料のひとつになるのだろうから。
だが、記憶が戻ったばかりの有栖川さんには多少の混乱も生じるだろう。
そしてご両親はまた心配な日々が続く。
そんな時、一人の教師が熱心に有栖川さんを励ましたとしたら、彼のご両親はどう感じられるだろう?
息子だけでなく、自分たちまでもが不安になっている最中、ずっと励まし、気にかけ続けてくれた人物は、彼らからはどんな風に見えるのだろう?
聞くところによると、有栖川さんは将来教師の道に進みたいとご両親には打ち明けられずにいたそうだ。
お兄様がいらっしゃるので有栖川家の跡取りではないにしても、幼少時より『大人になったら関連企業の社長になるんだぞ』と刷り込まれていた有栖川さんにしてみれば、教師になりたいというのは、なかなか言い出せない夢だった。
だが、私達の執筆したシナリオでは、その懸念もいくらかは晴れるかもしれないのだ。
不安が続いていた時、一番近くでずっと支え続けてくれた人が教師だったら、その人物に憧れを抱いたとしてもおかしくない。
そしてそれは有栖川さん本人だけではない。
ご両親にとっても感謝しきれない相手なのだから、教師になりたいと言い出した息子にもある一定の理解は持たれることだろう。
その進路変更をすぐには許さなくとも、いつかはお認めになるかもしれない。
ただこのシナリオは、希望的観測も込みだった。
それゆえ、有栖川さんにお披露目しても、そんなに上手くいくだろうかと拒否される可能性もあった。
その際は、人間の心理は複雑だけれど、それを構成している一つ一つの感情はとても単純で、その単純な感情の一つを狙ってくすぐったり刺激したりすると、ある程度は行動傾向を導くことも可能なのだという理論を訴えるつもりでいた。
けれどそんな私の段取りをまったく無視するように、有栖川さんはこの案に即賛同されたのだ。
「特に母は感動屋だし、そういう事も有り得るかな」
おおいに頷く有栖川さんに、自分の両親を欺くことに対する後ろめたさは見受けられない。
彼の中では、もう覚悟は決まっているのだろうか。
あまりにもすんなりと受け入れる有栖川さんに、私は念のための最終確認を投げかけた。
途中で罪悪感が芽生えてきても厄介だからだ。
「有栖川さん、こちらから申し上げた提案ですが、この計画では、このまま、ともすると一生、死ぬまで、ご両親や周囲を欺くことになりますよ?それでもよろしいのですね?」
すると有栖川さんは「それは……」と言いかけた後、わずかに沈黙した。
今日何度目かの、短い沈黙だ。
けれどそれは、彼が思慮深い気質だという印象を濃く与えてくるようだった。
「……できることなら、親や親しい人みんなに、僕の大切な人を紹介したいよ?でも、君もさっき言っただろう?みんながみんな、僕達の恋愛に賛成してくれるわけじゃない。残念だけど、僕は、僕達の価値観を押し付けて、彼らが間違ってるだなんて言えないよ。それは、君も同じだよね?」
「そうですね」
「幸い、僕にはこうして一緒に未来を考えてくれる味方ができた。ついこの前までは、僕達の事を知ってるのは楠先生だけだったのに。こうやって、少しずつ、環境は変わっていくんだなと実感してるよ。だからいつかは……そう思って、今はとにかく、あの人からの別れの言葉を取り消したいんだ。それに、もし騙すことになっても家族の縁は切れないけど、このままだとあの人との繋がりは、今何とかしないと、もう切れてしまう……」
切実な想いが、痛いほどい伝わってくる。
すると必要な時以外は口を挟まずにいた彼が、「それを伺って安心できましたね?」と含みのある表情を見せてきた。
彼には私の危惧も見抜かれていたようだ。
「それでしたら、これから一番重要になってくるのは、久我先生の説得だと思われます。ですがこれについては、先ほども申しました通り、私に少々考えがございます。これを、小道具に使用したいと思っております」
言いながら私が有栖川さんに差し出したのは、私が握っていた仲間外れのアナベルだった。
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