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49 音楽棟で待っていた人物





音楽棟に近付くにつれ、あの夜のレクイエムが頭の中で再生されていく。

あの夜は新月で、手元の小型な懐中電灯では負けてしまいそうなほどの暗い夜の闇に包まれていたのに、それは、さらに濃くて深い黒の陰を連想させるような音だった。

物悲しげで、誰が聞いても切なくなってしまうような音色。


この曲に関しては一般的な知識しか持ち合わせていないけれど、きっと演奏者にとってこの曲は、私には知りえないような意味のあるものなのだろう。

今夜は、その意味を尋ねる時間があるのだろうか。


まだ待ち合わせ時刻に達していないからか、音楽棟を目の前にしても、あの新月の夜のようにレクイエムは聞こえてこない。

だが私は、待ち合わせをした相手こそがあの夜のピアノの奏者だと信じて疑わず、音楽棟の扉に続く上がり(かまち)に足をかけた。


けれどすぐに、その足を地面に戻すこととなる。

そして後ろは振り向かず、音楽棟の扉を見つめたままに問いかけた。



「――――あなたは、ラウンジの方の幽霊だと思っていましたが?」



一瞬の間があって、背後からは、土を踏む音が聞こえてくる。



「………いつから気付いていた?」



諦めたように、けれど楽しそうに問うてくるその人物に、私はくるりと踵を返した。

私と同じく制服姿の長身の姿が、闇夜の中、すらりと姿勢正しく伸びている。



「部屋を出た時からずっと気付いていましたよ」

「なんだ、じゃあもっと早く声をかけてくれたらよかったのに」

「どうせなら、私の今夜の待ち合わせ相手にもお引き合わせしようかと思いましたので」

「そうなんだ?それは楽しみだ」

「ご期待に沿えるとは限りませんが」

「それは君が気にする必要はないよ、ミス・フルーガル。相手が誰だろうと、俺にとっては有意義な時間となるはずだからね。ところで、今、ちょっと興味深い事を言っていたね。どうして君は、俺がラウンジの幽霊だと思ったの?」

「目撃者がおりましたので。あの夜の」

「なんだって?」


内容はともかく、言葉の上では穏やかだったやり取りが、突如として途切れる。



「ではその目撃者は、彼が転落するのを黙って見ていたというのか?助けもせずに?」


京極さんは語調を強め、非難を隠さなかった。

そう考える気持ちも理解はできる。傍にいたなら転落を阻止する事も可能だったのではと、彼の関係者が怒りを覚えるのは自然の感情だ。

だからこそ、そこはきちんと状況をお伝えしておかねばならない。

貴重な情報を提供してくれた彼女のためにも。


「いいえ。その目撃者が確認できたのは、あなただけだったそうです。大きな音が聞こえて、振り向いてみたら、寮の二階の窓からあなたがスマホか何かで辺りを照らしていた………と」


懐中電灯の明かりを京極さんに向けると、彼はほんの少しだけたじろいだような反応を見せた。

いつもハーフアップにしていた髪は今夜はそのままサラサラと落ちていて、彼の違った一面を映し出しているようだ。



「そうか……、ではやはり、今朝会った彼女が、防犯カメラの映像に映っていた女性だったのか」


沈んだ呟きに、私は彼の端正な顔を見据えた。


京極さんは、なぜその事を知っているのだろう?

防犯カメラの件は、久我のおじさまは警察にさえ知らせていないのに。


思わず ”どうしてご存じなのですか?” と訊いてしまいそうになったが、すんでのところでとどまった。

逆になぜ私が知っているのかと尋ね返されても困るのだ。



「………防犯カメラの女性、ですか?」


初耳だという素振りで問えば、京極さんはおや?という風に眉をしかめた。


「ミス・フルーガルは久我学院長から聞いていないのかい?」


さすがと言うべきか、京極さんからはかまかけのような質問が返ってきて、どう答えるべきかを躊躇する。


私が久我のおじさまの依頼で有栖川さんの件を調査している事は、決してオープンにすべきではない。

もし在校、在職の人間が聞けば、まるで学院長が自分たちを疑って第三者に介入を依頼したと受け取られかねないからだ。

実際はその通りなのだが、それでも、在校、在職の彼らにしてみれば気分のいい話ではないだろう。


微かな遅疑(ちぎ)ののち、私は「防犯カメラに女性が映っていたのですか?」と、同じ調子で重ねて問うた。



「……うん、やっぱり君は賢い人だね、ミス・フルーガル。さすが首席卒業なだけはある」


納得したように何度か頷く京極さん。

だが私は、首席卒業、そう断定された事で、反撃姿勢へのスイッチを押したのだった。


「なぜ、私が首席で卒業した事をご存じなのですか?」



6月に留学先のアメリカの学校を優秀な成績で卒業、そこまでは公にしているが、首席卒業まで把握している人間は限られているはずだ。

私の事を調べない限りは、知り得ない情報。

久我のおじさまが口を滑らせたのだろうか?

それとも、あの日、学院長室でのおじさまとの会話を盗聴でもされていた?

……いや、もしそうなら、京極さんはこんな風に私なんかに構ってはいないだろう。

あの時おじさまは、いくつもの有益な情報を口にしていた。

もしそれを聞いていたのならば、私の立場も承知しているはずで、こうして私に揺さぶりをかけるよりも他に調べるべき事があるからだ。


京極さんは唇を一文字に閉じ、手を顎に当てた。


「そうか、それは公開されてなかったんだね……」


私の質問に対する答えは、すぐに教えるつもりはなさそうだ。

だがそれならそれでいい。

私の事は今はどうでもいいのだから。

今はそんな事に時間をかけていては勿体ない。

今夜の待ち合わせ相手が姿を現す前に、京極さんに確かめておきたい事があるのだ。












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