58 暗号のトリック
「こんばんは。久我先生。呼び出しに応じてくださって、どうもありがとうございます」
数歩室内に進み入ったところでセリフ通りにお辞儀をする。
私が新聞に記した暗号は送り主不明なうえ一方的なもので、受け取った相手には無視する選択もあり得たからだ。
だが彼はそうはしなかった。
その理由は、さっき楠先生が口にしかけた罪悪感なのかもしれないが、例えそうだったとしても、こうして私と対面する時間を避けなかった彼には感謝していた。
「いや、君でよかったよ。正直なところ、そんな気はしていたんだ」
「暗号を送ったのが私だとお気付きだったのですか?」
「なんとなくは。思えば、そもそも共学化なんて疑わしかったんだ。しかも館林家のお嬢さんはかなり優秀な人物だと以前から聞いていた。そんな君がここに来る事になって、父が何かを企んでいるとは警戒していたものの、まさかこんな数日であの暗号の事まで調べ上げられるなんて、もうこれはお手上げだよ。それに……」
久我先生は私の後ろに控えている京極さんと栗栖君に視線を流す。
「京極と栗栖の動きには気付いていたから、こうなるのは時間の問題だとは思っていたよ」
「なんだ、結構気を付けてたつもりだけど、バレバレだったんだな。ところで、暗号って、何だ?」
栗栖君は飄々とした態度を崩さなかったが、決して自分の気になったワードは聞き流そうとしなかった。
京極さんも彼と同調しているように見える。
そして楠先生も、暗号という言葉には今ひとつピンときていない反応だった。
どうやら久我先生と楠先生は一枚岩というわけでもないらしい。
大切な人との秘密のやり取りは、誰にも打ち明けたくなかった…というところだろうか。
だが久我先生は、絶対に誰にも話したくない、という強い意志があったわけでもなさそうで。
「どうせお前達も俺と有栖川の事はわかってるんだろう?俺達は周りの目から隠れてやり取りする必要があったという事も。だから俺達は、図書室の新聞を利用して暗号を送っていたんだ。そして館林さんはその暗号を見破って、今日、逆に俺に暗号を送ってきたんだよ」
「そうだったの?でも部屋の電話を使えばよかったんじゃ……」
はじめて聞いたと言わんばかりに、楠先生が首を傾げる。
すると久我先生はすぐに「いや…」と返した。
「楠は知らないかもしれないが、生徒寮の電話は、内線も含めて、一応すべて記録が残るんだ。勿論、めったな事じゃいちいち公開はされない。何かあった時の為の必要な措置で、入寮案内にも明記されてるはずだ。そうだったよな?京極」
「ええ、間違いありません。それで、ライブラリーの新聞の利用を思いつかれたのですね?久我先生はリサイクルを担当してらっしゃるので、新聞に細工するなんて容易かったはずですから」
「だから、その暗号って何だったんだよ?館林は何ですぐに見抜けたんだよ」
焦れた栗栖君が私を名指しで尋ねてきたので、仕方なく私は事情を説明する事にした。
「……私が自分で髪を切る為に、葛城さんから古新聞をいただいたでしょう?その新聞に、ちょっとした印が付けられていたの。それが何となく気になった私は、円城寺君と一緒に、他の新聞にも印がないか探してみたのだけれど、」
「円城寺も知ってるのか?」
「詳しい話はしていないわ。ただ、気になる印が付いてあったから一緒に探してほしいとお願いしただけ。けれど真相がわかった暁には、円城寺君にも結果を伝えるつもりでいるわ。久我先生、よろしいですか?」
「円城寺ならおかしな吹聴はしないはずだから、館林さんに任せます。だけど、実は俺も知りたかったんだ。俺達の暗号はすぐに解読できたのかい?解読できたとしても、それが俺達のものだとはわからないはずなのに」
久我先生自らに促されては、詳細を明かさないわけにもいかない。
何しろ本題はまだまだ先にあるのだから、こんな入口で時間をかけるなんて勿体ないのだ。
「私もすぐに気付いたわけではありあせんでしたし、最初はそこまで気になったわけでもなかったのです。ただ、その新聞の印の付いてある文字を上から読んでいくと、”たすけて” という言葉になったので、これは誰かがヘルプを訴えているのかもしれないと思い、すぐに調べるべきだと判断したのです」
「――たすけて?」
久我先生は困惑を隠さなかった。
無理もない。そこにはちょっとしたトリックがあったのだから。
だがそのトリックがあったからこそ、”たすけて” というメッセージと勘違いした私が、行動に移したわけだ。
私は久我先生から早くあの夜の事を聞かせてもらいたくて、有栖川さんとの間に何があったのかを知りたくて、自分が暗号を読み解いた経緯を手早く説明する事にしたのだった。




