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「4月の、新学期が始まってすぐの頃でした。私はいつも通りこの子の散歩で、あの公園を通りました。その日はまだ日が暮れる前だったのですが、この辺りでも珍しく春の大雪になっていて、公園だけでなく街も道路も人の気配があまりない日でした。でもこの子の散歩は雨でも雪でも欠かせないので、私はいつもより急ぎぎみで散歩していました。そうしたら、公園の駐車場に、一台の車が停まっていたんです。エンジンはかかっている状態で、運転席と助手席に人影がありました。こんな大雪の日に何してるんだろなと思いましたが、特におかしいとは思わず、通り過ぎようとしたしたんです。でもその時、車の二人が、その……キスをはじめたんです。それも、かなり激しい感じで……。私は他人のキスシーンなんて初めて見たのでびっくりしてしまって、でも車の人達に気付かれる前にすぐに立ち去ろうとしました。だけどこの子が雪で遊び出してしまって、帰るに帰れなくなってしまいました。仕方なく私は車からは見えにくいように木の陰にまわったのですが、ちらっと車の二人が視界に入ってしまって……。助手席の人が運転席の人の髪を軽く握ったり離したり、まさぐってる様子で、その仕草が、なんていうか、やらしくて……居合わせたこちらの方が恥ずかしくなるようなキスシーンでした。二人は何度も角度を変えてキスを続けていて……でもそのうち、ふと唇を離したんです。その時、私は助手席にいた人の顔を見て絶句したんです」
「――――有栖川さんだったのですね?」
神村さんはこくんと一度だけ頷いた。
だがその先を進めるには、もうひと段階の決意を要したらしく、にわかに小休止が挟まった。
彼女の思い詰めた表情に、私は今度は彼女のタイミングを優先させるべきと考えた。
すると、思い詰めた色は一向に薄まらず、彼女はそのまま私に告げたのだ。
「……私、最低な事をしてしまったんです」
相槌すら返さずに、私は待った。
けれど
「こんな事を打ち明けて、軽蔑されるかもしれませんが……」
神村さんのこの前置きには即否定で応えた。
「しません」
「え?」
「私は神村さんから何を聞いても軽蔑したりしません。今そうやって自身を悔いてるあなたの事を、軽蔑なんかできるはずありませんから」
「――っ!」
神村さんは思い詰めた面持ちを泣きそうに歪め、そのあと頬にきゅっと力を込めたように笑みを浮かべた。
「ありがとう、ございます……。少し気持ちが楽になりました」そう言って、膝の上に置いた拳をテーブルに移して。
話が、先に進む予感が走った。
「……私、その時咄嗟にスマホで写真を撮ってしまったんです。私の友達には彼女はいないなんて言っておきながら、陰でコソコソそんな事してる有栖川さんに腹が立ったんです。……私の自分勝手な感情なんですけど、その時の私には衝撃が強すぎて、正常な判断なんかできませんでした。有栖川さんと相手の人、両方の顔が分かるような角度で撮っていると、その人は、以前、公園のベンチで親密そうにしてた人かもしれないと思いました。シルエットが何となく似てたんです。私は何枚も写真を撮りました。そうしたらそのうち、二人はまたキスをはじめて……ここだけの話、もしかしたら二人はあのまま……もっと深い事をするつもりだったのかもしれません。少なくとも有栖川さんの方はそのつもりだったんじゃないかなと感じました。でもこの子が急に吠え出したので、私はその場から逃げるように帰りました。だからその後有栖川さん達がどうしたのかは知りません」
盗撮……
確かにそれは非礼で、神村さんの言うところの ”最低” に値するのかもしれない。
だが、片想いの相手を隠し撮りするなんて、若いうちは決して珍しくもない経験だろう。
例えそれがキスシーンだったとしても、その写真を自分で持ってる分には相手にも迷惑にはならないはずで、何ら問題はなさそうだ。
少なくとも、今日初めて会ったばかりの私が軽蔑するほどの悪事には思えないのだ。
その思いが、私に次の質問を促した。
「写真は、そのあとどうされたのですか?」
どうやら、神村さんの告白にはまだ続きがありそうだ。
その証に、神村さんは今日何度目かの浮かない顔になっている。
やはり気は進まない、けれどこの先を話さないわけにもいかない、そんな懊悩が瞬いた後、おずおずと彼女は打ち明けたのだった。
「そのあと……写真を使って、私は……、…………脅迫したんです」




