74 勿体ない……
車は渋滞に巻き込まれることもなく、予定よりも早くに東京に到着できた。
専用ドライバーが運転する車内では、彼がアナベルの手配を終えるのを待ってから、二人で情報のすり合わせを行っていた。
彼が新しく入手したところでは、有栖川さんは退院後実家にほぼ引きこもっているらしい。
表向きは海外留学という設定である以上、ふらふらと出歩くわけにもいかないのだろう。
とはいえ、有栖川さんの退院後間もなく夏休み期間に突入しているのだから、秋以降は、もしかしたら本当に留学という選択肢があるのかもしれない。
おじさまが以前仰っていた『時間がない』『もうすぐ9月なんだ』というのは、そこから来た言葉なのだろうか?
何にせよ、私は有栖川さん本人だけではなく、ご両親にも伺いたい事はいくつかあった。
時刻はまだ正午前。時間的な余裕はじゅうぶんだ。
車窓には私も見覚えがある景色が流れはじめる。
数年に一度しか訪れる機会はなかったが、東京には館林家の別邸もあるのだ。
私が生まれるまで、館林家の本宅はそちらだった。
今も、仕事で頻繁に来日する父の日本での滞在先でもあるし、母も年に一度程度は利用している。
一方の私は、子供の頃から寄宿学校生活が続いており、祖父母に会いに日本に来たとしても、滞在するのは祖父母宅のことが多く、この東京の家はあまり馴染みがあるとは言えない存在だった。
そういう事情から、有栖川邸が館林の別邸と同じ区内であるとは知らなかったのだ。
「……数年ぶりだと、知らない建物も多いわね」
ぽつりと呟いた言葉に彼はクスリと笑う。
「そうでしょうね。館林邸にも寄られますか?」
「それは今日の目的ではないわ」
「それは残念。いつでもご利用いただけるように準備は整えておりますから、吹月留学中にはぜひお立ち寄りください」
「吹月の留学がいつまでになるのか怪しいけれどね……」
この件が片付いてしまえば、おじさまが私を吹月学院にお呼びになった目的が達成されるのだから。
「そうですか?おっと、いつの間にやら花屋に到着です。では受け取って来ますので、お嬢様は…」
後部座席、私の隣にいた彼がドアに手をかけたその時、彼の携帯電話が着信を知らせた。
だが私の都合を優先させるべきと判断したのか、彼は一度身動きを止めたにもかかわらず、そのまま車を降りようとするのだ。
「電話に出て構わないわ。受取りなら私が行くから」
言うなり、私は反対側のドアを開いた。
エアコンの効いた車内に、もわっとした湿度のある暑さが侵入してくる。
日本に来てから吹月学院に直行していた私には、久々に感じる日本の夏だった。
ドライバーが慌てて運転席から降りてきて、彼も焦った顔はしたけれど、こういう事に関しては私が言い出したら引かないと熟知しているのか、すぐに座席に戻った。
「…吹月の名前で注文してますので」
「かしこまりました。秘書殿」
冗談めかして返事した私を、優秀な秘書はやれやれといった様子で見送ったのだった。
彼が注文したフラワーショップは、どことなく実家近くの店を思い出させるような、オーソドックスなれど都会的な佇まいだった。
「ごめんください。アナベルのギフトをお願いいたしました、吹月です」
決して広くはない店に入るなり奥に声をかけると、カウンターで作業していた若い女性がパッと顔を上げた。
「いらっしゃいませ。アナベルのブーケをご注文いただきました吹月様ですね?ご用意できておりますので、ご確認いただけますか?」
愛想のいい、人懐こそうな店員だ。
彼女がカウンターに置いて見せてくれたのは、白いアナベルとグリーンの葉、二色のブーケだった。
「ああ、可愛らしいですね。ありがとうございます」
「そう言っていただけてよかったです。あ、リボンが曲がってますね。少し手直しさせてください」
店員の女性は手際よくリボンを調整しながら、フフッと微笑んだ。
「何か?」
「あ、すみません。いえ、あの……実は、ご注文のお電話をいただいたのが男の方でしたので、てっきり私、プロポーズか何かにお使いになるのかと思っていたんですよ」
私ったら、早とちりしちゃって。
女性は照れ臭そうに言った。
「確かに花言葉がプロポーズ向きにも思えますね」
ひたむきな愛情。
辛抱強く想い続けた相手への告白としては、これ以上にないだろう。
「ご存じだったんですね。素敵ですよね」
にこにこ顔の彼女に頷きながらも、私はブーケの脇に置かれた一本のアナベルが目に留まった。
「あの、そちらの花は?」
「あ、これですか?これは他の花と並んだ時にちょっと合わなくて。元気もないし、バランスが……ほら」
彼女がくるりと回した裸のアナベルは、言われた通り形が歪に見えなくもないし、他のものと比べて、白い花の部分はボリュームが足りないようにも感じた。
「ブーケは他の花との調和が重要ですからね」
「……そちらの花はどうするのですか?」
「この感じではもう長くもたないと思いますので、カウンターにでも飾っておきます」
「そうですか」
一旦はすんなり受け入れた私だったが、”調和が重要” というセリフに、少し気持ちが揺さぶられて。
「……その花、いただけませんか?もちろんお代はお支払いいたしますので」
咄嗟の感情が、私にそう言わせていた。
「え?ブーケに混ぜるのですか?」
「いえ、それ一本だけで包んでいただけませんか?一本だけでしたら他と比べることもないでしょう?今日は夜遅くまで生けてやれないかもしれませんので、保水はしっかりしていただければ有難いのですが」
不思議顔をのぞかせる店員に、私は省かれたアナベル一本だけのブーケを依頼した。
他のものと比べて違っているから、ブーケに入れてもらえなかったアナベル。
けれど、本当は、仲間と違っても、周りと同じでなくても、調和がとれなくても、その花がアナベルである事に変わりはないのに。
すると女性はぱっと花が満開になったような笑顔を見せた。
「でしたら、ラッピングしますのでそのままお持ちください。お代は結構です。そんな風に花を思ってくださって、すごく嬉しくなっちゃいましたので、サービスです」
そう言って、女性はササッとラッピングペーパーでくるんでしまう。
彼女が本心でそう言ってくれているのはよく伝わってきたので、私も食い下がる事はせず、素直に申し出を頂戴した。
車に戻ると、電話を終えた彼が「指示されていたのは、一点だけですよね?」と怪訝な目をした。
「これは形が他と違っているからと、ブーケから省かれてしまったのですって。もう売りものにはならないというから、いただいたの」
そう聞いた彼はしたり顔になる。
「ああ、お嬢様の『勿体ない』が出たんですね」
勿体ない……それはいつもの私の癖でもあるけれど。
私は一本だけのブーケを見つめて思う。
「そうよね……。他とは違うからという理由で諦めてしまうのは、勿体ないわよね……」
唇から漏れ出たひとり言を、彼は静かに聞き流してくれて、車は有栖川邸に走り出したのだった。




