79 不穏
「もう知られてるから隠さずに言うけど、僕達は確かに付き合っていた。でも付き合うと言っても、決してやましい付き合い方じゃなかったんだ。初対面の人にこういう言い方はどうかと思うけど、でもわかりやすく言うなら、肉体関係はなかった。本当に、一度もなかったんだ。誰にも内緒で手紙を送り合ったり、時々消灯後に抜け出して会ったり、あの人の車で遠出したり、勉強を教えてもらったり、……そりゃ、何もなかったとは言わないけど、せいぜいキス止まりで……って、そんなのはどうでもいいよね。ただ、ほら、よくあるだろう?同性しかいない閉鎖された場所に長い時間暮らしていると、一時的に同性を性的な対象で見る事もあるっていう……。でも僕達の場合は、そうじゃなかったんだって事を知ってもらいたくて。好きだし、深い関係にもなりたかったけど、それはただ性欲の為なんかじゃなくて、もっとちゃんと好きだから、生徒と教師っていうお互いの立場を考えて理性も保てていたんだ。まずそこははっきりわかっておいてほしい」
「ええ勿論承知しております」
「よかった。……僕達は卒業後の事も、よく話し合っていた。吹月にいる間だけの恋人なんかじゃなかったんだ。でもある日……あの人が、急に冷たくなった。僕達はいつも、新月の夜にだけ消灯後に会う約束をしてたんだけど、日によって待ち合わせ場所や時間は変わるから、それは毎回あの人から僕にだけわかる形でメッセージが送られていたんだ。なのに、5月1日は、新月だったのに、夜までにそのメッセージが僕に届くことはなかった。あの人がうっかり忘れてたわけないんだ。前の新月の夜、次は連休中だなって話してたんだから。でも、その頃あの人の態度に違和感を持ち始めてた僕は、妙な胸騒ぎがしてたまらなかった。そうしたら嫌な予感は見事に的中して……、次の日、あの人は僕に、これまで二人でやり取りしてた手紙を捨てろってメッセージを送ってきた。だから僕は、ああ、あの人に振られるんだって思って、取り乱した。今まで二人の関係が怪しまれないように、人目のあるところでは不必要に接近したりしなかったのに、その時は職員棟に押しかけたり、内線電話をかけたり……そうしたら、あの人が仕方ないなって感じで、消灯後にライブラリーで会ってくれる事になったんだ」
大まかにではあるが、彼の説明は、久我先生から聞いていたものと同一だった。
そしてここからが、久我先生も知り得ない、あの夜の真相の幕開けとなるのだ。
「僕は、それまであの人にもらった手紙を全部持って行った。君がどこまで知ってるかわからないから詳しく言っておくと、その手紙は封筒から取り出した便箋だけだった。封筒には宛名が書かれてるものもあったから、それは、僕がライブラリーに来る前に処分しておいた。あの人のメッセージには、手紙を捨てろってだけじゃなくて、手紙に書かれてる名前を消せという指示もあったから。つまり僕がライブラリーに持ち込んだ手紙は、宛名も差出人の名前も書かれていないものだった。僕はライブラリーにやって来たあの人に、これを捨てさせてどうするつもりかと詰め寄った。そこではじめて、観念するようにあの人が事情を教えてくれた。実は二人の関係がばれてしまったようだと……」
有栖川さんの膝の上のアナベルが、キュッと小さく揺れる。
彼が一層の強さで握り込んだのだろう。
しばしの沈黙が落とされ、私は彼に寄り添うつもりで、相槌は挟まなかった。
「……だから、もうこうやって会うのはやめよう。そう言われた。僕は何度も食い下がった。卒業したらちゃんと付き合えばいい、それまでなら会う回数が減っても我慢する、そんな感じの事を言ってあの人を繋ぎ止めようとした。でもあの人は、一度も頷かなかったんだ。吹月を出て大学に行けば色んな出会いがあるとか、僕は中学の時は彼女もいたし、男ばかりの環境でなくなったら自分なんかよりもっといい人が見つかるに決まってるとか何とか、お決まりのセリフで説得してこようとしたから、僕もいい加減頭にきて、苛立ち紛れに『もういい!先生なんかもう知らない!』と言い返してしまった。でもそれすら、あの人にはちっとも響いてくれなくて、『じゃあ手紙はきちんと処分してくれるな?』なんて平然と言われて、僕はもう……あの人を失うんだなって、そう思ったら………なんかどうでもよくなってしまったんだ」
有栖川さんの語り口が微妙に緩慢になっていき、その道筋は不穏に傾いていく気配が漂っていた。




