78 守る人、守られる人
「わかった。それなら…」
有栖川さんがそう話しはじめた時だった。
私達の間に割って入るノックがトントントン、と無粋な音をたてたのだ。
二人でハッと目を通わせ、有栖川さんはすぐさま口を閉じた。
そして軽く頷き合うと
「―――はい」
この部屋の主の彼が返答した。
それを待って、おずおずと扉が開く。
「失礼いたします。お嬢様、何か音が聞こえましたが、いかがされました?」
顔を覗かせたのは、廊下で待機させていた彼だった。
「何でもないわ。私が少々有栖川さんを驚かせるようなお話をしてしまったの。心配ないわ。ありがとう」
私はいつも彼にそうするように言ったが、まさか私に連れがいたとは思っていなかったのだろう、有栖川さんはにわかに戸惑いの反応を見せた。
それも無理はない。彼はかっちりしたダーク色の三つ揃えスーツを寸分の隙もなく着こなしていて、その雰囲気はとてもただの見舞い客には感じられないだろうから。
「彼は……?」
「失礼いたしました。彼は私の秘書をしておりまして、本日も帯同してこちらに伺ったものですから、今は廊下に待機させておりました」
「秘書?だけど彼は……」
有栖川さんは彼を見て口を開いたまま、ダイレクトに驚きを表した。
「有栖川さんが驚かれるのも無理はありません。彼は秘書というにはやや若過ぎるようにも見えますし。ですが、彼はれっきとした館林家の秘書なのですよ。一般的には私のような子供に秘書など必要ないのかもしれませんが、私は先日英国より留学して参りましたばかりで、日本での生活に多少なりとも不安がございまして、それを解消させるべく、心配性な父が私にも秘書をあてがった次第です。そして彼も有栖川さんと久我先生、お二人の事は承知しております。むしろ私達の誰よりも早くに知っていたのかもしれません。この後再度廊下で待機させても構いませんが、もし有栖川さんさえよろしければ、彼の同席をお許しいただけませんでしょうか?」
事実に、いささかの嘘を混ぜて。
「驚かせてしまい、申し訳ございません」
私の嘘を華麗に聞き流した彼は、扉口で姿勢正しく丁寧な礼をする。
それを受けた有栖川さんは大慌てで
「あ、いや、こっちこそ不躾にじろじろ見たりして、悪かったね。……いや、すみませんでした。そうか、館林家の……。あの館林家なら、高校生の娘さんにも秘書を付けたとして不思議はないかもしれないね。……まさかこんなに若い秘書がいるとも思わなかったけど」
柔軟な対応で彼を許容してくださった。
「じゃあ、扉を閉めて入って来てくれるかな」
「かしこまりました」
彼は有栖川さんに勧められるまま私の隣に着席し、両手を膝の上に乗せる。
何も隠し持っていません、私はあなたの敵ではありませんという思いを込めて。
有栖川さんはまだ彼の存在には慣れないようだったが、「あの夜の話の前に一つ訊いておきたいんだけど…」と私を向いた。
「何でしょう?」
「もしかして、女子である館林さんの吹月への留学は、僕が……記憶喪失なんて嘘をついたせい?」
問いかけながら、有栖川さんのアナベルを持たない方の手は自分の喉元を、まるで締めるように覆っていく。
それは恐怖、不安、不快やストレスを意味しているようだ。
「……君が言ったように僕達はこれまでに会った事はない。だけどこうして、学院長先生直々の紹介で僕を訪ねて来たという事は、もしかして、僕の今の状況と君の留学は何か関連してるのかい?だって、女子生徒との交換留学なんて聞いた事はなかった。だけど学院長先生の話では、僕と君が以前からの知り合いで、僕と手紙で連絡を取り合っていたから、二人を合わせたら僕の記憶が戻るんじゃないかなんて、そんなありもしない事を……。もしかして僕の吐いた嘘のせいで、君を巻き込んでしまったんじゃ……」
「そうかもしれません。ですが、それだけでもありません」
理性をもって自分を追い詰めていく有栖川さんに、私は均等を保つシーソーを意識して答えた。
Yesでもあり、Noでもあるように。
「私の事情をお気遣いいただいたのであれば、感謝申し上げます。ですが私は自分の意志で吹月に参りました。ご覧ください。今着ているのは、私一人の為に久我のおじさまが用意くださった制服です。私はこれをとても気に入っております。それに、久我学院長と私の父は古くからの友人でして、私も幼少の頃よりお世話になっておりましたから、そのおじさまの頼みとあれば留学くらい容易い事でした。ですので、本日はそのようなお気遣いは一切無用です。もしそれでも私に遠慮をくださるのでしたら、それはどうか、周りの人間皆を欺いてまで私を留学させあなたの偽の恋人としてでっちあげ、あなたの記憶喪失のフリを解除するきっかけをお与えになった久我学院長への感謝に変換してはいただけませんか?」
有栖川さんは喉元にあった手を少し浮かし、「学院長先生が……?」本当に?と半信半疑の調子で問い返してくる。
「どうして……学院長先生は僕が嘘を吐いてると見抜いたんだ?」
「あなたのご両親が ”理事長” と紹介したにもかかわらず、あなたが ”学院長先生” と呼ばれたので、もしやと思われたそうですよ」
私がすんなり打ち明けると、有栖川さんは「……そうだったんだ……」と弱く弱く苦笑を浮かべた。
「……やっぱり嘘なんて吐き通せるものじゃないんだね。でも、学院長先生はどうしてそこまで……」
その疑問にも、容易に回答できる。
「それは、あなたを守りたかったからですよ、有栖川さん」
「でも僕は、吹月学院の名誉を落としかねない事をしでかしたのに」
「それは転落事故を仰ってるのですか?それとも、学院長のご子息と恋仲になった事を指してるのですか?」
「……両方だよ。だって僕は、学院長先生からしたら、息子を誑かした生徒と思われても仕方ないのに……」
「それでも久我のおじさまは、あなたを守りたかった。もちろんあなただけでなく、自分の息子も、そして吹月学院や、あなたの転落現場を目撃したフラットAの生徒も、すべてを守りたかったのだと思います。だから私を吹月に招かれた。有栖川さん、あなたが記憶喪失のフリをなさったのは、久我先生を守る為なのでしょう。例えあの夜あなたが持っていた手紙から久我先生に行き着いたとしても、自分の記憶さえなければ、久我先生がばらさない限り誰も二人の関係を勘繰ったりはしない……そう思われたのは間違いではなかったと思います。ですが、あなたは守る側だけの人間ではなかった。守られる側の人でもあったのです。少なくとも、久我学院長、久我先生、京極寮長、彼らにとってあなたは、守りたい相手だったのですから」
有栖川さんは喉元付近で泳がせていた手を、完全に下ろした。
「守りたい相手……か」
俯きがちに、そう呟いた有栖川さん。
「僕のせいで殺人未遂の容疑までかけられたのに、あの人は、まだ……」
「久我先生の気持ちを私がここで申し上げるのは差し出がましいかと存じますので控えますが、久我先生が手紙の処分を指示されたのは、あなたへの好意がなくなったせいではありません。あなたももうそれは理解なさっているのでしょう?」
「そうだね……。なのに僕は取り乱して、迷惑かけて……。どうやって償えばいいのかもわからないよ」
「でしたら、お話しください。あの夜の出来事を。あの時あなたの身に何が起こったのか、それを明らかにしていただければ、久我のおじさまは、決して悪いようにはなさらないはずです。警察やご両親へのフォローも、任せて問題ありませんから。あなたを守りたいと思っているすべての関係者の為にも、真相をお聞かせください」
最後の一言が有栖川さんの中で響いたのが、明らかに見て取れた。
ややあってから、有栖川さんはアナベルを握りながら静穏な佇まいで語りはじめたのだった。
誤字報告いただき、ありがとうございました。
すぐに訂正させていただきました。




