50 推測と証拠
私は懐中電灯を切り、「京極さん」と改めて名前を呼んだ。
外灯がぼんやりと彼の顔半分ほどを照らしている。
彼が頷くか否定するかは予想もつかなかったけれど、せっかくの契機を無駄にするなんて勿体ない。
「何かな?ミス・フルーガル」
「有栖川さんが図書室から転落した5月2日の深夜、京極さん、あなたはライブラリーの真下にあるラウンジにいらっしゃったのですね」
質問ではなく、確認でもない。
これはただの事実の羅列だという温度で告げたが、彼からのリアクションはない。
「そして、転落の物音を聞き、ご自分のスマートフォンで暗い外を照らした。その時に、先ほどの彼女、神村さんに目撃されたようです。ここからは私の推測にはなりますが、その夜、あなたは、ライブラリーから飛ばされた手紙を、ラウンジで見つけたのではありませんか?けれどその手紙は、ロングケースクロックの底の隙間に挟まってしまった。ロングケースクロックは相当貴重な物だということですから、あなたはそれを動かすのは躊躇してしまった。だからなるべくロングケースクロックに触れないよう、細心の注意を払ってその手紙を可能な範囲で破り取った。そこに何が書かれていたのかは存じ上げませんが、あなたは残りの手紙も気になったのでしょう、その後、人目を忍んで夜な夜なラウンジに出入りし、どうにかロングケースクロックの底から破れた手紙を引き出せないものかと思案されていた………違いますか?」
「それは、どうして?どうして、そう思うのかな?」
ずいっと私に歩み寄った京極さん。
その表情は外灯の境界線内側に入り込んできて、冷たく笑んでいた。
「私は幸運にも、ラウンジの幽霊と遭遇しておりますので。残念ながら幽霊のお顔までは拝見できなかったのですが、その正体が人間である事は承知しております。そして後日、その人物の目的についても知る事ができました」
「どうやってそれを知ったんだい?」
「学院長から5月2日の出来事を聞かされていたので、と申し上げればご納得いただけますでしょうか?その夜は風が強く、転落のあったライブラリーには手紙が散らばっていて、それが外に飛ばされた形跡があったようだと聞きました。幽霊の噂は5月頃から流れ出したという事ですから、同じ時期にラウンジであった出来事と照らし合わせ、ラウンジの幽霊の目的は、5月2日の夜にライブラリーからラウンジに飛ばされた手紙を探す事だと考えました」
「なるほど。だけど手紙が階下のラウンジに飛ばされたというのは、君の推測に過ぎないのではないのかい?ミス・フルーガル」
「いいえ?」
「どうして言い切れるんだい?証拠でもあるのかな?」
「勿論です」
「それは何かな?」
「私が実際にラウンジで見つけた手紙の一部です」
「なんだって?」
ここでようやく、京極さんの涼しい顔色を切り崩す事に成功した。
「その手紙の一部はこちらにございます。宛名も送り主も記されておりませんが、確かに文字の書かれた便箋の一部が、ほら、こうして……」
私はカーディガンのポケットから例の敗れた手紙を取り出して、片手で開いてみせた。
京極さんは「まさか…」と小声で呟き、相当な驚きが伝わってくる。
「だってそれは、あの時計の下に……まさか、あれに触れたのか?」
言葉遣いがラフになると、京極さんがはじめて男子高校生に見えた気がした。
「はい。そうしない限り、こちらを入手できそうにはありませんでしたので」
「そんな馬鹿な!あれは国内外のミュージアムからも求められるほどの美術品なのに、まさかそれを勝手に動かしたというのかい?」
「必要不可欠でしたから」
京極さんは信じられない…と頭を振った。
その驚愕っぷりに、彼が芸術分野にも明るいという事はわかった。
だが愕然とした顔つきは、そう長くは続かなかった。
「……さすが館林家のご令嬢、ということだろうか」
「どういう意味でしょうか?」
「我々が貴重だと思っている物も、桁違いの家格の君にはほんの些細な程度でしかなかった。違うかい?だからいとも簡単にあの時計を動かせたんだ。君はフルーガルだと思っていたのだが……」
「フルーガルですよ?それに、私の実家は裕福ではありますが、一般家庭でもあります。家格と申されるのでしたら、公家の血筋を引くあなたの方がよほど家格は上だと思われますが。ただ、一言申し上げるのなら、私はフルーガルを自覚してはおりますが、人の命にかかわる事となれば、美術品だろうと骨董品だろうと関係ありません。例えそれにどれほどの価値があろうとも、修理費用が莫大になろうとも、私がそれで躊躇う事はあり得ません」
迷いなく告げると、ややあって、京極さんからは深いため息が聞こえてきた。
「……君の言う通りだね、ミス・フルーガル」
「では、あなたがラウンジの幽霊だったとお認めになるのですね?そして、私が述べた推測も正しかったのだという事でよろしいのですね?」
時間にしてみれば短い深呼吸二回分ほどの合間ののち、京極さんは「その通りだよ」と頷いたのだった。
「君の言う通り、アリス先輩の命に繋がってくる事かもしれないのに、俺には君ほどの思いきりは持てなかった。何度も挟まった手紙を引っ張ろうとしたが、あの時計がどれほど価値があるかと思うと怖くもなって、触れることすらできなかった。アリス先輩の身に起こった事が掴めるかもしれないのに迷ってしまったなんて、寮長失格だね」
アリス先輩……京極さんからははじめて聞く呼び名に、今の今まで、彼が私に対し自分を繕っていたのだと実感する。
二人は私が想像する以上に砕けた仲だったのかもしれない。
だからこそ、京極さんは有栖川さんの事を守りたかったのだろう。
私という異分子を警戒しながら。
「本気でそう思ってらっしゃるのですか?あなたは有栖川さんの事を想って、色々行動されていたのではないのですか?私に対する態度も含めて。それは寮長失格などではなく、むしろ最適任な方である証だとお見受けします」
京極さんは長めの前髪をかき上げて、2、3度くしゃくしゃと頭を掻いてから、観念したように、掴んでいた髪を手放した。
「済まなかったね。君を疑うような態度をとっていたのは事実だ。君は久我学院長と懇意な間柄だ、もしかしたら学院側の人間で、学院にとって不都合な事を塗り潰してしまうかもしれないと危惧したんだ」
「それは……」
まったくの誤解というわけでもない。
事実、私は久我のおじさまに依頼されて、有栖川さんの件を調べていたのだから。
そしてこの京極さんでさえ、容疑者の一員だったわけで。
私はぎこちなく言葉を置いてしまうも、それを狙っていたかのように、京極さんとは反対側の夜の闇から声が飛んできたのだった。
「それはないと思いますよ?」




