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2はじめての土地で 





あの真夏の青天の霹靂から数週間後、私は、とある駅に降り立っていた。

傍らには、ジェラルミンのスーツケースとお気に入りのボストンバッグ。

どちらも私の留学時代を支えてくれた相棒だ。


8月の日本はまだまだ夏真っ盛りだと思うが、ここには体にまとわりつくような不快な暑さは存在しなかった。

日本の多湿を覚悟していた私は少々拍子抜けしてしまうほどだ。

東京から電車でそれなりの時間をかけるとこんなにも気候が違うのかと、ホームに足を降ろした直後に驚いた。


これまで馴染みのなかったこの土地は、日本以外の異国を訪れたかのような不思議な感覚がした。

見上げると、山が近い。というより、もう山の中にいるのだろう。

とにかく視界には緑が限りなく広がり、肌を撫でる風はほのかに涼やかだ。

胸の奥にまで空気を吸い込むと、”美味しい” という表現がぴったりだと思った。



私が降り立ったのは路線の終点である駅で、こじんまりとしていてもそこそこの規模のものだ。

エスカレーターやエレベーターだって設置されている。

いや、日本ではそれが当たり前なのだろうか?

東京や大阪といった大都市ならともかく、こんな乗降客の少なそうな田舎の駅までもがユニバーサルデザインである事に優しい気持ちになれた。

この土地をはじめて訪れた私も歓迎されてるようで、それにホッとしつつ、相棒達を両手で運ぶ。

改札をくぐるとさらに山が目前となった気がして、そのパノラマには感動しか起こらなかった。

私が9月から暮らす予定だったスイスの山風景も圧巻だが、ここは、それとはまた違った魅力があったのだ。



「日本にもこんなところがあったのね……」


日本人に生まれながら、日本のことをよく知らないでいる自分に勉強不足を感じながらも、私は素直に大自然からの感銘を受けていた。


すると、風景に見とれていた私に声をかける男性がいた。



「失礼ですが、(たて)(ばやし) 舞依(まい)さんでいらっしゃいますか?」



ポロシャツにトラウザーパンツ姿のその男性は、愛想よさそうに私に笑いかけてくる。

年齢は二十代半ばから後半ほどだろうか。

まっすぐな口調に迷いはなく、だから私は、この男性がおじさまから伺っていた迎えの人物だと認識した。


「はい、そうです。吹月(ふづき)学院の方ですか?」


吹月学院、私がこれから向かう場所だ。

体ごと正面に向いて受け答えをした私に、男性はさらに微笑みを深めた。


「はい。吹月学院から参りました。高等部で教師をしています、久我(くが) 孝則(たかのり)と申します」


「吹月学院の先生でいらっしゃいましたか。はじめまして。館林 舞依と申します。これからお世話になります。どうぞよろしくお願いいたします」


私は背筋をぴんと伸ばし、深くお辞儀をした。


「お迎えにあがるのが遅れてしまい申し訳ありません」


「ご心配いただくには及びません。それに、本日より学院でお世話になる私相手にそのような丁寧な応対をしたいただく必要はないかと存じます。どうぞ一生徒として接していただければ」


「いえ、このたびは私の父の無理なお願いで、わざわざおいでくださったと聞いております。まさか全寮制男子校によそさまのお嬢様をお誘いするだなんて、本来ならば息子である私が全力で止めるべきなのでしょうけれど、そうせざるを得ない事情がございますので、舞依さんには感謝しかございません。学院内では教師と生徒という立場もありますが、今はまだ夏期休暇期間ですから、どうぞお気になさらずに」


「まあ、では久我先生は、久我のおじさまの?」


「はい。私は理事長兼学院長である久我 繁則(しげのり)の長男です。ずいぶん前、舞依さんが6歳ほどの時に一度だけお会いしたことがあるんですよ」


「覚えてます。確か、コモ湖のホテルではじめてご挨拶しましたよね?」


「そうです。よく覚えておいでですね。まだお小さかったのに」


「実は、そのあとにご馳走していただいたジェラートがあまりにも美味しくて、それで覚えているのかもしれません。”コモ湖のジェラートのお兄さま” として」


両肩を少々持ち上げてニッコリ返すと、久我さん…久我先生は、「ああ、なるほど」とおおいに納得されたようだった。

その表情は、言われてみれば確かにおじさまと似ていた。



実際は、ジェラート以外にも彼に関して記憶している事はいくつもあった。

当時は15歳だったはずだ。父親達の夏のバカンスについて来た者どうし、一日を自由に楽しく過ごしたわけだが、今の彼はその時の面影をあまり残していないように見えた。

どこか繊細そうな印象で、幼い私にさえおっかなびっくり気を遣って接するような少年だったはずが、今目の前にいる男性教諭は実に頼もしそうな雰囲気がある好青年だったのだから。


きっと、いい先生なんだろうな。

漠然とそう思った。



「それでは、せめて学院に着くまでは、”コモ湖のジェラートの兄” としてお相手いただけますか?」

「こちらこそ、よろしくお願いいたします」


久我先生はスムーズな仕草で私から荷物をすべて奪うと、駅のロータリーに停車させていたシルバーのSUV車にエスコートしてくださった。



こうして、山の奥へと向かうドライブがはじまったのだった。









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