60 禁句
「……いったい、君はどこまで知っているんだろうね?」
「久我君?」
「……彼女の言った通り、俺は、有栖川を守るつもりで、手紙の廃棄を指示したんだ。ただ、それは本人には、ただの別れ話にしか聞こえなかったようだ……」
「アリス先輩を、何から守りたかったのですか?」
京極さんは楠先生と違い、感情を秘し隠したように冷静な質問を投げかけた。
それは久我先生に向けられたものだったが、この場では真相を語れる者ならば誰が拾っても構わないと思った。
「他人の目、もしくは、二人の関係を否定するもの全般から……といったところでしょうか?久我先生?」
「……そうだね、結果的には……そうだったのかもしれない」
当事者の同意を得られた私は、いまだに納得がいかなそうな楠先生に、より具体的に説明して差し上げた。
「久我先生と有栖川さんが校外で親しげにされている姿を、吹月の生徒以外の人物に目撃されていたのです。その人物はどうやら久我先生と楠先生の噂もご存じだったようで、楠先生という恋人がいながら、生徒である有栖川さんにまで手を出しているなんて許せない、そう思われたそうです。ですから、直接久我先生に電話をかけて抗議をし、関係の是正を訴えられたと……。そしてそれを受けた久我先生は、このままでは有栖川さんの方にも何らかの圧力が行くのではないかと案じられ、あの動揺が滲み出た暗号作成に至った……そうですよね?」
私は握っている懐中電灯の先を久我先生の胸元でくるりくるりと小刻みに揺らした。
すると久我先生は苦笑いのような息を吐き、「やはり動揺があったのもバレバレか…」と呟いた。
「あの時はあまり時間がなかったんだ。急いで印を付けなきゃならなかったからね…」
「でもそんな事があったのに、どうして言ってくれなかったの?」
楠先生は私が久我先生に向けていた灯りに割って入ってきて、大学時代からの友人に詰め寄った。
「相談してくれれば、有栖川君を追い詰めるような事はなかったかもしれないのに」
だが彼女のこの行動に異議を唱えたのは栗栖君だった。
「そう言いながら、今度は久我先生を追い詰めてるんじゃないですか?楠先生」
「え……」
「ただでさえ公にはしてこなかった二人の関係なんですから、もしトラブルがあったとしても、二人の間で解決したいと考えるのが普通でしょう?」
栗栖君に正論を突き付けられた楠先生は、「それはそうだけど…」と勢いは引いたものの、納得には程遠い。
そんな楠先生に、久我先生はピアノから一歩だけ近寄って告げた。
「この件は、有栖川にも伝えていなかったんだ。受験生のあいつに、余計な心配はかけたくなかったからな。だがそのせいであいつは……」
「待ってください。その言い方ですと、まるでアリス先輩が恋人から告げられた別れに悲観して自ら……という風にも聞こえてしまいますが」
久我先生の告白を中断させたのは、冷静さが増すばかりの京極さんだった。
「それ、は……」
返事を泳がせる楠先生。
久我先生は何も言わず、といよりも何も言えず、文字通り悲観的な空気が満ちていく。
そしてあの夜の物音を聞いていた京極さんには、そんな二人に苛立ちも芽生えてしまったようだった。
「ではお二人は、アリス先輩が恋人に振られた事を苦に自殺を図ったと考えてるのですか?!」
深夜だという事も、これが極秘の会合であるという事も忘れてしまうような、非常に攻撃的なボリュームの追及だった。
「京極さん、」
「ミス・フルーガル、君にも話しただろう?あの夜、アリス先輩はライブラリーに一人ではなかった。誰か男と一緒だった。当時は誰だかわからなかったけど今ならわかる。あれは久我先生だったんだ。アリス先輩を『唯人』と呼んでいたのは、久我先生だったんですよね?」
静謐の仮面を剥がした京極さんに、久我先生はありありと狼狽えて。
「まさかお前、あの時近くにいたのか?」
「俺は真下のラウンジにいたんですよ。真夜中、アリス先輩と誰かが揉めてる話し声を確かに聞きました。内容までは聞き取れなかったけど、相手がアリス先輩を『唯人』と呼んでたのはわかりました。それから、アリス先輩が今まで聞いた事がないほどに苦しそうな声で『どうして』と吐き出したのも鮮明に覚えてます。俺はアリス先輩が落ちた瞬間は見てません。でも音は聞きました。そして、転落直前までアリス先輩と一緒にいたのがあなたである事も俺は知っています。二人がとても揉めていた事も。だったら……」
早口で、そして端的に自身の見聞きした出来事を繰り出していく京極さんは、ついには、その言葉を口にしたのだった。
「久我先生が、アリス先輩を突き落としたんじゃないんですか?」




