68 嘘の理由
「お尋ねしたい事はまだあります。秘書からの報告によると、おじさまがロンドン滞在中の私を吹月に誘いにいらした時には、もう、有栖川さんは退院していたという事です。その時点でおじさまの耳に入っていなかったという可能性もありますが、一般常識的に考えて、有栖川さんのご両親が学院側に何の知らせも行わないというのはあり得ないと思います。つまりおじさまは、私に有栖川さんの意識が戻っている事を隠したかった。隠したうえで、共学化などという偽の口実まで作り上げてまでして私を吹月学院に呼ぶ必要があった。その理由は何なのでしょう?」
昨夜一睡もしていない頭はすでにいつでもクライマックスを迎えられる状態で、おじさまへの先制に抜かりはなかった。
おじさまは顔色を変える事はなかったが、ちらりと円城寺君を見やった時には、少々気の毒そうに眉を動かした。
「円城寺君は何も聞かされていなかったようだが、本当にこのままこの話を続けてもいいのかい?」
「大丈夫です。ご心配には及びません」
答えたのは円城寺君本人だ。
「はじめて聞く話ばかりで驚きましたけど、僕の事は気にせず進めてください」
彼は居住まいを正し、顔つきを引き締めた。
可愛らしい相好が凛々しく整う。
それに呼応するかのようにおじさまも背筋を伸ばし、「いいだろう」と私達を一瞥した。
「では円城寺君、ここからは他言無用の内容も混ざってくるが、守れるかね?」
「勿論です」
「舞依ちゃんには訊くまでもないと思うが、」
「私はお約束できかねます」
即答した私に、おじさまの言葉はぴたりと止まる。
「もし有栖川さんの為に必要と判断したなら、私はおじさまから伺った内容を他者に伝える事もあるでしょう。そして今の私は、寮長である京極 瞬也、フラットA生の栗栖 敦啓、久我 孝則先生、楠 優子先生の代表として久我学院長にお会いしております。彼らに結果を報告する義務もあるのです。その点をご了承くださいませ」
できない約束はできない。
私は思いを隠さず訴えたが、おじさまはお気を悪くされた様子もなく、ハッと弾かれたような息を吐いた。
「すごいな舞依ちゃんは。もう孝則まで陥落させていたとはな」
陥落という単語にどこまでが含まれるのかは判別できないが、敵対していないという意味で用いられるのであれば、それは正しい解釈だろう。
私はYesともNoとも返さなかった。
円城寺君は黙したまま話を待っていて、おじさまは泰然自若と語りはじめたのだった。
「まず、5月の件から話そう。あの夜、有栖川君が病院に運ばれていくとすぐに警察の捜査が開始された。間もなく転落現場はライブラリーだと特定され、私と警察関係者数名で管理棟3階のライブラリーに向かった。そこには床いっぱいに手紙が散らばっていたわけだが、私はその手紙が息子の孝則の筆跡に似ていると気付いた。だが大きな特徴のある字でもなく、その段階ではまだ特定には至らなかった。事態が変わったのは翌日だった。有栖川君の当日の行動調査がはじまり、すぐに部屋の電話の履歴が明らかになった。最後の通話は、孝則の部屋への内線だった。この二点から、二人の間に特別な繋がりがあったのは想像できた。……円城寺君はこの事ははじめて聞いたのかい?円城寺君の為に補足すると、ライブラリーに散らばっていた手紙は、恋人間でやり取りするような内容だったんだよ」
「そうですか……」
言葉少なに相槌を打っただけの円城寺君。さぞかし混乱しているのかと思いきや、彼は非常に淡々としていた。
動揺が走ったのは、最初の一瞬だけだったようだ。
「ライブラリーの手紙が恋人からのものだという事は、警察も把握していた。風に煽られて手紙が窓枠の外側にも飛ばされていたものだから、おそらくそれを取ろうとして転落したのではないかというのが警察の判断だった。だが、その手紙が恋人の男性からのものだという事は、警察と私との間で一旦保留するかたちになった。有栖川君の意識が戻っていない間に、彼にとって公になってほしくないだろう事柄を公表するのは避けるべきと相談した結果だ。だが彼のご両親に嘘を伝えるわけにはいかず、”恋人からの手紙を拾おうとして転落した可能性が高い” という詳細を省いた報告にとどめた。それでも、彼のご両親は激しく感情をぶつけられてね。恋愛沙汰でこんな事になるなんて情けないと酷く気落ちされてしまった。ご子息が意識不明になっているのだから、その落ち込み様は仕方ないとは思ったが、そんな彼らに、息子さんの恋人が同性かもしれないとは、とても言えなかったんだよ」
「それだけですか?有栖川さんのご両親に隠された理由は理解できますが、それなら、私にこの件の調査を依頼する際、ライブラリーの手紙の情報と共に教えてくださってもよろしかったのではありませんか?なぜそうされなかったのですか?やはり息子である久我先生を庇われたのではありませんか?私に余計な手がかりを与えずフラットに調査させたいとの意図があったのかもしれませんが、もし私が調べた結果、これは事故ではなく事件で、犯人は久我先生だと申し上げた場合、おじさまは、本当にそれを受け入れる覚悟がおありだったのですか?」
意地悪い問い詰め方だとはわかっている。
だが情緒を労わってる時間は、今の私には惜しいのだ。
「手厳しいな。……孝則を庇ったという感覚はなかったが、心のどこかでは無意識にそうしていたのかもしれない。事件事故、自死未遂……どれも確証がなかったのは事実で、事件の線を考えるなら、孝則が重要参考人になるという認識もあったからね。だが、息子が何らかの関与をしていたと明らかになれば、それは厳罰な処分が下されるべきだ。そこに揺らぎはないよ」
おじさまからは真摯な眼差しが向けられるが、ここではその真偽を見極める手立ては何もない。
ただ、彼の言葉を信じるか否かだ。
私はそのどちらにも傾けることなく、それこそフラットに質問を続けた。
「では、既に有栖川さんの意識が戻っており、退院もしているという現状を隠された理由は何ですか?私だけでなく、有栖川さんの転落事故を知っていて心配しているフラットAの寮生にも、久我先生はじめとする職員の方達にも知らされていないようですが?そもそもの話、有栖川さんの意識が戻っているのなら、私に調査を依頼するまでもなく、本人からあの夜に起こった事をお聞きになればよろしいのではありませんか?」
「それは……」
おじさまは一呼吸置いて、気持ちを整えているのかそれとも固めているのか、まるで意を決してという風に、ソファの肘置きに乗せた手を握り締めて。
「………意識を取り戻した有栖川君からは、吹月学院に関する記憶だけが失われていたからだよ」




