54 犯人がいるかもしれないのに
「吹月の方……でしょうか?」
京極さんと同じく、差出人の可能性が高い人物を知ってしまっている私は、曖昧に逃げた。
「そうだよ。でも確実ではなかった。だから俺は、あの夜の事を何度も慎重に思い返した。そうしたら、ラウンジに手紙が飛ばされた時、上のライブラリーでもバサバサと何かが風に飛ばされる音がしたのを思い出したんだ。だがライブラリーは立入禁止になっていて確かめようがないし、もし俺が拾ったのと同じように手紙が飛ばされていたのだとしても、もうとっくに警察や学院長が回収しているはずだ。だったら、俺が何かせずとも、そのうち手紙の事や一緒にいた相手の事は調べが付くだろうと思っていた。だが俺の期待は、虚しく裏切られた。間もなく捜査は打ち切り、アリス先輩は海外に留学したという設定になって、吹月に戻る事はなかったんだ」
悔しそうに唇を噛む京極さんに、私は返す言葉がなかった。
なぜそういう選択になったのか、学院長からいきさつを聞いているからだ。
捜査打ち切りも留学という設定も、警察や学院側が言い出したものではなく、有栖川さんのご両親からの希望だったと。
だがそれを今京極さんに知らせたとて、彼の中に燻っている疑心が晴れそうにはなかった。
「学院長は居合わせた俺達フラットA生に箝口令を敷いた。それはまだ理解できた。アリス先輩は意識不明だったからね。迂闊に俺達が噂すべきじゃない事くらい、全員が承知していた。だが俺は、あの夜の事を知っている。アリス先輩が転落する直前まで何者かと一緒にいたと」
「それを学院長や警察の方にはお話しされなかったのですか?」
「報告しようと思ったよ。だが俺は、5月3日、学院長室に行く前に、ラウンジに寄ってこの手紙を読んでしまったんだ。男性が書いたと思われる、恋人宛ての手紙だ。勿論、この手紙の持ち主がアリス先輩と決まったわけではない。これがアリス先輩に宛てられた手紙だという確証もない。だが状況証拠からして、アリス先輩がこの手紙に何らか関与しているのはほぼ間違いないだろう。それを知ってしまったら、その後学院長室を訪ねてあの夜耳にした一部始終を報告するのは、躊躇われてしまったんだ。もしかしたらアリス先輩にとってあの夜の事は、他人には知られたくない出来事なのかもしれないと思い直したからだ。その後、警察から捜査打ち切りが発表され、箝口令は解除される事なく、アリス先輩は吹月から姿を消した。まるで夜逃げでもするようにいなくなってしまった。だがあの夜の事を知ってる俺には、そんな幕引きはあり得なかった。だってそうだろう?アリス先輩をライブラリーから突き落とした犯人がいるかもしれないのに、その犯人は捕まっていないんだから」
犯人とはっきり口にした京極さんに、私はドキリとした。
事件事故、どちらの可能性もあるのに、転落目前の様子を知っている彼の中では、事件寄りに傾いているのだろう。
「だから俺は、独自に調べる事にした。アリス先輩のために表沙汰にしない方がいいのなら、秘密裏に調べ上げたらいいと、栗栖の手を借りてずっと動いていたんだよ。そうしたら、突然女子が交換留学で編入してくるっていうじゃないか。まるでアリス先輩の留学を怪しまれないようにする為の小細工のように。しかも、その女子生徒は学院長と親しい館林家のご令嬢だ。これは学院長が何かしらの意図を持って連れてきたとしか思えなかった。疑わしさしかなかった。だが寮長とはいえ所詮は一人の生徒でしかない俺に、その決定をどうこうはできないからね、仕方なく、栗栖に君を見張らせる事にしたんだよ、ミス・フルーガル」
京極さんのセリフからは、若干ながら、申し訳なかったねという気配が漂ってきた。
だから私は「それは当然の対処です」と返した。素直な感想だ。
すると
「……君ならそう言うだろうとは思ったよ」
京極さんは頬を緩めた。
「ま、俺が見張ってるのも、結構ばれてたみたいだけどな」
栗栖君は両腕を頭の後ろに回して伸びをするような仕草をしてみせる。
私達の間にちらちら掛かっていた不穏の糸を、ばっさりと切ってしまうように、わざとらしいほどに呑気な調子で。
それならばと、私もにこやかに応じることにした。
「誰かに見られているのは気付いていたけれど、それが栗栖君だという確信はなかったわ」
「そうなのか?」
「ええ。ただ、私が首席卒業だったと知っていたので、栗栖君が私を調べたのはわかっていたけれど」
「あ、俺うっかり口滑らせてたよな。後でしくじったと思ったんだよ」
すると京極さんがフッと息をこぼした。
「それに関しては、俺も人の事は言えないな」
「瞬ちゃんも同じミスしてたよな。でもさ、首席で卒業したらしいって情報は入手できたけど、学校名や留学先の地域なんかはどう調べてもあがってこなかったんだ。館林家のセキュリティは相当頑丈だな。さすが世界で名が知れた名門家だよなあ」
「栗栖、話を戻せ」
「はいはい。でさ、新月の夜に、館林、音楽棟まで来てたじゃないか。あれは、俺を警戒して後をつけてたんじゃないのか?」
「一昨日の事かしら?」
「そうそう」
「じゃあ、あの時…一昨日の夜も、栗栖君は音楽棟にいたの?」
一昨日の夜、私と円城寺君が音楽棟の探索を行った事を言っているのだろう。
だがあの時、栗栖君が近くにいたなんて思いもしなかった。
円城寺君は気付いていたのだろうか?
「なんだ、違ったのか。俺はてっきり、円城寺をカモフラージュにして俺を探ってたのかと思ったけど」
「残念ながら、私はそこまで優秀な探偵ではないようね。けれど、今の栗栖君の言い方では、私と円城寺君が音楽棟に着くよりも先に、栗栖君は音楽棟にいたという事よね?それは、音楽棟のピアノを調べるのが目的だったのかしら?」
栗栖君はお?というリアクションをしながら、にわかに京極さんに目で意志確認をとった。
京極さんはすぐにこくりと頷きを返し、それを受けた栗栖君が両腕をおろして「実はな…」と説明役を交代したのだった。




