44 呼び捨て
フラットAに戻り、京極さんにも神村さんが有栖川さんに片想いしていたという話をお伝えしておこうと思ったが、どうやら寮長の仕事で外出中らしい。
教えてくれたのは、リビングルームにいた英君だった。
彼は栗栖君を待っていたのだという。
友達との約束があったのに、わざわざ私を待っててもらって申し訳なかったと口にしかけるも、その考えが顔に出ていたのだろう、栗栖君からは「気にするなよ」と、さらりと先手で言われてしまう。
油断ならない人は察しが良すぎる。
だがそんな出来た人物も、時にはドジもするようだ。
栗栖君を見つけるなり管理棟方向から声をかけてきた葛城さんに、ランドリールームに彼の忘れ物があったから取りに行ってほしいと告げられると、慌ててリビングを出ていったのだった。
そうして、残された私と英君の二人。
私は栗栖君に借りたカーディガンを羽織ったままで、英君は栗栖君とこの後の約束がある。
二人とも、ここで栗栖君を待っていなけらばならないのだ。
本音としては、すぐにでも自室に戻って色々と考えたいところだが、それを誰かに悟られてはならない。
私は慎重に顔色を作りながら、英君ととりとめのない会話を交わす事にした。
「英君、でよかったのよね?栗栖君は私の用事が済むのを待っていてくれたの。それで遅くなってしまって、ごめんなさい」
「いやいや、フルーガルが気にする事なんてないから。っていうか。俺の名前覚えててくれたんだ?すげー、嬉しい」
ニカッと健康的な笑い顔は今日も健在だ。
その表情には健全性も溢れかえっていて、私は、ふと、そんな彼に確かめてみたくなった事があった。
「同級生の名前を覚えるくらい、普通よ。だけどちょうどよかったわ。英君も教えてもらいたい事があるのだけれど、構わない?」
「なになに?俺に分かる事なら何でもどうぞ?」
「ありがとう。久我先生と楠先生の事なんだけれど、」
「ああ、付き合ってるのかって?」
何だそんな事かと、私の質問を先回りして言った英君に、私は驚く時間も勿体なくて「やはり本当なの?」と問い返した。
ぐずぐずしていたら、栗栖君がランドリーから戻ってくるのだから。
彼が戻ってくるまでに、この会話は終わらせておきたかった。
「らしいけどな。なんか、久我先生が嬉しそうな顔で電話してるのを見かけた奴がいて、そいつの話では、久我先生が電話の相手に ”優子” って呼びかけててらしいぞ?」
優子……楠先生の下の名前だ。
「ま、大学ん時からの連れなら、呼び捨てにしてても全然不思議じゃないけど、そん時の久我先生の顔がまあこっちまで恥ずかしくなりそうな感じにとろけてたらしいからな。でももともと二人の事を怪しいって言ってた奴らは大勢いたし、その目撃情報が決定打になったんだろうな」
「そうなの……」
では、やはり二人が恋仲だったというのは事実なのだろうか?
もしそうなら、有栖川さんは………
私の心は複雑に軋み音をたてかけたけれど、駆け足で戻ってきた栗栖君には平然とした態度を見せなければならなかった。
「おかえりなさい」
「なんだ、待っててくれたのか?」
「これを借りっぱなしだったから…」
私はようやく栗栖君に借りていたカーディガンを返却し、さりげない装いで急いで、彼とはそこで別れたのだった。




