56 ピアノの音が止んだら…
学院長室に無断で侵入したというのなら、そこにあったパソコンを操作できたかもしれない。
当然ロックはかかっていただろうけれど、栗栖君と京極さんならば、多少のセキュリティは容易く解いてしまいそうだ。
栗栖君は「ここだけの話にしといてくれよな」と肩を竦めた。
「それで設計図は見つけられたの?」
そう尋ねた私は、鼓動の早まりを感じていた。
Calm down... Stay calm...
冷静に、落ち着いて。
ここで焦ったりしては、勿体ない。
私は自分を窘めながら、少しずつ話題の手綱を取り、目的の方向に誘導していく。
「いいや。古い資料ファイルの中に図面はあったんだけど、音楽棟と職員棟が繋がってる証拠は見つからなかった」
「その図面が古かったのではなくて?紙の資料だと、そのあとデータ化された際に変更になってる場合も考えられるのでは?」
「俺達もそう思って、学院長室のパソコンも調べてみたんだけど、やっぱり見当たらなかったんだよ」
「パソコン?そんな勝手に中を覗けたの?」
「おっと、これもここだけの話にしといてくれよ?」
おどけてみせる栗栖君。
私は彼にあわせるようにクスっとひと笑いしたものの、すぐに会話をハンドリングした。
「けれど、学院長のパソコンを見たのなら、図面以外にも何か重要な手掛かりを得られたのではなくて?」
「あー、まあ、それはあるっちゃあるけど」
「防犯カメラの映像を盗み見たんだよ」
言い淀んだ栗栖君に代わり、京極さんが意外なほどあっけなく答えてくださった。
「あれ?それ、言ってもよかったんだっけ?」
「ミス・フルーガルと情報共有を勧めたのはお前だろう?それに防犯カメラの件については、さっき俺がもう話してるから、今更誤魔化す必要もない。で?ミス・フルーガルは俺達にこの情報を吐かせて、何を判断するつもりだったんだい?」
やはり彼ら相手に無傷での情報略取は成り立たなかったようだ。
私はフルスピードで自分の抱えている情報のうち彼らに提示できるものを取捨しながら返答した。
「……そのような大げさなものではないのですが、京極さんが先ほど防犯カメラの話をされていたので、ひょっとしたら学院長室のパソコンでご覧になったのかと思いまして」
「その通りだよ?そこで、5月2日の深夜、神村さんらしき女性が映っているのを知ったんだよ。夜だったから画像も暗くて鮮明ではなかったけど、姿や歩き方に見覚えがあったからね」
「で、彼女に探りを入れてみるつもりだったんだけど、そのタイミングをうかがってる間にお前の編入を聞いてさ、そっちへの対処を優先してるうちに今になったわけだ。急な交換留学って設定は色々思う事もあったけど、せっかくなら役立ってもらおうと思ったんだ。男の俺達より館林の方が女同士で上手くいくんじゃないかと思ったしな」
「それで私を神村さんに引き合わせた」
「そう。そして君は我々の期待通り、彼女から大きな情報を受け取ったようだね?だから、今夜、ある人物をこうして呼び出したんだろう?おそらくその人物は、音楽棟の幽霊の正体……。違うかい?」
京極さんが確信を持って尋ねたその時、ピアノがふと消えた。
だが間もなく違う曲が聞こえてくる。
フォーレの、確か日本語では……【夢のあとに】
これもまた、何とも意味深長な選曲と穿ってしまう。
演奏者は、きっと、現在の有栖川さんの状況をご存じないのだろう。
いや、演奏者だけでなく、京極さんや栗栖君も知らないに違いない。
もし知っていたのなら私にもそう伝えるはずだし、逆にそれを隠しておく必要性はないからだ。
だがおそらく、学院長は、有栖川さんの意識が戻った事も既に退院している事も、報告を受けている。
有栖川さんのご両親から学院に対し何の知らせもないというのは不自然だし、6月下旬の退院ならば、それを受けて、おじさまが私の編入依頼を決めたのかもしれない。
何らかの目的で。
とにかくおじさまには明朝すぐに真相を問うとして、今夜は、私のメッセージを受け取って呼び出しに応じてくれたあの人に、質問をぶつけよう。
「ええ。仰る通りです」
京極さんの問いに、凛と頷いた。
「もしよろしければ、お二人もご一緒しませんか?もっとも、既にそのおつもりだったのかもしれませんが」
二人はそう誘われるのを察していただろうに、一瞬だけ顔を見合わせた。
だがほんの一瞬だけだ。
「そうだね、有難くお誘いを受けるよ。今夜これから会う人物は、俺達が探していた真実を示してくれるかもしれないからね」
「でもそれは俺達の為じゃない。俺達の為じゃなく、有栖川先輩の為に、俺達は真実を知っておきたいんだ」
二人からは淀みのない強い意志があふれていて、それは信じるに値すると判断できた。
「……ではその前に、一つだけお尋ねします。先ほどお話しされていた学院長室のパソコンにあった防犯カメラの映像ですが、ただご覧になっただけでしょうか?」
「どういう意味だい?」
「その映像を弄ったりはしませんでしたか?」
「なんでそんな事訊くんだ?俺達が勝手に編集でもしたって言いたいのか?」
不思議そうな反応も、嘘ではなさそうだ。
私は流れているピアノの曲がエンディングに近づいてると察し、この曲が終わったら、音楽棟の扉を叩いてみよう決めた。
「……5月2日夜の映像データが、何者かによって消去されていたそうです」
ピアノの音が聞こえる二階を見上げながら、彼らに告げる。
彼らは初めて聞いたような反応で感情を揺らした。
「俺達は何もしてないぞ」
栗栖君は微かに憤りを含ませた。
だが京極さんは静かに訴えてきたのだった。
「…俺は寮長として、真相を確かめる義務があると思っている。そしてそれがどういうものでも、吹月の生徒の望まない形になるのは回避させたい。必要ならば、真実を隠し通すつもりだ。だから俺と同じ思惑を持った人物がその為に映像の削除を行ったのだとしたら、俺はその人物を守る選択をするよ。だが何が真実かを知らない、当事者の想いもわからないでは、どうしようもない。だからミス・フルーガルの待ち合わせ相手には、ぜひとも真実をすべてお聞かせ願いたいね」
ああ、彼はやはり人の上に立つべき人物なのだろう。
そんな感想を覚えると、ふいに、音楽棟の窓から小さな明かりがもれてきた。
それは小刻みに動き、そして時間を置かずに、扉が、わずかに動く。
「―――と、いう事らしいですよ?先生?」
私は二階から一階に視線を下ろし、扉目がけて、私を迎えに来たであろう人物に声をかけた。
まるで計っていたかのようにピアノの音が止み、扉の隙間から姿を見せたのは、楠先生だった。




