36 告白のはじまり
「優しくない、とは?」
尋ね返した時、神村さんの顔色にはまだ躊躇いめいた色が見えた。
だがどことなく、彼女の中に打ち明けたい思いも混在してるようにも感じられた。
その証拠に、神村さんはリードを手首に巻き、手のひらを握ったり開いたりしている。
その仕草には、葛藤や躊躇いという意味が含まれている事が多いはずだ。
もう一押し、だろうか。
だから私は、急かしたりせず、神村さんのタイミングを待とうと思った。
そしてややあって
「……私、有栖川さんに酷い事をしてしまったんです」
神村さんは後悔を全身に纏いながら告げたのだった。
「酷い事、ですか?……ですが、有栖川さんとは、知り合いというわけではなかったのですよね?」
「そうなんですけど……」
ここでもまだ言い淀む神村さんに、私は辛抱強く待つという意志を持って、「どこか、落ち着いて話せるところに移動しますか?」と提案した。
「勿論、神村さんがやはり話したくないというのでしたら、これ以上はお聞きしません。ですが、もし迷われているのでしたら、誰かに話すだけでも気分的には随分楽になる事もありますよ?失礼ながら、私には、神村さんが何かをお話しになりたいと思われているように見えてしまいましたので……」
無理強いはせず、だが引き下がりもしない。
すると神村さんは観念したように小さな息を吐き、リードを握り直した。
「じゃあ、そこのベーカリーカフェにでも入りませんか?テラス席ならこの子も一緒に入れますので」
神村さんのセリフに、犬がクゥン?と小首を傾げる。
私は犬の愛らしい仕草に微笑みながら、彼女の誘いに了承した。
※※※※※
思わぬ二度目の訪問となってしまったが、ベーカリーのスタッフはにこにこと余計な事は言わずに気持いい応対をしてくれた。
霧も随分晴れてきて、テラス席ではダイナミックな自然の景色を楽しめそうだ。
そして私達以外にお客はおらず、込み入った話をしても支障はないはずで。
メニューも見ずに飲み物だけオーダーすると、すぐに運ばれてきて、神村さんの犬はおとなしく足元に体を伏せた。
「それで……」
彼女からのきっかけが生まれてこなさそうなので、喉を潤した後に私から促してみる。
さすがにもう迷いは薄まっていたのか、神村さんは意を決した顔持ちで口を開いた。
「……私が有栖川さんを知ったのは、中学生の時でした。吹月の中等部に在籍されてた有栖川さんが街で買い物されてるのを見かけたのが最初です。私は生まれも育ちもここですから、昔っから吹月の生徒さんが地元の女の子達の憧れの的なのは知ってました。でも、一目で好きになったのは有栖川さんがはじめてでした。中学生の頃は、まだ見てるだけでよかったんです。たまに見かけて、声が聞けたりしたらラッキーでした。いつだったか一緒にいたお友達が呼んでいるのを聞いて、有栖川さんのお名前を知りました。私はこの子の散歩でよくあの公園を通ってましたから、吹月の中等部の人とはよく遭遇してたんです。でも、有栖川さんが高等部に入ってからは、見かける回数が減っていって……」
確かにあの風車公園の先には吹月学院中等部があるというから、高等部生に比べたらその機会は多いだろう。
神村さんは犬の頭をひと撫でした。
「高校に入ってもこの子の散歩は続けてたので、あの公園には毎日のように通ってました。あと、週末はなるべく街に出てウロウロしたりして、偶然を待ち続けていました。それでたまに見かけたり、有栖川さん本人でなくても、通りすがりの吹月の人の会話に『有栖川』とか『アリス先輩』って聞こえただけでも大喜びしてました。でも、まだ二年前までは時々…数か月に一度程度では見かけていたのに、去年は、ほとんど会えなかったんです」
「去年というと、有栖川さんが高二の時ですね。有栖川さんは寮長をされてたようですから、それで忙しくなったのかもしれませんね」
「そうだったんですか?寮長を……」
神村さんは噛みしめるように呟いた。
それは、有栖川さんの新たな情報を得られて感慨深く思っている姿にも見えた。
こんな時でも恋心は健在だというわけだ。
「ですが、ほとんどない、という事は、何度かは見かけたという事でしょうか?」
「はい、そうです。二度だけ」
「二度?」
「はい。あの公園で、二度。一度目は吹月の同級生っぽい人達数人と、ベンチに座って簡単なお花見をしてるようでした。そして二度目は間が空いて、12月の寒い夜に」
「夜?」
どうやら本題の気配が漂ってきたようだ。
私は焦らず、焦らさず、冷静さを維持する事に神経を尖らせていた。




