31 霧の朝
翌朝、朝食の為に部屋を出ると、ちょうど同じタイミングで出てきた栗栖君と鉢合わせた。
「おはよう、館林」
「栗栖君、おはよう」
「これから朝食か?」
「ええ、そうよ」
私が制服なのはいつも通りだが、栗栖君も制服姿だった。
だがシャツの上からカーディガンを羽織っている。
8月とはいえここは朝夕は涼しいのだが、今朝はそれを通り越して肌寒い。
昨日まで薄着だった彼も、さすがにこの気温で季節を進めたのだろう。
「なんだか館林の地元みたいだな」
「え?」
「ほら、見てみろよ」
言いながら栗栖君が指さしたのは廊下の窓で、そこには霧が広がった景色があった。
「ああ、”霧の都” ?残念ながら、私はその光景を目の当たりにした経験はないのだけれど」
「ロンドンに実家があるのにか?あ、もしかしてずっと留学してたとか?」
「半分正解で半分は違うわ。確かに留学期間は長いけれど、私がロンドンにいる時に霧が発生した事がないのよ」
”霧の都” というのは昔のスモッグとも関係しているそうだが、それを栗栖君が知っているか否かは定かではない。
もしかしたら、私の経歴に探りを入れる為に、知らない風を装っているだけかもしれない。
彼に対しては警戒を解くべきでないと、勘でそう思っていた。
だが次に彼から帰ってきたセリフは、私の勘では予見もできないものだった。
「へえ、そうなのか。だったらさ、霧の中の散歩って興味ないか?」
「……散歩?」
「ああ。風車公園の近くに美味いパン屋があってさ。これからパッと自転車で買いに行くつもりなんだけど、館林も一緒にどうだ?円城寺でも誘ってさ」
「パン屋さん?」
それは興味深いお誘いだ。
例の風車公園の近辺を堂々と探索できるのだから。
破れた手紙に書かれてた ”あの公園” が風車公園と決まったわけではないが、何か手がかりがあるかもしれない。
これが栗栖君と二人というなら警戒色も濃くなるだろう。
だが円城寺君も一緒というなら話は別だ。
円城寺君の都合も聞いていないのに、私は既に円城寺君の参加を仮定して返事を考えていた。
だが、まるで私達の会話を聞いていたようなタイミングで
「ちょっと!円城寺でもって言い方なんだよ!」
唇を可愛らしく尖らせた本人が部屋から飛び出てきたのだった。
円城寺君はラフな格好だが触り心地よさそうなニットを着ていて、気温対策はばっちりだ。
「何だ円城寺、盗み聞きか?行儀悪いな」
「ち、違うよ!二人が人の部屋の前で大声でしゃべってるからだろ!」
「まあまあ。で、お前も一緒に行くか?」
「マイマイは?マイマイも行くの?」
円城寺君の視線には、もの言いたげな含みがあった。
昨日、地下倉庫の古新聞を調べてもらっておきながら、あの後なかなか二人になる機会がなかったので、その結果はまだ聞いていないのだ。
だがこの場には栗栖君もいるわけで、円城寺君の中ではどうしたものかという迷いがあるのかもしれない。
そしてそれ以上に
「……マイマイ?」
栗栖君から訝し気に問われ、私は苦笑を禁じ得ない。
「円城寺、館林をマイマイって呼んでるのか?随分親しくなったんだな」
「まあね。文句ある?」
「文句はないが……あんなに館林をライバル視してた奴が、いったいどうしたんだ?」
「栗栖には関係ないだろ。ね?マイマイ?」
正直、私に振らないでほしいのだが。
名指しでボールを投げられた以上、返さぬわけにもいかず。
「円城寺君とは色々話をする機会があったから…。ところでそんなに美味しいパン屋さんなら、もし円城寺君も一緒に行けたら楽しそうだと思うけれど、どうかしら?」
全てをぼんやりとさせるように答えると、円城寺君はすぐさま「行くよ!マイマイが一緒なら」そう言って、続け様に「制服に着替えてくるから待ってて!」と、矢のような速度で自室に戻ったのだった。
そして
「じゃあリビングで待ってるからな」
栗栖君が閉まった扉に告げた時、今度は階段側から声がかかった。
「やあ、おはよう、ミス・フルーガル。それに栗栖も」
ミス・フルーガル、私をそう呼ぶのは一人だけだ。
「おはようございます、京極さん」
「おはよう。二人とも揃って制服だなんて、朝っぱらからどこかに行くのかい?」
「そういう寮長だって制服じゃないですか」
「俺は学校で仕事してたからね」
「こんなに早くから大変ですね」
私が労えば、京極さんからは穏やかな笑顔が跳ね返ってくる。
「ありがとう。ミス・フルーガルにそう言ってもらえると早起きした甲斐あったよ。それで?それこそこんなに早くから、みんなでどこに行くんだい?」
私が言った言葉をそのまま引用した京極さん。
特に隠す事でもないので私はそのままを伝えた。
「栗栖君から美味しいパン屋さんに誘われたんです。それで円城寺君にも声をかけて、今彼の着替えを待ってるところです」
「もしかしてあの公園の近所の?」
京極さんは栗栖君に顔を向ける。
「そうですよ。寮長もあそこのデニッシュ好きでしたよね」
買ってきましょうか?
そう尋ねた栗栖君に、京極さんは「せっかくだから俺も一緒していいかな?」と気品あるおねだりをしてきたのだった。
そして当然それを断るはずもなく、私は、栗栖君と円城寺君、そして京極さんという、まるで初日の再演のようなメンバーでサイクリングに出ることになったのである。




