43 優しい人は油断ならない人
互いの連絡先を交換したあと、神村さんから託された二通の手紙を大切に鞄にしまい、私は自転車を置いてある風車公園まで戻った。
ゆるやかな坂道をのぼりながら、これからどうすべきかを考える。
鞄の中の手紙が、とてつもなく重たく感じられた。
もう霧は晴れ上がっていたけれど、私の心には靄が忍び寄ってくるようだ。
だが、自転車を停めたはずの公園入口が見えてくると、そこで柵にもたれかかっている人物にも気が付いた。
彼も私を見つけると、軽く右手を振ってみせた。
「よお。もう話は終わったのか?」
「ずっと待っててくれたの?栗栖君」
「寮長はああ言ってたけど、館林のことだから、きっとタクシーは呼ばないんじゃないかと思って。何たってミス・フルーガルだからな」
栗栖君の右手が今度は自転車のサドルをぽんと叩いた。
「どうもありがとう。カーディガンも、すごく助かったわ」
「じゃ、そのまま着ておけよ。円城寺も一緒に待つって言ったんだが、この世で最も公正な方法で俺が残る事に決まったんだ」
「最も公正な方法って、何かしら?」
「それはな……」
もったいぶるように栗栖君はたっぷり合間を置いてから
「じゃんけんだ」
華やかな顔をくしゃりとさせた。
「なるほど。それは世界一公平なジャッジね。……後出しさえしなければ」
軽やかなテンションには、軽やかなテンションで。
私の冗談めかした返しにも、栗栖君は淀むことなく打ち返してきた。
「何だよ、俺が後出しでもしたって言いたいのか?」
「さあ?」
「ひどいな、濡れ衣だって」
「どちらにしても、なんとなく栗栖君は勝負事に強そうな印象があるけれど」
「お、すごいな。正解だ。さすが首席卒業」
「それは何か関係があるの?」
苦笑いが生まれる。
すると栗栖君は「さあな」と、私の真似をするように笑った。
だがすぐに
「首席と言えば、ちょっと引っ掛かったんだけど、首席とるような人間が、”見学”と ”視察”を言い間違いするのか?」
軽やかさを維持したまま首を傾げた。
「何の事?」
「この前ここに来た時、館林が言ったじゃないか。『風車を視察した事がある』って」
「そんな事言ったかしら?でも実家や留学先では英語ばかり耳にしていたから、その程度の言い間違いならしょっちゅうよ?それより、そんな些細な事をよく覚えていたわね」
「まあな。俺、記憶力には自信あるんだ。そのおかげで全国模試で一位とった事だってあるし、それがきっかけで吹月の特待生になれたからラッキーだ」
「そうだったのね」
二人して自転車のハンドルを握る。
ほぼ二台同時にカシャンとストッパーが外れ、私がサドルに跨りながら相槌を打つと、栗栖君はおしゃべりの延長線上で訊いてきたのだった。
「で?」
「『で?』とは?」
「だから、さっきの女子高生だよ。何て言ってたんだ?」
興味津々を堂々と掲げる栗栖君は、少し円城寺君っぽいなと思った。
「……あまり広めたら気の毒だから、栗栖君も、京極さんや円城寺君以外には口外しないでね。」
「了解」
「どうやら、あの人…神村さんは、有栖川さんにずっと片想いしていたみたい。それで、最近街で見かけなくなったのを気にしていたそうよ」
「それだけか?」
栗栖君は自転車に乗りながら間髪入れずに確認する。
さも、私がそれ以上の何かを聞いたはずだと言わんばかりに。
こちらが彼の本命だったのだろう。
だからこそ私は、当然、それ以上の事は話さない。
”全員容疑者” が解除されたわけではないのだから。
特に神村さんがあの夜目撃したという京極さんに関しては要注意だ。
そして当夜フラットAに残っていたこの栗栖君も。
「ええ。有栖川さんはそんなにモテるタイプの人だったの?」
「そうだなあ……ま、品があって優しそうな雰囲気で、女子から人気がありそうなタイプではあったな」
「それなら、彼女が有栖川さんに片想いしていたとしても、何もおかしくはないのね」
「そりゃまあ、そうだけどな。でも片想いってことは、別に付き合ってたわけじゃないんだよな?」
「片想いと言っていたわ。有栖川さんには彼女がいたの?」
「彼女がいたかは知らないけど、別にいても驚かなかったけどな。イケメンだったし、寮長やるくらい人望もあって頼れて優しい性格だったし、あと何ていうか、上品な中にもちょっと色気があったというか……とにかく吹月の後輩でもファンは多かったよ」
「そうなのね。私もお会いしたかったわ」
「面識ないのか?金持ちってどっかで繋がってるイメージだけど」
「残念ながら、日本の方とはあまりお付き合いがなかったの。吹月に留学したことで、お付き合いが広がればいいと思ってるのだけれど…」
「だったら京極さんは絶対に親しくなって損はないな。あと円城寺も将来有望だ。ま、性格にはやや難ありだが」
「私は栗栖君とも親しくなっておきたいけれど?」
「お、そうきたか。じゃあ俺も館林と仲良くして、将来仕事に困ったら館林んとこで雇ってもらおうっと」
「栗栖君みたいに優秀な人なら、父も大歓迎すると思うわ。ぜひおいでくださいませ」
「やった。俺の未来は安泰だな」
栗栖君と二人でのサイクリングは、軽妙な会話に終始した。
吹月学院までの帰り道は上り坂だったが、それすら苦になる事もなく、私はぐいぐいペダルを漕いでいったのだった。




