7隣人は”優しい人”
京極さんは学生証のようなカードでフラットAの扉を解錠し、両開きのそれをギ……とクラシックな音を鳴らして開いた。
扉は上部がガラス格子になっている木製のもので、伝統とデザイン性が見事にミックスされていると思った。
エントランスの床には上等そうなカーペットが敷かれていて、年代物だとは思うが色も毛質も綺麗だ。
外観もそうだが、中の様子も含めて、私は英国のマナーハウスを訪れたような感覚になった。
ただエントランスに寮生用のメールボックスがあったり、奥に進んでいくとマナーハウスよりもやや家庭的な雰囲気もあったりと、独特な居心地も感じる。
まだ夏期休暇中のせいか人の気配は少なく、クーラーが快適な温度を与えてくれていた。
「今みたいに寮の玄関はこのIDで開けるんだ。館林さんのも後で部屋に届けられると思うよ。校舎の出入りに必要になる場合もあるし、売店や学食の会計でも使用するから、受け取ったら貴重品として常に携帯してほしい」
「わかりました」
「寮の扉は共通で通れるけど、各自の居室にはそれぞれのIDしか使えない。ただ、管理人と学校側、そして寮長の俺はマスターキーを所持してる。何かあった時に必要な場合もあるからね。でもほとんど使われることはないから安心していよ。もし生徒の俺が持ってることが気になるなら、俺の分は返却するつもりだから言ってほしい」
さらりと、しかし重要な決定権を唐突に授与されてしまった私は、すぐさま首を振ってみせた。
「大丈夫です。私が編入したせいで何かルールが変わってしまうなんて、申し訳ありませんから」
本心でそう伝えると、京極さんは「それならいいんだけど」と微笑んだ。
「それじゃ、寮の説明に戻すよ?ここはフラットAの玄関だけど、同じ建物の反対側にもう一つ玄関があって、そちらは管理棟になってるんだ。中では繋がっていて、寮への来客は管理棟の玄関で受付けることになってる。半分が管理棟になってるから、フラットAは他の寮に比べて部屋数が少ないんだよ。フラットBからEまでは20室だけど、ここは10室しかないからね。管理棟には管理人室や図書室、ラウンジに応接室もあるから、あとで案内しよう。そして、ここがフラットAのパブリックスペース。リビングみたいなものだよ」
足を止めた京極さんの向こうには、廊下から数段下がっている広いスペースがあった。奥の壁には大きめの暖炉、その前にはソファがいくつも置かれている。サイドテーブルやローテーブルもあるが、数十名でも余裕で寛げそうだ。
内装はやはりマナーハウスのそれに近いものもあるけれど、家具の中にはモダンなものもあり、うまく混ざり合っている。
そして窓際のソファには三名の生徒が腰かけていた。
「あ、寮長!その子が交換留学の?」
そのうち一人が立ち上がって京極さんに尋ねるのを、残りの生徒達は見守っていた。
おそらく声をかけてきたのはこの寮の生徒だろう。さすがに予め知らされているだけあって、食堂棟での一場面とは違い大騒ぎには発展しなかったことに安堵する。
「そうだよ、栗栖。館林 舞依さんだ。館林さん、この生徒は栗栖 敦啓といって、寮室は館林さんの隣りでクラスも同じだから、きっと学院生活で一番近い人間になるかと思うよ」
「よろしく、栗栖です」
紹介された男子生徒は、半袖のシャツからはほどよく筋肉の付いた腕がのぞいている、京極さんにも負けないほどに背が高い男子だった。
他の生徒に比べてやや日焼けした肌が健康的で、大人びた容姿の京極さんがそばにいるせいか年齢相応には見えるが、食堂棟にいた大勢の生徒達のようにいかにも十代男子だという騒がしい空気はまとっていない。
目鼻立ちのしっかりしている華やかな美男子といった感じだ。
明るい茶色の髪が、とても似合っている。
「はじめまして、館林 舞依と申します。これからお世話になります。あの、あちらの方々は…」
私は、一人こちらに向かってきた栗栖君の後ろに控えている他二人の生徒について尋ねたが
「ああ、あいつらは他のフラットなんだ。でもクラスは同じだから、どうせ新学期になればすぐ知ることになるし、紹介はその時でいいよ。な?」
栗栖君はくるっと顔だけ振り返り、ソファに座ったままの二人に同意を求めた。
すると彼らは気にするなという風にこちらにひらひらと手を振ってみせた。
「学校がはじまったらよろしくな」
「俺達はもう帰るから、栗栖、しっかりエスコートしろよ」
二人はすれ違いざま、軽く仕草だけで私に挨拶し、エントランス方向に歩いていく。
「わかってるよ。じゃあな」
彼らに気安い口調で返した栗栖君は、ごく自然な流れで私の手からすいっとボストンバッグを取り上げてしまった。
「それじゃまず、部屋に案内するんですよね?」
「そうだね。館林さん、先に荷物を部屋に運んでしまおうか。飲み物はその後でもいいかな?」
「もちろんです。あの、でも自分の荷物は自分で運びます」
そのまま歩き出してしまう京極さんと栗栖君に慌てて訴えかけるも、容易く拒否されてしまう。
「まあまあ、いいから。今のご時世、女性の荷物を男が持つのを不快に思う人もいるんだろうけどさ、あいにく俺達は性別に関わらず大きな荷物を持ってる人がいたら手伝いたくなる人種なんだよ。知ってる?そういう人種を、”優しい人” って言うんだ」
いたずらっぽくそう言った栗栖君に、私は一瞬反応が出遅れてしまうも、すぐにフフッと息がこぼれてしまった。
私達の先頭を行く京極さんもクスリと笑うと、「栗栖はこういう男だから、何かあったら遠慮せずに頼るといいよ」と、こちらも優しく告げてくれる。
「何もなくても頼ってくれていいんだけど?」
栗栖君は京極さんに親しい態度で返しながら、私にちらっと視線を流してきた。
まるでウインクでもしそうな洗練された動作で。
それが彼のいつもの言動なのか、それとも私の緊張を解そうとわざとそうしてくれたのか、定かではない。だが、それは軽やかなれど軽薄な印象は感じなかった。
今のところ、ここで出会う人出会う人、みんないい人ばかりだなと、私は、心の鎧をほんの少しゆるめながら、ハンドバッグ一つを持って階段をのぼっていったのだった。