53 筆跡
「では京極さんは、有栖川さんは一緒にいた人物に故意に窓から落とされた、つまり事件だとお考えなのですか?」
僅かな沈黙も惜しくて、私は口を挟むように問いかけた。
京極さんは静かに首を振る。
「それはわからない。だから俺はそれを確かめる為にも、その人物がいったい誰だったのかを調べるべきだと考えた。そしてまず最初に行動したのが、その夜、アリス先輩が転落する前に俺のいたラウンジに入り込んできたものを探す事だった。転落現場のライブラリーは立入禁止になっていたが、階下のラウンジにまでは手が及んでなく、すぐにそれは見つかった。だが……ここからはほぼ君の推察通りになるが、俺はそれの一部しか手にする事はできなかった。それが原因でラウンジの幽霊と化していくわけだが、俺が入手した手紙の一部だけでも、読み解ける事もあったんだ」
京極さんは持っていた手紙に視線を落としながら続けた。
「まず筆跡から、この手紙を書いたのはアリス先輩ではない事。次に ”俺” という一人称から、差出人は男性である事。そして、この手紙の差出人と受取人、二人が恋人関係であったと思われる事……」
暴露されてしまった真実に、私の胸がズキリと軋んだ。
おそらくそれは、有栖川さんにとっても、相手にとっても、隠し通したかった事実なのだ。
だからこそ、5月2日の夜、彼らは……
だめだ、感傷的になってはいけない。
私はまだ会ったこともない有栖川 唯人を想うことは止め、只今打ち明けられたばかりの情報との対峙に注力した。
私が持っている手紙には、”俺” という文字は登場しなかった。
だが京極さんの方にはそれが書かれていた。
という事は、ライブラリーに散らばっていた他の手紙達にも、”俺” という言葉が使われていたに違いない。
なのに学院長はその事実を私には教えてくださらなかった。
これは、有栖川さんの意識が既に回復済みだという事と等しく、うっかり伝え忘れていた、などと言えるような容易い事柄ではない。
久我のおじさまは、有栖川さんが持っていた手紙を書いた人物……おそらく彼の恋人が男性であると、もうとっくにご存じだったのだ。
だから、私が説明を求めたあの朝の学院長室で、おじさまは一度も ”彼女” という言葉をお使いにはならなかった。
違和感を持たせないほどに、絶対的に、意図的に。
おじさまは、とても綺麗に、私に事実を隠したのだ。
「勿論、この手紙がアリス先輩に宛てられたものだったとは限らない。けれど……驚かないんだね、ミス・フルーガル。今俺が打ち明けた事は、決してどこにでも転がっている話ではないと思うんだが。それともやはり海外生活が長いと、恋愛対象が異性か同性かなんて差異はないのかな?」
手紙を指に挟み、ひらひらと弄ぶ京極さんに鋭く問われる。
彼が訊きたい事はよくわかっていた。
有栖川さんの恋人が男性であるかもしれないと以前から知っていたのか、または、なぜそれを知り得たのか、そう問いたいのだろう。
だがそれを説明するとなると、今朝神村さんから聞いた話を仔細に述べる必要があるのだ。
そしてそれは、神村さんとの約束を破る事になってしまう。
神村さんから聞いた話のうち、有栖川さんに関する内容は決して口外しないという約束を。
手の内を明かそうとしてくださってる京極さんには申し訳ないが、私は神村さんとの約束を守る事を優先にした。
「そうですね……、父のもとで働く方の私生活のパートナーが同性でいらっしゃるとか、留学先の知人の親戚に同性カップルがいらっしゃるとか、そういった話は時折聞いてはいましたが、直接の知人友人にはおりませんでした。ですから、有栖川さんの恋人が男性である可能性も、今日まではまったく気づきもしませんでした」
「まったく?学院長から何も聞かされてなかったのかい?」
「有栖川さんが公にできない恋に悩んでいたらしいとは伺いました。ですがお相手に関しては、何も説明は受けておりません」
今から思えば、もしかしたら学院長は手紙の差出人が誰なのかもご存じだったのかもしれない。
それゆえ、ライブラリーに散らばっていた手紙を、有栖川さんのご両親にはお見せしなかった、そう考えるのが自然だろう。
私に知らせなかったのは、その人物を隠したかったからか、それとも、調査を請け負った私に変な先入観を与えないためか……
「だが、君は昨日の朝早く、学院長室を尋ねて長い時間を過ごしたそうじゃないか。その時に本当に聞かなかったのかい?」
「仰る通り、学院長室に伺ったのは事実です。ですが、それだけで私をお疑いでしたら、私も疑いを持って貴方にお訊きしたい事があります。京極さん、貴方は、そちらの手紙は有栖川さんの筆跡ではないと仰いましたが、では他の方でお心当たりはなかったのでしょうか?」
「なんだって?」
「その手紙を書いた人物、ひいては有栖川さんの恋人かもしれない人物に、思い当たる方がいらしたのではありませんか?なのに、そこには触れようとしない。なぜですか?私はまだ、あなたの信頼に足りない人間なのですか?」
疑惑を向けてきた相手には疑惑を向け返す、これもまた、父の教えであった。
京極さんと喧嘩をしたいわけではないのに、真夜中の静寂に不似合いなほどのピリリとした熱の一波が漂いかける。
だが間髪入れぬ素早さで、ずっと聞き役に徹していた栗栖君が飄々と割って入ってきたのだった。
「瞬ちゃん、こいつとは仲良くしておいた方が賢明だと思うけど?疑うだけ無駄、時間が勿体ないって」
だって館林は今からここで誰かと待ち合わせしてるんだから。
栗栖君がそう付け加えると、京極さんも納得したように、私への追及を中断した。
だがそれはあくまでも休戦であって、終戦のつもりはなさそうだった。
その証拠に、またもや私の反応を試すような発言をしてきたのだ。
「君もあの手紙を見たのなら、とても丁寧な文字だと感じただろう?癖のない、綺麗な字だった。だが単語と単語の間隔というか、全体的な印象に、見覚えがないわけではなかった。どこかで、この手紙と似た雰囲気の文章の並びを目にした記憶があったんだ。すぐにはわからなかったが、数名の心当たりが浮かんだよ。誰だか分かるかい?」




