16 ミス・フルーガル
フラットAに戻った私は、まっすぐ管理人室を訪ねた。
栗栖君と円城寺君も一緒だ。
二人はタクシーを降りてからずっと私の両隣をきっちりキープしていて、他の生徒達から好奇の目を向けられぬよう、私を護衛してくれていた。
出迎えてくれた葛城さんは私の不揃いな髪先を見る否や心配顔になったけれど、トラブルでないと分かるとすぐに倉庫に案内してくれた。
ご自分でカットされるのですか?と、驚いたような感心したような反応を見せながらも、葛城さんはそれを非とはしなかった。
倉庫は管理棟の地下にあり、葛城さんが鍵を持っているが基本的には常時施錠はされていないということだった。
数日分の古新聞を貰い受けたあと、私は栗栖君、円城寺君に挟まれて自室に向かった。
ただでさえ注目を浴びがちな自分が余計に目立たぬよう、心ばかりの早足で。
私の部屋は2階奥の10号室。栗栖君はその手前の9号室で円城寺君はその隣の8号室なので、部屋に戻るとなると、自然と3人一緒になってしまう。
そして2階まで階段をのぼり曲がったところで、7号室、京極さんの部屋の扉が開いたのだった。
「やあ、お帰り。買い物は……館林さん?」
部屋の主がにこやかに挨拶をしてきたかと思えば、すぐさま顔色が止まってしまった。
「……何があった?」
静かに問う京極さん。
当事者の私よりも早く答えたのは栗栖君だった。
「地元の女子高校生とちょっとありまして。でも、館林の髪を切ったのは館林自身ですよ。な?」
同意を求められた私も即座に頷いた。
「ええ、間違いありません。お見苦しいものをお見せしてしまい、申し訳ございません」
苦笑いしてみせた私の隣では円城寺君が「僕はヘアサロンを勧めたんですよ?」と、少しばかり眉をひそめる。
ここには私達四人しかいないので、護衛役の二人も幾分気楽になった様子である。
「二人はそう言ってくれたのですが、私が自分で切るから大丈夫だと答えたんです」
「自分で?館林さんがセルフカットするの?」
「ええ。私にとっては至って普通の事なのですが、やはり京極さんも驚かれるのですね」
確かに私の周りにも、前髪を数ミリ揃えてもらうだけで何百ドルもかけてヘアメイクを呼びつける人物はいる。
だが、自分でヘアカラーしたりアレンジしたりする友人だって大勢いるのだ。
それなのにここまで皆揃って驚かれるのは、やはり私の家庭環境によるものだろう。
「そりゃ驚くよ!だって館林家のお嬢様だよ?そこら辺の社長令嬢なんかとはレベルが違うんだよ?」
訝る私に対し高らかに力説したのは京極さんではなく円城寺君だった。
「父や母は立派な人だけど、私はただの15歳女子なのに?」
「一般家庭とは程遠いじゃないか!」
「それは違うわ。私の実家は一般家庭よ。爵位はないもの」
「それは…」
私の反論に円城寺君が言葉に詰まると、京極さんと栗栖君が二人で面白いものを眺めるようにクスクス笑いだした。
「円城寺は館林が心配なんだよな?館林のお嬢様がおかしな髪型になって悪目立ちしないか」
「ち、違うよ!僕のライバルになるはずの館林が変てこりんな髪になったりしたら、張り合いなくなるから、だから…」
「ヘンテコリン?」
はじめて聞く言葉に、私はつい訊き返してしまった。
「お、留学生っぽい反応。変てこりんは変てこ、つまり何か奇妙って意味だよ。”りん” に特に意味はない。辞書にも載ってる言葉だけど、円城寺は単に音の響きが可愛らしいから使ってるだけなんじゃないか?」
「うるさいな、もう!」
私が口を挟もうと彼らの軽口合戦には影響がないようだ。
唇を尖らせる円城寺君に、私は「心配してくれてありがとう」と告げた。
「だけど慣れているから大丈夫よ?勿論プロにお願いした方が綺麗に仕上がるだろうけれど、結んでしまえば多少の不揃いは分からないし、パーティーやセレモニーがあるわけでもないのにプロに高いお金を出してお願いするなんて、勿体ないもの」
「勿体ないって……」
円城寺君からは半ば呆れたような呟きが返ってきた。
だが私達より大人の京極さんは落ち着いた話し方で
「勿体ないという館林さんの考えは素晴らしいと思うよ。だが円城寺の言ったように ”館林” という名前を考えると、決して勿体なくはないのかもしれない。ここには、その ”館林” という名前がどうしても気になるという生徒もいるだろうからね。……それじゃ、どうだろう?館林さんを苗字以外の別の呼び方で呼ぶようにしたら、また印象も変わるんじゃないかな?」
自分の腕時計を触りながら、そんな提案をしてきたのだ。
これに真っ先に飛びついたのが円城寺君だった。
「ニックネームって事ですか?いいんじゃないかな」
「まあ、その方が早くに馴染めそうだしな」
栗栖君も同調する。
「館林さんはどうかな?ニックネームを付けても構わない?」
「勿論です」
いちいち確認をとらずとも好きによんでもらって構わないが、その丁寧さがいかにも吹月の生徒らしい……いや、京極さんらしいと言うべきか。
「じゃあ、マイマイとか?」
「それはかたつむりだろ」
「えー、じゃあ何て呼ぶんだよ」
「普通に下の名前でいいだろ」
円城寺君と栗栖君の丁々発止にピリオドを打ったのはやはり京極さんだった。
「フルーガル……は、どうかな?」
「フルーガルって、質素とか、そういう意味でしたっけ?」
「そう。下の名前だと、女子慣れしてない生徒は戸惑うかもしれないだろ?どうやら館林さんは倹約家のようだし、フルーガル、いいと思うんだけど。ミス・フルーガル」
京極さんのお伺いに、今度は栗栖君が一番に答えた。
「いいと思いますよ。下の名前よりもそっちの方が呼びやすそうですし。他の寮の奴らにも伝えておきますよ。と言いながら、俺はやっぱり館林って呼ぶと思いますけど」
「どうしてだい?」
「なんか恥ずかしいでしょ」
「あ、僕も僕も。恥ずかしくはないけど、家で飼ってる犬と似てるからパスします」
「なんだ、二人とも俺のセンスにケチをつけるのか?館林さん、いいよね?ミス・フルーガル」
ミス・フルーガル…
私の新しい名前の誕生は、随分さりげないきっかけだった。
だいたいどこへ行っても舞依と呼ばれていた私が、初めて付けてもらったニックネームではないだろうか。
その単語の意味はともかく、今朝もまだ遠巻きに私を見ていた彼らとの距離が少しでも縮まるなら、これを使わない手はないだろう。
了承の意で微笑んだ私は、けれど頭の中では、京極さんが腕時計を触っていた仕草を思い返していた。
その意味するところは、”緊張” である。
そんな感情おくびにも出さないけれど、京極さんも私に対して何らかの思う事があるのかもしれない……
私は、ここが完全アウェーであることを再自覚しながら、三人と別れたのだった。




