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3山と風車と青空と 





車は、滑らかに山道を進んでいった。


車内はエアコンが効いていたが、窓を全開にして空気をお腹の底にまで溜めたいほどに、風景がキラキラと輝いて、美しい。

山の緑と晴れた空の青色が鮮やかで清々しくて。

賑やかに店舗が並んでいた駅の周辺を離れると、別荘地、そして森が広がっていき、車窓を流れる木々の背も徐々に高く高くなっていった。



「それにしても、よく決心していただけましたね」


窓の外に夢中になっていた私は、久我先生の呟きのような感嘆を聞いて運転席に顔をまわした。


「勿論、最初におじさまから伺った時はとんでもないと思いましたけれど、事情が事情ですし、私の父も協力できるのなら考えてみなさいと申しておりましたので…」


返事しながら、私は、あの日おじさまが帰られた直後の父とのやり取りを思い返していた。





『久我にはお前も幼少時に世話になっただろう?恩返しだとでも思って、依頼を受けてやったらどうだ』

『ですがお父様、おじさまの学校は全寮制の男子校ですよ?』

『制度上問題がないのなら、あとはお前の能力の問題ではないのか?お前も普段から言ってるじゃないか。性別や貧富の差をなくしたいと』

『それとこれとは別の話です。男子校という特別な教育の場に私のようなよそ者が入り込んでは波風が立ってしまいます。彼らにも迷惑なことでしょう』

『だったら男装したらいい。久我に言えば男子として編入することも可能だろう。お前が日本語の勉強にと観ていたテレビドラマでそういう話もあったじゃないか』

『………お父様、あれはフィクションです』

『ともかく、そのあたりはうまく立ち回ってみせたらどうだ。お前は館林家の跡継ぎだ。将来は館林の当主として、男も女も関係なくやり合っていかなくちゃならんのだよ。今のこの時代でさえ、女の跡継ぎに否定的な者もある。そんなお前を侮ってる連中に対して、お前の力量を知らしめるいい機会だとは思わないのか?』

『それは…』

『それに、家の事を含めてお前の事情を知ってるのは学院長の久我くらいだ。多少は館林の名前を認識してる生徒もいるだろうが、ここやスイスよりは自由に伸び伸びと学生生活を送れるぞ?』

『女の私が、日本の男子校で伸び伸びできるとお思いですか?』

『それはお前次第だ。寮生活は留学先でも経験済みだろう?久我の学校の寮は完全個室でバス・トイレも完備だそうじゃないか。それならばもう寮とは名ばかりで、アパートやフラットのようなものだと思うがね。それに周りのほとんどはお前と同じ日本人で、同年代ばかりだ。性別の違いはあれど、もしかしたら一生の友と呼べる相手との出会いがあるかもしれんぞ?』

『一生の、友……』

『日本はお前の生まれた国だ。行ってみる価値はじゅうぶんにあるはずだろう?』




経営者、ビジネスマンとして、また上流階級に身を置く者として、”理由なき言動は身を亡ぼす” が信条である父が、いくら旧友の頼みとはいえ、こんなとんでもない依頼を容易く受け入れるものだろうか……そんな疑念も覚えたが、

父の最後のその一言は、確かに魅力的にも聞こえてしまって――――――






「そうですか、館林のご当主まで巻き込んでしまったわけですね…」


久我先生は恐縮しきりで、ぐったりと疲労感を増したように言った。

だが、一人娘である私の進路選択に父がかかわってくるのは親として当たり前と言えば当たり前なのだから、そこは気にする必要はあるまい。


「未成年の子供に関することですから、仕方ありませんよ」

「ですがスイスの寄宿学校に進まれる予定だったのでしょう?それをうちの父のせいで変更させてしまい、誠に申し訳ありません」

「いいえ、最終的に決めたのは私自身ですから。それより、私は具体的に何を?」


私は運転席に視線を固定したまま尋ねた。

久我先生越しの風景では山の木々が生い茂っている。

この土地での暮らしは、森林浴には困らないだろう。



「そうですね……取り立てて何かをしていただくという事はないのですが、女子生徒目線での感想や意見をいただければ、それでじゅうぶんです」

「将来的な共学化に向けての社会実験のようなもの、でしたよね?女子受け入れに関する届け出は既に済ませておられると伺っていますが」

「ええ。ですから、舞依さんには普通に高校生生活を送っていただき、日常で気になった点、不自由だと感じた点を教えていただきたいと思っております。もちろん、今はまだ男子しかおりませんので、同じ寮に入っていただくことになってしまうのですが……正式に決定次第、女性用施設等の改築増築は今後進めていくと聞いております」

「わかりました。でも……本当に共学に変更されるんでしょうか?」



先月、おじさまからその計画(・・)を聞かされた際は、とても驚いた。

なぜなら、彼が学院長を務める吹月学院といえば、日本中、いや世界中から優秀な男子生徒が集まる名門中の名門校だったからだ。

そう評されるのは、在校生が非常に優秀だというばかりではなく、彼らの実家が、揃いも揃って名家ばかりだという事が主たる理由だった。

財閥系、元華族、資産家、大地主、政治家、欧州貴族の血筋など富裕層の家庭の、いわゆる御曹司と呼んで差し支えない子息が数多く机を並べているのである。


もちろん、中には親が一代で財を成したという家柄の生徒もいるし、ごく一般的な家庭出身もいるそうだ。

だが学費はそれなりの額であるし、全寮制となるとその費用もかなり必要になってくることから、一般家庭と言っても一定以上の経済力は維持しているだろうと推察ができる。

ただ唯一の例外として、学業やスポーツ、文化面において優秀で将来有望と認定され、特待生として学費免除になる生徒は存在しているらしい。

そしてそういったメンバーには、学院での縦横の繋がりで将来的に複数のスポンサーがつくことが多々あるという。

何事も、人間関係、交遊関係が強みになるということだ。

結局物事は、人対人なのだから。

コネだ不公平だといった批判もあるかもしれないが、そういう批判発信元の彼らだって一人きりで生きているわけではないのだから、何かしらの人間関係によって得をする場面もあるはずで、それ自体を咎めるのは非常に不合理である。



とにかく、そんな名門中の名門である由緒正しき男子校が、簡単に共学化なんて許すだろうか?

少子化の影響で共学に変更する学校もあると聞くが、吹月学院においてはそんな心配は無用のはずだ。

毎年の入学選抜試験は相当な倍率だと聞いているのだから。

では、なぜ、今女子生徒を受け入れようなどと理事会は考えたのだろう?



「共学化はかなりハードルが高いでしょうね。ですから、この件は理事会に出席していたメンバーと一部の職員にしか知らされていないようです。それ以外は、生徒も含めて、舞依さんの事はただの交換留学生と説明させていただくつもりです。もちろん交換留学生であることには違いないのですが、学院長自らの依頼で共学に向けてのテストだということは極秘です」



おじさまの話では、ご自分も出席された理事会にて、共学化の話題があがったらしい。

だが賛否が大きく割れてしまい、それぞれが譲らずに会議は停滞。

そしてこのままではしこり(・・・)になってしまうのではと案じたおじさまが、実験的に女子生徒を迎えてみてはどうかと提案したそうだ。

日本の制度については私は全く知識はないが、どうやらシステム的にも難しいわけではないらしい。

ただ正式に女子生徒受け入れをしてしまうと後戻りできないので、あくまでも実験的に、ということで。

ひとまず交換留学生という立場で受け入れて、もし女子が入ってきた場合のメリット、デメリットを洗い出してみるべきだという着地点を理事会は見つけたのだ。


そしてタイミングいいことに、ちょうど三年生で一人留学予定の生徒がいた。

さらにタイミングを計ったと言わんばかりに、学院長兼理事長であるおじさまの旧友の娘、つまり私がちょうどいい年齢ときたものだから、すぐさまスカウトに動かれたのだという。

だがこれは私も納得するところだった。

さすがに縁もゆかりもない一般家庭の女子に、そんな実験的な役目を依頼するわけにもいかないだろうから。


ただし、先ほど久我先生からもあった通り、私がそんな任務を帯びてる事情は秘密だ。

理事会の中には共学反対派も多数いるのだから。

共学が既成事実のように流布されるべきではないし、もしかしたら私が編入した結果、やはり女子の受け入れは慎重にすべきという意見に寝返る人物がいるかもしれない。

だがおじさまからは、私は共学云々のプレッシャーを感じる必要はないという言葉をいただいていた。

それよりも、クラスメイトや同じ寮の仲間と共に時間を過ごし、その中で気付いた事を教えてくれたらいい。館林の名前に身構えない生徒達もいるだろうから、彼らと気ままに高校生活を謳歌してほしい……そんな風に言われて、私は、おじさまの優しさを再認識したのだった。




「……私と入れ違いで留学される生徒さんは、確か三年の方でしたでしょうか?」


それとなく情報を得ようとした私に、久我先生は躊躇いなく頷いた。


「ええ。なかなか優秀な生徒でし……おっと」


久我先生はステアリングを握る手の位置を変えながら話していたのだが、ある個所に触れたところで、わずかに慌てた声をあげた。


「どうかされましたか?」


運転席では、久我先生が運転しつつも指先を擦り合わせていた。


「さっきコーヒーをこぼしてしまったんですが、それがまだ残っていたようです」

「それは大変ですね。もしよろしければ、こちらをお使いください」


私はハンドバッグの内ポケットからお手拭きを取り出し、袋を開けた。


「これは…?」

「こちらに来る途中にいただいたお手拭きです」

「いや、それは分かりますが……」

「何か?」

「ああ、いえ、館林のお嬢様でもそういったものを持ち帰られるのかと、少々驚いたもので……」


久我先生は戸惑いながら私からお手拭きを受け取り、片手で器用にステアリングを撫でていった。

私はこういった反応にはもう慣れているので、


「ですが捨ててしまうのは勿体ないですから」


と、特に意に介さない温度で返した。


私の実家、館林家はそれなりの家柄だ。

その館林家の一人娘である私が、無料で配布されたであろう使い捨て手拭きをわざわざ持ち帰り、こうしてバッグに忍ばせるなど、普段名家の子息ばかりと接している久我先生にはよほど意外だったのだろうから。


そしてそれは、私の家を知る人物ならばほとんどが同じ反応だったのだ。

そのうちの一人が、実家の庭師である。

声高に“みっともない”と揶揄する人間はいなかったが、彼らは揃って珍しいものを見るような目をしていた。

確かに私の両親は裕福ではあるが、それは私が成したものではない。

ただ館林家の娘であるというだけで経済的にも物質的にも困窮したことがないというのは、私が幸運だったに過ぎないのだ。

ゆえに、日常において、必要以上の贅沢は控えるよう心がけているし、ほんのささやかなことでも、無駄を省けるものは積極的に取り入れた。

勿体ないからだ。

だが、庭師の発言にもあったように、それを他人が見たときに館林の名にそぐわないように感じられてしまうのは、大いにあり得ることで。

それはある意味正しい。けれど別の意味では、受け取り方の問題だろう。

少なくとも私はそう考えていた。


だから、今の久我先生の戸惑いも理解はするが、いちいち過剰反応はしない。

私は私、なのだから。




「うちの学院の生徒にもまったくいないわけではないのですが、彼らはみな堅実でしっかりしてますよ。ですからきっと、舞依さんもそうなんでしょうね」


館林家のお嬢様には似合わない、と言われることはあっても、しっかりしている(・・・・・・・・)と評される機会は少なかった。

どうやらこの久我先生は、自分と価値観が違う相手でも、否定よりは肯定から入ってくれる人のようだ。

もちろん、立場上、そう言わざるをえないのかもしれないが。

それでも、私が短い時間で好印象を抱くにはじゅうぶんだった。



「そう言っていただいて、とても嬉しいです。ありがとうございます」


素直に礼を伝えると、久我先生はふわりと微笑んだのだった。





もうしばらくして、車窓は、にわかに風景を変えた。

山や森といった緑の景色が、一気に開けたのである。

そしてそこに現れたのは、巨大な風力発電用の風車だった。


夏の青い空にまっすぐにそびえる、真っ白くて高い高いタワーの先には三枚羽のプロペラ。

これまでに風力発電機を目にしたことは何度もあったけれど、ここまで風景として美しいと感じたのははじめただった。

山と風車と青空のコントラストが見事にマッチしていて、目に眩しいという表現がまさにぴったりだったのだから。


風車はちょっとした公園の中に組み込まれていて、窓を閉めていてもブォン、ブォン、と独特の音が聞こえてくる。

さすがに久我先生には見慣れた景色なのだろうが、わたしの「大きいのですね」の呟きには同意を返してくれた。



「未だに何度見ても一瞬はビクッとしてしまいますよ」

「ここは公園になっているのですか?」

「ええ。地元や別荘にお住まいの方の散歩コースになってるようですよ。風車から右に折れてあの道を進んでいくと、突き当りにうちの中等部と寮があります。この公園は高等部からは少し離れているのであまり利用する生徒はいませんが、ときどき寮の自転車でサイクリングがてら訪れる生徒はいるようです」

「そうなのですか。これだけ緑に囲まれているとサイクリングも気持ちよさそうですね」

「気温がもう少し下がってきたら最高ですね。ですが、ご希望でしたら寮長にでも案内させますので、決してお一人では出かけないでくださいね。特に暗くなってからはこの辺りには人気がなくなりますから、絶対にだめですよ」


教師らしい注意には「わかりました」と答えながらも、わたしは、後方に去っていく風車を見送っていたのだった。










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