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61 彼との事





「な……、何言ってるの!そんなわけないでしょう?!」


「楠先生、関係のないあなたは黙っててください。俺は久我先生に訊いてるんです。あの時のアリス先輩の態度は、相手に縋ってるようにも感じました。二人の事が誰かにばれて、それであなたはアリス先輩に別れ話を持ちかけた。勿論、未来ある若いアリス先輩を思いやったのは事実でしょう。でも同時にあなたは、自分の保身にも走った。それで二人の関係を証明するような手紙の破棄まで迫ったんだ。違いますか?もし違ったとしても、俺にはそう思えてならないんです。だけどアリス先輩は、最後まであなたとの別れを拒んだ。俺が聞いた苦しそうな声がその証拠です。だからあなたは…」


「違う!!」


それは音楽室いっぱいに響き渡る、渾身の否定だった。



「俺があいつにそんな事するなんて考えもできない。俺はあいつが傷つくのだけは嫌だったんだ。あの時だって、俺があのままずっと一緒にいてやってたらあんな事にはならなかった。なあ、お前はあの時真下にいたんだよな?俺が帰った後も、唯人が転落した時もそこにいたんだよな?だったら何か知らないのか?気付いた事はないのか?どんな小さな事でもいい、あの時唯人に何があったのか知る手がかりはないのか?」


京極さんをさらに上回る速度で久我先生は彼に食って掛かる。

そこには教師とか生徒とか、そんな立場の違いは無いに等しかった。



「先に帰った……?本当に?」


「京極さん」


どちらもエキサイト傾向にあっては、事実の回収は不可能だ。

彼らだってそれは百も承知だろうに。

だが彼らの熱を帯びる想いもそれぞれ理解はできるので、私はここは先を急がず、彼らのボタンの掛け違いを正す方を選んだ。



「京極さん、京極さんももうお感じになってるのではないですか?もし久我先生が本当に有栖川さんを転落させた犯人だったとしたなら、今のような反応はしないと思います。今の久我先生のセリフは、有栖川さんを思いやる人物でしか出てこないのではありませんか?自身の弁明や身の潔白は主張せず、ただ有栖川さんに起こった事を知りたいと仰ってるのですから」


「それはわかってる。でも、それならどうして……っ」



感情の昂ぶりを握りしめるような京極さんに、私は胸の奥で罪悪感がチリリと痛んだ。

有栖川さんが既に意識を取り戻していると知っているからだ。

あの夜何があったのかは、目を覚ました本人に尋ねたらすぐに明らかになるだろう。

だが、その事実をいまだ誰にも知らせていない学院長の思惑は掴めておらず、今この場で何も知らない彼らに伝えて混乱させるべきではないのだ。


ただとにかく、久我先生が有栖川さんを……という最悪なケースは本人から否定をもらえて、心底安堵していた。



「京極さん、それを知りたいのは私も同じです。ですから、久我先生、楠先生、あの夜の事、もしくはあの夜に繋がりそうな事を、有栖川さんの事を教えてください。私達には情報があまりにも少な過ぎます。もしあの夜に起こった事を知りたいとお思いなら、それぞれが把握している情報を共有すべきです。……お聞かせくださいますね?」


ここまできてまさか拒否されるとは思わないが、最後のダメ押しが、私の中で最も低い声音になったのは意識しての事だ。



まず最初に「ええ、勿論」と頷いたのは楠先生。

久我先生は黙ったままピアノの天板に乗せたランタンを手前に引き寄せ、そのほのかな灯りがこちら側に広がった。

おかげで全員の表情がクリアに読み取れるようになる。

そして久我先生は再びピアノスツールに浅く腰掛け、私達をぐるりと見まわした。


「……どこから、話せばいいのだろうか?」


「可能な限りすべてです」


京極さんの容赦ない返答は厳しくも聞こえたが、久我先生の背中を押すには大いに役立ったようだった。



「いいだろう。俺とあいつの事を話そう」


久我先生は両手の指を膝の上で絡ませ、それは私の目には、自分自身を鼓舞してるように映ってしょうがなかった。



「二年前、あいつが高等部に進級して、フラットAに入ってくると、俺達はライブラリーでよく顔を合わせるようになった。それが初対面というわけではなかったが、話をするようになったのはライブラリーで会うようになってからだ。あいつはミステリー小説が好きで、そんなあいつにとってライブラリーはこれ以上ないお気に入りの場所となった。俺も新聞の差し替えで毎日通っていたから、自然と親しくはなっていった。そしてそれが好意に変化するのには、そう時間はかからなかった。互いに男を好きになるのははじめてで、戸惑いがなかったとは言わない。だが、俺達は惹かれ合ったんだ。どちらから言い出したとか、どんな付き合い方だったとか、細かな思い出はここでは控えさせてくれ。だが、一般的に想像されるような、いかがわしいものではなかったと誓う。つまり深い仲ではなかった。夜中にこっそり部屋を抜け出してライブラリーで好きな本の話をしたり、下に咲いてる花を眺めて二人きりの花見をしたり、誰にも見つからないように手紙を寮のポストに入れておいたり、そんな関係だ。俺は教師だし、あいつは未成年で、それは俺達二人の間でもきっちり線引きをしていた。だけど時々は恋人らしい事もしてみたくなって、デートらしい時間を過ごした事もある。ただ、吹月の生徒がいるかもしれない場所ではなるべく二人きりにならないように注意していた。だから車で遠出する時も、吹月から離れて駅向こうで待ち合わせしたり、人目がなくなってから合流していた。たぶん、そんな時に、俺は生徒の一人に唯人に電話してるところを見られたんだろうな。その生徒は俺が『唯人』と呼んだのを『優子』と聞き間違えた。それで俺と楠の噂が広がったんだろう」


「え、それだけで?」


栗栖君の率直な感想に、久我先生はフッと何色か読み取れない息をこぼした。


「それだけで、だよ。吹月みたいな半ば隔離されたような環境では、ちょっとした事でも娯楽になってしまう。お前だって実感はあるだろう?」


「まあ、なくはないけど…」


確かにその傾向はあるようだ。

留学続きで寮や寄宿学校生活が長い私にも、その経験はあったから。

するとここまで久我先生の説明を見守っていた楠先生が、様子をうかがいながら発言してきた。


「その後の事は、私から説明させてもらってもいいかしら?私がどんな風に彼らに関わっていくようになったのかを、私から伝えたいの。きっと久我君は私を巻き込まないように、色々端折って話すと思うから……」


親しい間柄ならではの無言の視線を送り合う久我先生と楠先生。


「いいですよ。ぜひ聞かせてください」


京極さんの了承が合図となり、今度は楠先生目線の有栖川さんが語られていったのだった。










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