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81 彼の想い





5月2日の深夜、楠先生が倒れている有栖川さんを発見した時、彼はもう既に意識がなかったという。

けれど今の説明を聞くと、有栖川さんには明確に ”転落した” という感覚があったのかもしれない。

それは想像するだけでもゾッとするような、恐怖の塊でしかなかった。


そして、まるでその恐怖から逃れるように、有栖川さんは一気に話す速度を上げたのだ。



「次に目が覚めた時、僕は、本当に一瞬、記憶喪失になったかのような気分になった。自分がどこにいるのか、何があってこうなったのか、時間も、場所も、状況も、その理由も、何もかもがわからなかったんだ。ぼんやりしてて、意識は戻ったものの、まだ以前みたいに普通に会話できる状態ではなかった。だけど両親や医師からの話を聞いていくうちに、徐々にあの夜の事を思い出してきて、あの時僕が持っていた手紙はどうなったのか、それが真っ先に気になった。もうあれから一か月以上も過ぎていたから、きっと手紙は誰かに見られてるはずだ。もしあの人が書いたものだと知られてたらどうしよう、僕達の関係が噂になってたらあの人は教師を続けられないかもしれない、どうしようもなく不安になって仕方なかった。だけど一日経っても、両親からはそれらしい事は伝えられなかた。息子の僕だから言えるけど、両親は同性同士の恋愛に理解があるタイプではなかったから、僕があの人と付き合ってたと知ったら、絶対に普通の態度でいられるわけなかった。なのに二人とも前と全然変わらなくて、僕は状況把握の為に、しばらくは口数を減らして余計な事を口走らないように気を付けた。そうしたら二日後、警察の人が事情を聞きに病室に来られたんだ。そこではじめて、僕の事故は公にはなっていないと知った。両親や病院関係者からはあの夜何があったかを質問される事はなかったけど、警察からははっきり訊かれて、その雰囲気から、僕は自殺を図ったと疑われていると感じた。さっきも話したように、僕は死にたかったわけじゃない……けど、ライブラリーの窓から落ちても構わないと思ったのは事実だ。だけどもしそんな事を正直に答えてしまったら、なぜそう思ったのか理由を訊かれるはずだ。そうなったら、あの人の事を話さなくちゃならない。それはだめだ。あの人を絶対に巻き込んじゃいけない。僕は咄嗟に、何も覚えていないと答えた。でも最初から記憶喪失のフリをしたわけじゃなかったんだ。何を訊かれてもわからない、覚えていないと答えてるうちに、僕が記憶喪失になってしまえば、あの人との関係が明らかになる事はないんじゃないかと思った。両親や医師に嘘を吐くのは心苦しかったけど、記憶喪失のフリなんてそんなに上手くいくのか自信もなかったけど、でもあの人を僕から遠ざける為には唯一の手段だと思ったんだ。現に、周りの誰もが、僕が記憶を失っていると信じた。だけど学院長先生が……」



駆け抜けるようにして言葉を操っていた有栖川さんが、ふと、スピードを控えた。

おそらく、遅れて登場した久我のおじさまが有栖川さんのプランに刺激を与えた、それを思い返したのだろう。



「理事長と学院長を呼び間違えたり、たぶん他にも僕のちょっとした態度に、学院長先生だけは違和感を持たれたんだと思う。両親と一緒に学院長先生のお見舞いを受けた時、何か思い出すきっかけになればと、吹月学院の写真を見せてもらった。僕は学院長先生と会うと決まった時から、何を言われても見せられても動揺しないようにじゅうぶん用心していた。そのおかげで、あの人の写真を見せられても、知らないフリができた。だけど、アナベルの白い花を見た瞬間だけは、あの夜の感触がリアルによみがえってきて、思わず身が竦んでしまった……」



有栖川さんの告白は、久我のおじさまが仰った内容と合致した。

そして、他の写真は気に留めなかったのに、アナベルの写真にだけ反応があった理由にも納得できた。

有栖川さんにとってアナベルの花は、とても重要で大切な鍵だったのだ。



「繰り返しになりますが、久我学院長は、あなたの事を本当に心配しておられます。記憶喪失が本当でも、そうでなかったとしても、あなたを守りたいと思っておられます。あなたが心配しておられる手紙の行方は、学院長の手で秘匿されております。勿論、その筆跡から、息子である久我先生が書かれたものだと把握した上で、です。警察の方でもそれを承知しており、ご両親には、手紙の差出人には触れず、あなたは恋愛で悩みがあったようだと、それだけの報告をされたようです。そういった事から、あなたのご両親から久我学院長に対し、あなたの恋人を調べてくれないかと依頼がありました。恋人をあなたに会わせたら何か思い出すかもしれない、という理由でした。そして、あなたと久我先生の事を知ってしまっている学院長は、知り合いの私をあなたの恋人候補役にと考えられました。ですが先ほどもお話ししました通り、私が吹月学院に留学を決めたのは自分の意志です。その証拠に、私があなたの恋人候補役を打診されたのは、今朝の事ですから」


「え?今朝聞いたばかりなのかい?」


有栖川さんは驚きのあまりに、片手で握るアナベルを脇に逸らしてしまう。


「はい。あなたの意識が戻っている事も、記憶喪失になっている事も、今朝はじめて聞かされました。私の他に知る者は、ここにおります私の秘書と、円城寺 譲君のみです」


「円城寺君が?」


言外には、なぜ彼が?という疑問が漂う。

私はすぐにその理由を伝えた。



「実は、何も知らずに吹月学院に留学してきた私に、一番最初に有栖川さんの件を教えてくれたのが彼だったのです。本来ならば、あの夜の目撃者には箝口令が敷かれていたのですが、それを破ってまで彼は有栖川さんの転落事故について話してくれました。そういう事情もあり、今朝学院長と面談予定があった私は、その場に円城寺君も同席をお願いいたしました」


「そう……、そうだったんだね……」


有栖川さんは噛み締めるように頷いた。



「―――そこで、有栖川さんにご相談があるのですが」



前触れもなく持ちかけた私だったが、もう色々な理解をされたのだろう有栖川さんは、すぐさま顔つきを変えられたのだった。










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