33 謝罪
「あの、すみません…」
意を決してという風情の女の子は、気の毒なほど声が頼りなかった。
そして私の記憶では、彼女はあのグループの中でも誹謗はしていなかったはずだ。
仲間内の盛り上がりを窘める事もなかったが、さりとて参加もしておらず、ただ私を羨ましいと言っていたように思う。
「俺達に何かご用ですか?」
代表して応じたのは京極さんである。
穏やかだが大人びた威厳もある京極さんに、女の子は多少たじろぎを見せるも、くるっと私を見据えてきた。
「あの、……あの時は本当にすみませんでした。私達のせいで、せっかくのきれいな髪を……本当に本当にすみませんでした」
彼女はぐいっと頭を下げてくる。
深く深く、前屈運動でも始まりそうなほどに体を折る彼女に、私は「どうぞ頭を上げてください」と伝えた。
すると彼女はおずおずと体を起こし、今度は私だけでなく他の三人にも聞かせるように名乗った。
「私は神村 菖蒲といいます。県立に通う高三です。先日は、私の友人が大変失礼な事を言ってしまい、本当にすみませんでした。でも、あの……どう言っても言い訳にしかなりませんが、あそこにいた子達はみんな吹月学院のファンっていうか……憧れてるんです。それでつい、そんな憧れの場所に急に現れた女の人に嫉妬してしまって……。勿論だからって、あんな言い方したのは間違ってます。あの後みんなすごく反省してました。本当です。嘘じゃないです。でもどうお詫びしたらいいのか分からなくて……。もう短くなってしまった髪は元に戻らないけど、どうしても謝りたくて、だから声をかけさせてもらいました。それから、みんな本心であんな風に思ってるわけじゃないって知ってもらいたくて。みんな、本当に吹月学院の生徒さんに憧れてるんです。それは分かってください」
言葉の端々から気持ちがはみ出してくるような、実直な説明だったように思う。
髪はすぐに伸びてくるし、あの一件で私は円城寺君の信頼を得られたわけだし、結果的にはフルーガルという名前にも繋がったわけで。
だから彼女の謝罪を拒む理由は何もなかった。
「もうよろしいですよ。ご丁寧にありがとうございます」
心からそう思ったのだが、隣の円城寺君はまだスッキリしないらしい。
「ちょっとマイマイ、本当にいいの?この人許してあげるの?」
「許すも何も、髪を切ったのは私自身だもの」
「それはそうだけど!」
「まあまあ円城寺、もういいんじゃないか?こうして謝りに来てくれただけでも良かっただろ?」
「栗栖は甘いんだよ。ねえ京極先輩」
「うん?俺は事情をよく知らないから何とも言えないな。だけど、当事者はミス・フルーガルなんだろう?だったら、俺達がどうこう言うべきではないよ」
「でも吹月の事を悪く言われたのに…」
「彼女はこうしてきちんと謝罪をくれただろう?」
京極さんの繰り出す正論に、さすがに円城寺君も反論を飲み込むしかないようだ。
私は場外ディベートを終了させるべく、今初めて名前を知った神村さんに微笑みかけた。
「神村さん。本当に、もう気になさらないでくださいね」
三年生という事は私よりも年上のはずだが、彼女はそうと感じさせないような雰囲気があって、「ありがとうございます」と敬語で返してくるあたりは好感も持てた。
謝罪は受け入れたし、彼女は犬の散歩途中なので、これ以上ここに留まる必要もないと思われたが、すぐに、はいさようなら…というのもマナーに欠ける。
男子三人も特に会話をエスコートする気配もないので、私は当たり障りなく神村さんの連れてる犬を話題にあげた。
「綺麗な犬ですね。柴犬ですか?」
「え…あ、そうです。柴です」
「おいくつですか?」
「え?…ああ、この子ですか?今6歳です」
「じゃあもう立派な大人ですね。いつもこの公園で散歩をされてるのですか?」
「大体は。雪が凄く積もった日はショートコースなのでここを通らない事もあるんですけど」
それとなく何となく、あの破れた手紙にあった内容を思い出しながら神村さんとの会話を膨らませていった。
勿論、あそこに書かれていた公園がこの公園とは限らないし、声をかけてきた他校生の女子が神村さんだなんて、そんな出来過ぎた現実があるはずない。ついでに言えば、手紙に登場した犬がこの柴犬だなんて露ほども思っていない。
だが犬繋がりで何か情報が飛び出てこないだろうか、そんな下心の上での、ただの世間話に過ぎなかった。
するとその世間話に円城寺君が加わってきた。
「雪が積もっても散歩するの?うちの犬は雪なんか降ったら部屋から一歩も出ないよ」
「犬を飼ってるんですか?」
「実家でね。小型犬だから寒さには弱いんだよね」
犬談議に乗ってきたのは栗栖君だ。
彼はいつもの調子で茶々を入れる。
「円城寺のとこの小型犬って、何か円城寺に似て我儘っぽそうだよな」
「何だよ。喧嘩したいわけ?」
「でもよく吠えるんじゃないか?お前もしょっちゅうキャンキャン言ってるじゃないか」
「うるさいなあ!犬は吠えるのが仕事みたいなものだろ?」
「ほら、吠えた」
私はこの二人のやり取りにも慣れてきたが、神村さんは目をぱちくりさせていた。
だがクスクスと笑い出した。
「もう!栗栖のせいで笑われちゃったじゃないか」
「お前が笑われるような事するからだろ。でも、この犬、ちっとも吠えませんね。躾ができてるんですね」
円城寺君に注がれていた栗栖君のセリフが唐突に神村さん目がけて曲がり、彼女はひとつ大きく瞬きをした。
「ありがとう、ございます……」
リードで繋がった犬に笑いかける神村さんは、あの日の陰口が嘘のように、非常に感じのいい女の子に見えた。
私はその良い雰囲気に乗じて、彼女があの手紙の登場人物か否かを確かめておこうと思った。
そんな偶然が成立する確率はほとんど無いとは思うが、念の為だ。
「本当におとなしいですね。きっと、お散歩中に人に吠えかかったりなんてしないのでしょうね」
神村さんにではなく犬に話しかけるように目線を下げた私に、彼女はどこか嬉し気に「そうですね」と頷いたのだ。
つまり、あの手紙にあった犬はこの犬ではなかったわけだ。
そんなに都合よくいくわけないと諦め前提ではいたが、”事実は小説より奇なり” に期待したのも嘘ではない。
内心で苦笑していると、神村さんの態度に少々違和感を覚えた。
私に対しては普通の、むしろ犬を褒められた事でより柔和な物腰なのに、会話には入らず見守るように黙している京極さんには、妙に距離をとっているのだ。
目も合わさないし、私の気のせいではないだろう。
だがそれがネガティブな理由ならば、私に謝罪するという要件を終えた今、さっさと立ち去ればいいわけで、それをしないという事は、彼女は京極さんを気にしているものの、マイナスな感情を持っているわけではない。
という事は、もしやこの神村さんは京極さんに好意でも抱いているのだろうか?
見ようによっては、頬が紅色しているかもしれない。
だが憧れの吹月の男子生徒に囲まれていれば、紅潮するのも自然だろう。
ただ、神村さんは京極さんを……そう考えると、理解できる面もあった。
だからあの日、吹月の制服を着ている私に嫉妬したのだ。
だがその推察は、ほんの数十秒後にあっけなく破綻を迎えたのだった。
「あの……、つかぬ事をお尋ねしますが、有栖川 唯人さんは、お元気ですか?」
神村さんは若干恥ずかしそうに、言いにくそうに、やはり京極さんだけには顔を直視しないままに尋ねたのである。




