65 手紙の行方
どれくらい、沈黙が続いただろう。
長かったようにも、短かったようにも思う。
ただ言えるのは、私達全員が、有栖川さんを想っているということだった。
あの夜、久我先生と有栖川さんの二人の間にあった出来事は、おそらくもうほとんどが明らかになったのだろう。
”全員容疑者” の中に含まれていた久我先生、楠先生も、除外は確定だ。
そもそも容疑者が存在しているのかさえ疑わしいのだから。
久我先生、京極さんの話を合わせると、あの夜ライブラリーで有栖川さんと一緒にいたのは久我先生しかいない。
そしてその久我先生は有栖川さんが転落する前にライブラリーを後にした。
つまり、有栖川さんが転落した時、彼はライブラリーに一人でいたことになる。
ということは、事件の線はなくなったと考えていいだろう。
残るは、事故か、自死未遂。
だが京極さんや栗栖君の見立てでは有栖川さんは自死を選ぶような人物ではないという。
しかしながら久我先生と楠先生はその可能性も否定しきれていない様子だった。
私は、残念ながら有栖川 唯人という人物の人となりに触れたことがなく、その判断は難しい。
だがどちらにせよ、この場に有栖川 唯人本人がいない以上、あの夜の転落の真相が明らかになることはない。
だったら、今手が届く限りの情報をかき集めるまでだ。
「久我先生、よろしいですか?」
沈黙に切り目を入れた私を、久我先生だけでなく京極さん、栗栖君、楠先生の全員が一斉に顔を向けてくる。
いったい何を言うのだという若干の警戒を滲ませながら。
「なんでしょう、舞依さん」
「あの夜、有栖川さんは久我先生から送られた手紙を持っていらっしゃったという事ですが、その手紙はどうされたのですか?久我先生が受け取られたのですか?それとも、そのまま有栖川さんがお持ちに?」
私はまたもや、嘘を織り交ぜながら尋ねた。
そしてここに嘘が潜んでいることを、京極さんと栗栖君も気付いているはずだ。
京極さんはあの夜手紙が飛び散るような音を聞いたわけだし、私と京極さんはその手紙の一部を持っているのだから。
だが二人は何も口を挟まず、私の意図を追っていた。
「いえ、俺は受け取っていません。あの時唯人は……本心か定かではないものの、納得して、手紙を翌日処分すると約束したので。でもああいうことになって、俺もその手紙の行方は気になっていました」
「お父様の学院長から何かお聞きになりましたか?」
「父からあの夜の話をされる事はほとんどありませんでした。俺は唯人の学年を担当した事もありませんし、表向きは、俺と唯人は何の接点もないただ同じ学校にいる教師と生徒でしかありませんでしたから。ただ……」
久我先生はにわかに躊躇を匂わせたが、京極さんが「ただ?ただ、何なのですか?」と先を急かすと、
あくまで俺の推測だけど」と前置きして打ち明けた。
「もしかしたら父は、俺と唯人の関係を知っていたのかもしれない」
「それ本当なの?久我君」
食い気味に訊いてきた楠先生に、久我先生は両手のひらを振って返した。
「いや、確証があるわけじゃないんだ。でも…」
「なぜそのように思われたのですか?」
そう問うと、久我先生はぴたりと手を止め、私をまっすぐに見た。
「舞依さんも気にされてた手紙の行方と、内線電話の記録ですよ。唯人の転落を調べるなら、唯人がその時持っていた持ち物や当日の電話履歴なんかは真っ先に調べるはずだ。俺がライブラリーを出て転落した唯人が発見されるまでにそう時間はかかっていないから、あいつが転落前に手紙を処分したとは考えにくい。持ったまま落ちたか、ライブラリーに残されたままだったと考えるのが妥当だろう。手紙はなるべく俺だとばれないように注意して書いていたけど、父が見れば筆跡ですぐに俺だと気付かれた可能性もある。それに、あの晩唯人は転落事故の前に俺に内線をよこしている。通話内容までは記録されていないとしても、着信発信履歴はすぐに調べが付くはずだ。なのに、父は一度も俺に唯人との関係を尋ねてこなかった。不自然なほどに、俺との話題に唯人は登場しなかったんだ。まるで俺にそれを尋ねたくないようにも思えて、だったら、もしかしたら父は俺達の事を知ってるんじゃないかと……」
あり得ない話ではない。いやむしろ、おそらくは……
ライブラリーに手紙が散らばっていたと説明なさったおじさまは、その事実は自分と警察関係者しか知らないとも仰った。
それから、その手紙の存在は、有栖川さんのご両親にもお知らせはしていないとも。
私は、この場では私以外知らない情報をどこまで伝えるか逡巡したのち、京極さんの横顔を窺った。
すると彼は意志を持った視線を流してきて、その目的を察した私は小さく頷いてみせた。
「……手紙なら、あの夜、ライブラリーに残されていましたよ。そして風に飛ばされて、そのうち一枚が下のラウンジにまで飛んできました。色々事情がありまして、その半分を俺が、もう半分をミス・フルーガルが持っています。ほら、こちらに」
すっと手紙を掲げて見せた京極さんに、久我先生はハッと息を飲んだ気配がした。
「勝手に内容を読むような真似をしてしまい、申し訳ありません」
京極さんと対になるように、私も手紙の欠片を指で摘まんで持ち上げる。
久我先生はパッとこちらを向き、何とも言えない複雑そうな表情に崩れた。
「それは……、あいつが破ったのか……」
沈んだ声に、「違います」「違うって」「そうではありません」と、私達三人の否定が重なる。
「訳あって破れていますが、これは俺のせいです。そして破れたもう一方を見つけてくれたのが彼女です」
「有栖川さんが手紙を破いたわけではありません」
「でももし有栖川先輩が破ってたとしても、それは久我先生の指示をちゃんと守ったって意味なんじゃないのか?」
栗栖君の正論には、楠先生が首を振った。
「そうだとしても、実際に破かれた自分の書いた手紙を目の当たりにしてしまうと、いい気はしないでしょう?だけど今の京極君の話を聞く限りじゃ、有栖川君はライブラリーに手紙を残したまま転落してしまったようね。私が下で発見した時、手紙なんて落ちてなかったもの」
久我先生はフッと息を吐くと
「じゃあ、決まりだな……」
と低く呟いた。
何が決まりなのだと問う察しの悪い人間はいないが、正否を下せる人物もいない。
ただ、もし彼らに先へ進む道を提示できる立場にいるのは誰かと問われれば、それは私なのかもしれないと思った。
「だったらなんで父は俺に何も言ってこないんだ……」
「事を大きくしたくないから、じゃないですか?」
「事故か事件かもはっきりしてない現状では、久我先生が犯人の可能性もあるとお考えになったのかもしれませんよ」
「そんなまさか。ご自分の息子をそんな風に思ったりしないわよ」
「いや……父なら有り得る。だから、舞依さんがここへ呼ばれた。学院長である父に頼まれて……。違いますか?」
久我先生のセリフに反応して、彼らは私にも意見を求めてくる。
もともと、私は学院側のスパイではないかと怪しまれていたのだ。
ここにいる彼らに今さら素性を明かしたとて、彼らは驚きもしないだろう。
だが私にもまだ足りない情報は残っている。私は、それらすべてを把握した後に彼らに公開する方が最善だと判断した。
この後出てくる真実は、私が今得ている情報を軽くひっくり返してしまいそうな予感もあったからだ。
私は懐中電灯を真上に照らし、彼らの注目を集めて問う。
「みなさんに確認しておきたい事があります。みなさん、有栖川さんのお見舞いに行かれたり、ご実家を尋ねられたりはしておられないのですね?」
彼らはなぜそんな事を訊くのかという面持ちで、けれど全員が否定した。
「箝口令が出てる以上、おかしな行動はできなかったからな」
栗栖君が言えば、久我先生と楠先生も頷いた。
「それは私達職員も同じよ。事情を知らない教師もいたわけだし、有栖川君は留学という事になっていたし…」
「立場上、俺があいつを必要以上に気にする事はできなかった。せいぜい、何か連絡はなかったかと、怪しまれない程度に父に確かめるくらいで……」
「ミス・フルーガル。やっぱり君は我々以上に何かを知っているんだね?」
京極さんが刺すような言葉を放ちながら腕組みをした。
だが私はもう、その仕草が意味するものが警戒だろうと緊張だろうと不安だろうと、大した差異は感じなかった。
「みなさんにお話ししたい事があります。ですが、今の段階ではそれは叶いません。私の確認できている情報が未完全だからです。数日、そうですね…遅くとも9月1日の新学期までには、お話しできるように情報を揃えられると思います。ですので、それまではどうか何も行動せず、口外なさらず、私のご用意する情報をお待ちいただけませんでしょうか?特に久我先生はお父様の学院長にも今夜のこの会合の件はご内密にしていただけますか?どうぞ今日までと同じように、明日以降もお過ごしいただけませんでしょうか?」
私のお願いに、彼らはそれぞれに思う事がありながらも、了承してくれたのだった。




