17 ラウンジの幽霊
不揃いだった髪をそこそこに揃え、どうにかひとつに結べるようにアレンジできたおかげか、夕食時も私の髪の長さの変化に気付く生徒はいなかった。
それよりも、”フルーガル” という呼び名がすでに広がっているようで、数名からはそんな風に呼ばれたりした事には驚いた。
寮長の影響力は相当なものらしい。
そう思いつつ夕食は円城寺君と一緒に席に着いたが、お世辞ではなく、食事は本当にどれも美味しかった。
そして夜、私はようやく英国の両親に電話で無事の到着を報告する事にしたのだった。
深夜1時、部屋のデスクの上にある電話から国際電話をかけた。
両親のいる英国とは時差があるが、忙しい父を捕まえる為にはこの時刻が最適と判断したのだ。
5コールもしないうちに、通話がつながった。
《―――舞依か?》
「ご連絡が遅れまして、失礼いたしました」
《構わないさ。久しぶりの日本はどうだ?》
「まっすぐこちらに参りましたので、あまり日本を感じてはいません。ここは日本のようで日本ではないような、不思議な印象です」
《吹月は瀟洒な建物が多かったように記憶してるが、確か近くに風力発電施設ができたはずだ、伝統的建築と現代の象徴的な建造物が近くに共存してるのは不思議な感覚があってもしょうがあるまい。学院内の雰囲気はどうだ?初の女子生徒なんだ、相当に目立つだろう?》
「そうですね。突然現れた私に複雑な思いの生徒さんも多いようですよ」
《ならばお前の腕の見せ所だな》
「ただ、寮長が優秀な方でして。私が馴染みやすいようにとニックネームを付けてくださったので、もしかしたらこのまま私の腕は見せ所がないかもしれません」
《その人物の名は?》
「京極 瞬也さんです」
《ああ、京極家の。歳のわりに切れ者だと聞くな。それで、何と付けられたんだ?》
「…ミス・フルーガルと」
父の反応が気になった私は一瞬躊躇ったが、遠く英国からはフッと笑い息が届けられた。
《フルーガルとは、お前にぴったりじゃないか》
「私もそう思います」
《ということは、僅か一日、二日の間にいつものお前の癖が出たんだな》
「ただ髪を自分で切っただけです」
《なるほど。彼らにはそれが珍しかったというわけか》
「館林という名前に構えてしまう生徒さんもいらっしゃるようでしたので」
《そうか。ならばミス・フルーガルという呼び名が浸透すると良いな。途中でフル・ガルにならなければ良いが》
「full gal ですか?」
《いいや。カモメの方のgullだ》
「gull…」
日本語でカモメを意味する単語だが、人を騙す、騙されやすい、愚か…そういった意味合いもある、ポジティブではないものだ。
おそらく父が言いたいのは、私が久我のおじさまから受けた共学化云々の依頼をうっかり漏らしたり勘付かれたりしないようにしろということだろう。
そう理解した私は、「肝に銘じておきます」と父の助言を受け入れたのだった。
父との会話が終わると母にも変わってもらい、健康には気を付けてと心配そうな母との話も数分で終え、通話を切った私は喉の渇きを覚えた。
さっきまで紅茶を飲んでたマグカップは空になっていて、新しく入れ直すか下の自動販売機まで買いに行くか悩んだ末、私はこっそりと部屋を出たのだった。
消灯後の廊下は常夜灯の朧げな明るさだけが頼りだ。
二日目にして早速こんな深夜の寮内を出歩くなんて、なんだかいけない事をしてるような気にもなるのは、やはりおじさまからの例の依頼のせいだろうか。
私はここの生徒達に言えない役目を負っている事に、多少の罪悪感を覚え始めていた。
だが一旦は引き受けた依頼だと、今一度心を引き締めながら自動販売機で選んだ飲み物片手にリビングに続く段差を降りようとした、その時だった。
何か、本当に些細な何かの音が、私の鼓膜を揺らしてきたのである。
私は反射的に音が聞こえた方を見上げた。
それは確かに上の階から落ちてきた音だったのだ。
二階もしくは三階、どちらかは判別つかないが、方向から考えてフラットAではなく管理棟からのようである。
そう思った次に頭に浮かんだのは、昼間に栗栖君から聞いた噂だった。
ラウンジの幽霊――――
ここで華奢な心の少女ならば悲鳴の一つでもあげるのかもしれない。
だが生憎私はついさっき父との電話で心を整えたばかりで、悲鳴どころか躊躇いの欠片さえ零すことなく、選択肢は唯一だった。
だって、もしかしたら噂の正体がそこにあるかもしれない。
そう思ったと同時に、私は管理棟の階段を静かに静かに上っていた。
幽霊の存在を否定するわけではない。
だが聞こえてきた話では、ラウンジの噂は5月の大型連休明け頃からのものらしい。
この類の噂話のうち、昔からある伝統的なものでない場合、つまり新作の場合は、きっとそこに何らかの理由や意図が潜んでいるはずだ。
調べてみると、ギミックが解明される確率は高いだろう。
即ち、ラウンジの幽霊は人間である可能性が濃厚ということだ。
二階まで上がりきったところで、またもや何かの気配を察知した。
人か物か、とにかく何かが動く気配だ。
私は息を詰めて、慎重に二階の廊下を進んだ。
奥には視聴覚室、手前はラウンジ。
どちらから漂ってきた気配なのかはわからないが、あの噂がある以上、やはり私がまず探るのはラウンジだった。
そっとそっと、暗い廊下の壁伝いに扉を目指す。
いつも少し開いてるというラウンジの扉位置は、常夜灯の明かりの境界線には少しだけ足りなかった。
だが却ってその方が中を覗いても影ができにくいだろうと、私は迷うことなく隙間に顔を近付けた。
中はほぼ真っ暗で、所々は外灯の光が届いたり届かなかったり。
深夜の静けさに包まれて、ロングケースクロックの規則正しい音が流れていた。
そして、その横の窓の端に、それは立っていたのである。
暗い部屋の中で浮き出てくるように見えた、人影。
その輪郭が明確でないのは、外灯と室内の暗さが織りなした自然現象だろう。
扉の隙間からという限定的な目撃ではあるが、これは間違いなく、幽霊の類ではない。
つまり、人間――――
私はその人物の顔を確かめようとしたが、ややあってその人物がうごめくのを感じ、慌てて扉から離れた。
呼吸を止めて、1、2、3、4…とやり過ごす。
向こうにそれ以上の動きがない事を待ってから、そっと、そっと後退していく。
ひとまず今夜は引き下がったほうがいいだろう。
まだ私は吹月学院の新参者中の新参者なのだから。
幽霊の正体を知るのは、学院にもう少し馴染んでからでも遅くはないはずで。
そう判断したのは、吹月に来て二日目の夜のことだった。




